変化への憧れ
近ごろは時間に追われていないせいか一人で何かをあーだこーだ考える時間が多くなっている。
それがいい事のような気もするし、インナー思考が加速してあまり良くない事のような気もする。
ここ数年うっすらと生きるテーマにしているのは
「変わること」について。
死ぬ時までずっと静かに変わっていきたい。
とはいえ何もしなくとも老いはくるし、できることもできないことも増えて変化していく。
そういう意味では当たり前なんだけれど、その変わるとは少し違う。
例えば今よりも裕福になるとか健康になるとかより良くなるという意味での変わるという訳でもない。
どちらかというと"毎日を新しいきもちで迎えたい"みたいなニュアンスに近い。
その言い方も完全な例えではないけれど、とにかく常にピュアで新鮮な心でありたい。
これは願望なので、もちろん毎日は続いていて今日の自分は昨日までの自分の最終形態というのは分かる。
そしていずれ認知症になって変化を受け入れたくなくなったりするのかもしれない。(愛する祖母がそうなったのを見てそれが悪いことではないのは分かった上で)
「変わること」が、さも尊くて素晴らしいこととイコールでなくとも、やはり変わり続けていたい。
なぜなのか?
以前テーマにした「何者であるか」にも少し通ずるかもしれないが、
"何者にもなりたくない"ということは逆に言うと"何者にもなりたい"の裏返しなのだと思う。
ピュアな気持ちでその変化を取り入れたいのだろう。
少し長くなる事を恐れずに書き進めると、若かりし頃、自分は精神的不感症なのではないか?と悩んだ時期があった。
今思えば厨二病特有の乖離症状かもしれないが、自分の正しい感情が分からないみたいな状態だ。
大人になってからも油断するとそういう風になりかける時はあるけど、ただの脳処理のキャパオーバーだったりストレスに起因するだけですぐ正気に戻る。
そんな時、変わることってなんて生きた心地がする状態なんだろうと実感したことが大きい。
感情の起伏が激しい人間(人を巻き込むレベルの)が苦手ではあるものの、同時に生きてる実感がありそうでめちゃくちゃ羨ましいとも感じる。
ご本人はそれどころじゃないかもだけど。笑
感受性の豊かな、変化を厭わない水そのもののような人間になってからいつか死に絶えたい。