国や社会という環境は生物のような性質がある
2024年ももうすぐ終わってしまい、昭和100年の足音が聞こえてくる。
1925年の出来事をしらべてたら、2025年というのは近未来である。
約90〜100歳の家族や親戚がいる人達は多いと思うが、100年間あればスマートフォンを複数第持ち歩いた女子高生がダンス動画を日々アップロードしている。
スティーブ・ジョブズはAndroidを恨んでいるかも知れないが、世界中でAndroidやiPhoneというコンピュータ脳を小学生でも持ち歩いて日常生活や社会生活を過ごしている。
生成AIが漫画や動画をスマートフォンという、小さくて高次なコンピュータ脳で作成してしまう時代が昭和100年である。
昭和200年の2125年に私達とあなたは、すでに生物としての寿命を迎えてこの世からいない可能性が99.99%である。
万に一つの可能性という言葉を日本人は使うが、可能性としては脳を保存して肉体を入れ替える技術が発明されたら生きている可能性もある。
人間脳も生物学的に言えば16〜25歳の脳血管や神経は、ピークであるはすだ。
沢山の経験を得て25歳以降に人間脳を活用して資本主義社会と闘っていく中で、若年層より器用な工夫ができる大人は多い。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーの経験値を重ねて工夫ができる人間脳ではあるが、加齢に比例して脳血管劣化や神経伝達物質異常が起きる可能性は高い。
SFや漫画の世界では脳を保存液に浸して、CPUを取り付けて棚に並べて生き残るファンタジーが描かれることもある。
人間脳を安定的に保存や改良をして、身体機能の土台である肉体を入れ替えて「永遠の命」を手に入れる物語を描く「映画、漫画、アニメーション」は多い。
死は人間だけでなく生物にとって根源的な恐怖であり、生きたいという気持ちは生物学的に本能なのかもしれない。
本能や煩悩があるから人間脳は「悩み、闇、病み」を抱えながら、必死に生きようとする性質がある。
人間は他の生物より脳が発達をしていて、本能や煩悩をコントロールしながら「他の生物より本能や煩悩が強いということ」で地球で繁栄したはずだ。
国や社会環境も生物のような性質があり、個人の想いではなく細胞集合体生物のように生存本能に従って生きているように感じる。
私達の「身体、精神、認知」が発達後にピークである期間は短く、衰えと向き合っていく時間のほうが圧倒的に長い。
どんなに恵まれた夢のようの個人因子や環境因子があったとしても、老化と死は必ずやってくる。
100年後も生きることのできる脳保存の世界が実現したとしたら、人間脳同士の戦争が保存液の中で行われるかもしれない。
鋼の錬金術師に出てくる「等価交換」のように何かを手に入れる構築方程式には、私達が必ず差し出す何かがあるはずだ。
不老不死を手に入れる錬金術が完成するならば、人類は地球滅亡まで増え続けて環境を変えていく。
国や社会環境は生物のような性質があり、「天下の愚策」であったとしても組織が望んで愚策を施行してしまうのが現実だ。
全ての生物は弱肉強食の環境で、生きている理由は生存本能と進化を迫られるからだと考察する。
死は必ずやってくるから平等かと言えば、そうではない。
平均寿命という言葉があっても、健康平均寿命という言葉はあまり使われない。
日本の若年層が渋谷や新宿で楽しそうにしている光景もあれば、ビルから飛び降りて自死を選択するニュースもある。
「身体、精神、認知」を安定させて、個人因子と環境因子を工夫してより良くいる作業ほど難しいことはない。
「より良く生きるとは何か、どんな作業に自分という個人因子は惹かれるのか、環境因子とどのように適応していくのか」を、1925年の歴史を振り返って考察することも一興である。
【昭和0年である1925年の日本の社会環境】
1925年、日本は大正デモクラシーの最盛期にあり、民主主義が成長していた。
第一次世界大戦後の混乱が収まり、徐々に社会が安定し始めていた。
日本政府は普通選挙法を成立させ、国民の政治参加意識が向上。
政府は社会主義運動の高まりに対抗し、治安維持法を制定。
民主主義と治安維持のバランスが大きな課題となっていた。
経済が回復し、特に満州との貿易が活発化。
重化学工業の発展が見られ、日本の産業基盤が強化されていた。
国際情勢は不安定で、各国は軍備増強を進めていた。
日本でも軍部の影響力が増し、政治に大きな影響を与え始めた。
満州は日本にとって重要な資源地であり、ソ連との間で緊張が高まっていた。
満州問題が日中戦争や満州事変の引き金となる。
軍部は国民の不満を戦争へ向けようとする動きを見せていた。
武力行使を重視する傾向が日本国内で強まっていた。
ヴェルサイユ条約による戦後秩序は不安定であった。
世界的に新たな戦争の危機が常に存在していた。
日本も武力行使を辞さない考えが広まっていた。
1925年は日本の民主主義が前進した年である。
普通選挙法の成立は、民主主義の大きな進展であった。
1925年の経済回復は、将来の発展を予感させた。
軍部の台頭は日本の将来に暗い影を落としていた。
国際情勢の不安定化は、日本にも大きな影響を与えていた。
日本は国際的な緊張の中で、戦争への備えを進めていた。
1925年は将来の戦争の危機が徐々に見え始めた年である。
軍部の影響力が強まり、平和的解決よりも武力行使が重視されていた。
国際情勢は不安定であり、平和維持が困難な状況にあった。
満州問題は日本の外交政策の焦点となっていた。
日本とソ連の間の緊張は、後の大規模な紛争へとつながる。
軍部の勢力拡大により、戦争の危機がますます現実味を帯びていた。
日本国内では、軍事力強化を求める声が高まっていた。
1925年の出来事は、後の日本の歴史に大きな影響を与えた。
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