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正義と戦争
世の中、正しさ病が流行っているなと感じる。
道徳的正しさ、倫理的正しさ、
もちろん人が生存繁栄していくためにはルールが無いといけないが、その"正しさ"の筋が通っているかどうかはまた難しい話である。
特に近年のSNS社会になってから、
正しさをベースにした極端な批判や賛同には逆に人類の存続を脅かす危うさが潜んでいるのではないかと思うことが増えた。
正義中毒という言い方は少々過激かもしれないが
自分の正しさを人に押しつけたり、それによって支配するような段階になると、
一体その正義の道筋はどこへ向かうのだろう。
何に対して戦うのかわからないまま戦うのと同じで、何に対する正義なのか考えないままに主張する正しさは糠に釘を打つかのごとくまるで意味のないことのように感じる。
もしかすると人は常に何かと戦っていないと死ぬ生き物なのかもしれない。
いやむしろ生き物としての本能か。
種を保存し脅威を排除するテリトリー争いやマウンティング行為の名残りなんだろうか。
そう考えると、今の社会における人々の人格が捻じ曲がっているわけではなく、ただ争い方のカタチが変わっただけの進化に過ぎないとも言える。
正義中毒は人が人として生きるための新たな本能の行き着く今なのかもしれない。
(本能を失いかけている人間より)