conoco

文章を書くのが苦手なのにnoteはじめました。 普段はアクセサリー作家として活動しています。 とりとめのないどうでもいいことを書きます。

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最近の記事

正義中毒

世の中、正しさ病が流行っているなと感じる。 道徳的正しさ、倫理的正しさ、 もちろん人が生存繁栄していくためにはルールが無いといけないが、その"正しさ"の筋が通っているかどうかはまた難しい話である。 特に近年のSNS社会になってから、 正しさをベースにした極端な批判や賛同には逆に人類の存続を脅かす危うさが潜んでいるのではないかと思うことが増えた。 正義中毒という言い方は少々過激かもしれないが 自分の正しさを人に押しつけたり、それによって支配するような段階になると、 一体そ

    • 酒場の愉しみ

      20代の頃はめっぽう弱かったお酒が、 30を過ぎてからなぜか人並み程度に嗜めるようになってきた。 BARに1人でふらっと入ったりもできるなんて陰キャの自分的には大成長である。 一度入ってなんとなく居心地が良いなと思ったお店は、そこに集まる人も面白い。 日常の小さな刺激というと変だが、知らない人と話すのは酒場を訪れる醍醐味だと思っている。 もちろん会話こそせずとも空気感を共有して心地よい場合もあるし、 え?ホントに今日初めて話すんでしたっけ?というほどディープな深層までた

      • 折り返しに来て思うこと

        もうすぐ30代も終盤に差し掛かり、 40代が目前に見えてき出したからか 残りの人生の生き方を意識することが多くなってきた。 人生100年時代とはいえ、100歳まで健康に生きるのはなかなか生活習慣を律していけない自分には難しいことだと気づいたので、 それでも運良く80代ぐらいまでは生き延びれたとして、そうなると40というのはもう折り返しを迎えることとなる。 これは決してネガティブな意味ではなく、折り返しというのは今まで道なき道の往路を辿ってきた自分へのアンサーロードのスタート

        • 変化への憧れ

          近ごろは時間に追われていないせいか一人で何かをあーだこーだ考える時間が多くなっている。 それがいい事のような気もするし、インナー思考が加速してあまり良くない事のような気もする。 ここ数年うっすらと生きるテーマにしているのは 「変わること」について。 死ぬ時までずっと静かに変わっていきたい。 とはいえ何もしなくとも老いはくるし、できることもできないことも増えて変化していく。 そういう意味では当たり前なんだけれど、その変わるとは少し違う。 例えば今よりも裕福になるとか健康

          棘の正体

          日々の生活の中で、とりわけ人と関わる中で小さな棘(トゲ)の存在を感じてしまうことがある。 これは分かりやすい '悪意' のようなものとはまた別の違和感なんだけれど、どうにも言葉にすることが難しい。 世の中が、いわゆるSNS社会となってからは更にそのトゲの存在を無視し辛くなってきたように思う。 幸せマウント あるいは 不幸マウントという言い方が近いかもしれないが、もう少し現代風に言えば ハピハラ と サドハラ といったところか。 (そんな言葉が存在しているかは知らない)

          棘の正体

          優しいって何だろう

          昔はどちらかと言えば "優しい人"というものにネガティブなイメージを抱いていた。 その優しさの裏には、嫌われたくないという自信のなさや、自分さえ我慢すれば万事うまくいくという自己犠牲があるような気がしていたからだ。 けれどだんだん歳を重ねるうちに、自分の中で優しいの意義が変化してきたように思う。 人は皆、生まれた直後は我が儘でしかない。赤ちゃんはそうしないと生き抜くことができないためだ。 そうして身近な優しさ(人を案ずるきもち)を存分に受けて成長していく。 そのうち優し

          優しいって何だろう

          香りのととのい

          近ごろ、香りの世界が気になる。 気になるといっても、世はあまりにも様々な香りに溢れているのでなかなか探求ジャンルを絞り込むのは難しい。 例えばアロマテラピーや香水。 アロマテラピーが自然由来の成分によって心身の調整や美容などに用いられる香り療法とすると、 香水はそこに化学を加えファッションや自己表現をブラッシュアップする香り化粧品という位置づけだろうか。 人の好きな香りというのはそれこそ食べものの好みぐらい千差万別であり、同じ香りでも良いと感じる人もいれば逆に苦手と感じ

          香りのととのい

          何者であるかという自我

          自分は一体何者なんだろうか? そう思うことが幼少期から今に至るまで定期的にある。 もちろん、俯瞰的に見たら人間というただの生命体の一つだということは理解している。或いは職種でいうとアクセサリー作家であり、37歳の女であり、人妻であり、一般庶民である。 ただ、それが何者なのかの答えかと問われるとそうでもない気がする。 私は"私"でしかない。それもしっくりこない。 何者かという問いを見つめてみた時に、恐らく「誰から見て」いるかが肝心だ。つまりはどのような場で自己紹介するかが

          何者であるかという自我

          文章を曝け出すこと

          私は文章を書くのが苦手である。 ※ここでの文章とは、思ったことを口語じゃなく書き言葉にするという意味あい ただ、実はインターネット上に文章を書くということは今まで数多それなりにやってきたつもりだ。 それこそ90年代後半、PCが家庭に普及し始めブログという画期的なウェブサービスが世界で始まった頃に中学生(思春期真っ只中)だった私は、 当時一部のティーンエイジャー間で流行っていた、レンタルサーバーに自分のホームページを開設するという遊びに傾倒していた。 内容はなんてない自家製

          文章を曝け出すこと