まるで夢遊病者のようのようだと自分で思う。 そもそも意味など無いのだとようやく理解したのだ。やれ真実の人生だ、 やれ真理の希求だなどと大層なことを宣ってはいるが、実のところ本人にもなんらわかっちゃいねえのだ。なんのことはない。だから「夢遊病」と形容してみた。この表現が一番しっくり来るのだから仕方がない。何かと大義名分を打ち立てずには碌に言葉も発せれないのかとただ呆れるばかりだ。 事実を話そう。 先日ある人から卑小なナルシズムと酷評され、なるほどなと冷静な面持ちで首肯しつつもそ
夏から秋へと移り変わる季節になると、ある過去の記憶の一ページが僕の胸に舞い戻ってきます。まるでそれは忘れかけていたタイムカプセルを掘り返した時のように。 その度に僕はいつもとても不思議な空間と遠い記憶へと自然に心が誘われていくのです。 それは秋風と共にどこからともなくやってくる僕宛ての手紙なのかもしれません。 僕がまだ幼い頃、近所に『くにくん』というお友達がいました。 本名はわかりません。 「くにお」なのかあるいは「くにひろ」なのか… 覚えてないんです。 くにくんの家は床屋
この階段を僕はいつものように、ほとんど息も絶え絶えに登っていた。 どうにか土手のてっぺんに身を乗り出すと、野ざらしになった僕に向かって急に強い風が左から右、右から左へと襲い掛かり、思わず仰け反りそうになる。 ランニングの帰りにはいつも決まって僕はここで足止めを食う。 路上の隅で僕は小さく佇む。 そこへ右方向から車が一台やってくる。 反対車線からはない。 横断するなら今がチャンスだ。 しかし、時速約50kmほどのスピードで向かってくる車と僕との距離は、道路の向こう側へ渡るに
我は 物言わぬ葦 ただ風雨を耐え凌ぐ為のみに生きている 決して 妬まず ひけらかさず 自己嫌悪も自己憐憫も内的復讐心もおよそ無縁である 無念無想 ひたすら春の訪れを待ちわびている 踏まれても決して怒らない 痛いとすら言わぬ 人知れず平和について深刻に考えている 世俗的な幸福には程遠いがだからといって生きておられぬほど不幸でもない 急がず 貪らず 同情することはあっても干渉はせずまたそれをされることを拒絶する 弱きを助け 強きを挫く 勧善懲悪や偽善をこと
「人間というものは結局自分の能力内でできる範囲のことをやるしかない。 君は『真善美』といったえらく高邁な理想を掲げておきながら、一寸たりとも動こうとしないのはどうしたことだろう。 行動には自愛を孕んだ正義がある。 これこそ人類共同体で生ける者としての秩序だ。 それに引き換え君はなんだい。 やれ隣人愛だ、自己犠牲的精神だとさもしく唱えておきながら、その陰で自分のポーズを前にニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ 『なんて俺はいじらしいのだろう』 と憐憫を振りまいておるではないか。 そ
褒められたい、ただそれだけの事である。 人と違う生き方を選んでいるのは自分自身の劣悪性に対するだらしのない諦めなのだ。 恥ずかしながら、今まで生きてきて他人に誉められたことがない。 それゆえ短絡思考であるかもしれないが、ならば人と同じ行動をしてはいけないというなんともおかしな結論に至ってしまったのだ。 どうやら勘違いの多い人間であるようだ。 あたかもどこかに切り札を隠し持ってるかのような思わせ振りな物言いである。 こういうタイプは始末に負えない。 「私はつくづくダメな人間で
“希望を持たねば人はやがて動けなくなる” だけど私が思うに、現実はいつだって苦いもの。酸鼻である。蜃気楼のようなものだ。 日常の鼻先にはいつも甘い夢や理想が散在している。 僕らは“そいつの正体”が怪しいと感じながらも安易にそいつに喰らいつく。 神々しい様で「おいでおいで」と微笑み手招きしておいて、つい気を許して思わずふらふらと近づき手を伸ばしたところで、そいつは瞬時に身を翻し、そしてさらに近づこうとするとまたそいつも近づいた分だけ遠ざかっていく。 ひとたびそうなって
我は病弱ゆえ芸術を好む。これ、儚きセンチメンタルの慰安。自己への埋没。 今日の自分はいつにも増して無様だった。うつ伏せに寝転び煙草を吸いながらアニメを見て馬鹿笑いしているのである。白痴に似ている。ところが眼前に厭悪の湖畔忽ち広がるとハッと我に返る。なんだか申し訳ないやら恥ずかしいやらで居たたまれない。松陰先生は日に三度反省なさるそうだが、僕は日に三度我が身を辱しめ、それでいて一向に改める気配がない。 それどころか居直って今日の己の体たらくを教育や政治の責任にしてしまう始末であ
