叱られ上手になりたかった
昔、仕事でポカをして、社外のある方を大変怒らせてしまった。
わたしの部署で、わたしが担当になる前から、つきあいのあった方だ。
まだ電話のやりとりが多い時代。受話器の向こうから猛烈な剣幕で怒鳴りつけられた。
双方の会社や社外の誰かに経済的損失や社会的な問題を与えたというような「大問題」ではなかったのだが、その方のプライドを大いに傷つけたらしい。
ひたすらあやまった。そのような事情になった経緯についても伝えた。
とりあえず相手の気がすむまで怒ってもらい、どのような対応を希望するかきいて電話をきった。
どのくらい話していたのかはわからないが、窓の外は夜のとばりがおりていた。フロアにはわたし以外だれもいない。
経緯についてメモにのこし、「相談させてください」と上司の机の上においてしょんぼり帰宅。(当時はメールがないのでこういうコミュニケーションだった)
翌朝上司の顔をみるのも怖かった。が、上司はケロッと「これ、俺があやまっとくよ。心配しなくていいよ」といってその場で相手に電話を入れてくれた。そこで約束された「ランチお詫び会」で、わたしは再びお詫びし、この件については「水に流す」となった。
にこやかに「部下の仕事を詫びるのが上司の仕事」と言ってくれたことに本当に感謝した。
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わたしは当時、「わたし自身」 と 「わたしのしたこと」の区別があまりついていなかった。「わたしのしたこと」が、そのまま 「わたし 」になっていた。
あの日、電話口の向こうで怒鳴られた時は、わたしはわたし自身を否定されたように思っていたのだ。
わたしはもともと自己肯定感が低かった。自分のことを有能だとはとても思えていなかった。だからいつも必死な思いで仕事をしていた。迷惑かけないように、成果をあげるように、と。
そんなふうにいつもうっすらと自分のことを否定していながらボロボロ状態になっているところに、自分自身を否定されたようなことがおきたのだから、そりゃあダメージは計り知れない。
相手の方は、「わたしのしたこと」を怒っていただけかもしれなかったのに。
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今となっては相手の方も相当傷ついていたのではないか、と思う。
わたし達は自分自身を低く見られたと思った時、とても傷つく。
傷ついた痛みの表現は様々だ。抱え込んだまま口をきけないこともある。逆に「失礼なやつ」と相手に対する攻撃的な表現になることもある。それなりのダメージを受けなければ、あれだけの剣幕にならないだろう。
そして、おそらくわたしの上司は、そのあたりのことをナチュラルに分かっている人だった。「お詫びランチ」の会で相手の方の存在感も、日常のなかで部下であるわたしの存在感も、ちゃんと両方肯定していることを示していたのである。
「相手が怒ってる時はねえ、とりあえずハイハイ、ってきいておけばいいんだよ、神妙な顔してさ」と笑い飛ばしてくれたことは、今思うと本当にありがたいことだ。当時のわたしは自己肯定感が低かったのでますます恐縮するばかりで、感謝を伝えられなかったのが悔やまれる。
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なにかをしでかしたとき、叱られるのは今でもあまり好きではない。
ただ、相手の叱り方に怒りが伴っているときは、それだけ相手がダメージを感じているという相手の感情にだけ目を向けるようにすると、結構素直に叱られるようになる。
なので立場上、叱られることの多い人はよく覚えておいてほしい。
「あなたのしたこと」と「あなた」は違う。
そして、行動は変えようと思えば、変えられるようになる。
ってことを。
そして、わたしも
他の人に対しても「叱る」ような状況にあるときは、
「したこと」を叱っているのであって
あなたを否定してるんではないよ、っていう
言い方ができるようになりたいなと思うのです(難しいけどね〜)。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。