肩書きを失った人間は身動き一つ出来ない。 僕は生き方を知らない。 厳粛の壁。息が出来なくなった。 それからようやく重い腰を上げ、久しぶりに走ってみたく思った。 川を横切る風に吹かれながら。 少々慌てすぎたのかもしれない。現実は思っているほど陰惨なものでない。もう少し呑気に構えていようじゃないかなどと今日はいつになくバカに能天気である。 中核が見えない。視点を変える必要があるかもしれない。 いや、むしろあの頃の自分に見えていたものは一体なんだったのか。離れて見なければ把握で
どうもダメだ。 僕は今アパートの部屋に一人居て、読者をしている。どうもこの部屋は静かすぎるようだ。時折通り過ぎる電車の音は却って静寂を確然たるものにする。 死ぬ為に生きている気がする。それも一歩一歩ジリジリと死に近づいているような心地。これ以上良い生活に臨めないことを情けなく思う。今より上が今後訪れることを期待してはならない。今有るのが最上なのだ。僕にとってはそうなのだ。だからここまで落ち延びてきた。 引っ越しが正式に明日に決まった。部屋の整理も粗方終わったので、今日一日予
今、横浜へ向かう新幹線の中に居る。目的はアパートの処置だ。昨晩に決めてすぐさま決行に到ったのだ。しかも母親にただ一言告げただけの決行だ。つくづく直情的で短絡的な人間だと思う。結局無重力の人生なんだろう。 今朝になっていつもの優柔不断がフラッと顔を覗かせたので、「これはいかん」と思い、すぐさま支度に取りかかった。 同じ町内に住む幾人かの知人には悪いが黙って出ていくつもりだ。挨拶に寄ろうかと少々迷ったが、今回は凱旋などではなくむしろ撤退に近いのでよそうと思う。敗軍の将が敗色濃厚で
戻らぬと心に決めていたアパートにひょっこり行った。部屋の惨状は案じていたほどではなかったが、玄関のドアを開けた瞬間に蜘蛛の巣が出現したのには驚いた。 近所に住んでいたA君が部屋を引き払っていたのを知り一瞬裏切られたと思ったが、先に出ていったのは自分の方だったと思い直した。その夜、世田谷の友人を部屋に呼んで、少ない酒をちびちびやり、煙草のみをガンガン吸い、さしたる内容の会話もなく友人は終電前、早朝仕事があるからと告げ帰っていった。 一人取り残された部屋は異様なほど狭く感じられた
学問の過尊やめよ。試験全廃せよ。あそべ、寝転べ。我ら巨万の富貴を望まず。立て札なきたった十坪の青草原を! 紅顔の泣き虫。飴買って欲しさに今日も駄々こねる。 「語らざれば憂い全く無きに似たり」 とか。これだ!出し惜しみはいかん。けれど、徒手空拳。打てども打てども、ただ虚しく空を切るのみ。 たたく門?そんなものあるか。 陋屋(幽霊屋敷)の門なら叩き過ぎて壊れちゃった。 「かりそめの 人のなさけの身にしみて まなこうるむも老いのはじめや」 近頃など夜も更けて風呂上がりの際に一
苦悩することを呼吸をするように常日頃から繰り返していると、いよいよ痛みが肉体の一部のように感じてくる。ちょうど磁気を帯びた金属に似ている。体質と言っても間違いではない。このまま一生わけの分からぬ苦痛に堪え忍び、毎日転々としながら生きる宿命のようだ。一見舞台における悲劇のヒロインのように暗い照明のなかで悲嘆にくれる光景をイメージするだろうが、実際は感情の神経が麻痺しているのか案外平然としている。ただ胃の痛みだけが何かしら鼓動のように当たり前にあるのみだ。 赤ん坊は感情を伝えよう
向かい風のときは混乱の渦に呼吸さえできず、追い風のときには態勢を整えるのに必死でちっとも楽にならない。 それでも俺は走り続けなければならない。 幻燈のまちへ行ってみたい。 姿勢になんの負い目も持たずに居られるそのままで生きてみたいのだ。 僕が走る。鷺がにわかに飛び立つ。近くの石の上にふわりと止まる。 そのまま近づく。また同じだけ飛ぶ。なぜかそのときいつも後ろ向き。嫌われているのだろうかと思いつつもさらに走り続ける。やはりまた飛ぶ。徐々に遠ざかっていく。もう降り立つ石がない。
平和は政治や外交に委ねるだけでは絶対にやってこない。個人レベルでも一人一人が自分にいったい何ができるかを考えていくことがきっと大切なんだと思う。 78年前、この街に原子爆弾が投下された。確かに投下された。 広島に生まれた者は皆、必然的に幼少の頃から平和教育を受ける機会が多い。家族や学校の行事で平和記念公園に行ったり、被爆者の体験談を聞いたり、そして毎年8月6日の朝には黙祷し犠牲者の霊を弔う。けれども僕は未だにこの街にかつて原爆が投下されたという事実をどのように受け止めていいの