
赤ちゃんのお世話を頼まれた話
私は基本的には専業主婦なのだけれど、市のファミリーサポートセンターというところに登録しているので、時々「赤ちゃんや子どものお世話をする」というお仕事の依頼を受けることがある。
今回「お母さんが別室で休んでいる間に、赤ちゃんを2時間見守る」という単発の依頼があった。言葉も通じない0歳児の赤ちゃんのお世話というミッションは初めてで、最初お話をいただいた時は、正直少し不安な気持ちがあった。
一人息子は今10歳。息子が赤ちゃんの頃はオムツを替えたりしてはいたけれど、あれ、オムツってどうやって替えるんだっけ。赤ちゃんと遊ぶって、何して遊ぶんだっけ。絵本の読み聞かせとかすればいいのかな。いや、それはまだ早いかな。
依頼を引き受けたものの、言葉の通じない相手と2時間過ごす、というミッションに得たいの知れないハードルを感じる私。それでもまあ、主婦業だけだとどうしても引きこもりがちになってしまうので、たとえ相手が赤ちゃんといえども、人と関わる貴重な機会。疲れているお母さんのお役にも立ちたいし、これはもう「やるっきゃない」と見えないねじりはき巻きを心にキリリと締めて、いそいそとそのお宅へと伺ったのでした。
私が到着するとそのお宅のお母さんは、
「今から2時間がちょうどお昼寝タイムなんです。ただ抱っこしていないと寝ない子なので、お昼寝の間じゅうはずっと抱っこなんです。ちなみに、寝る前はぐずりが激しくてワアワア泣きますが、泣きながら眠っていく感じです。それでは私は別室で休んできます」と説明してくださり、「じゃ、この子が遊んでいるうちにそっとリビングから出ますね」と作戦タイムは実に手短かにささっと完了。
さて、ミッション開始です。私が赤ちゃんとオモチャで遊んでいるうちに、お母さんはそろーっと忍者のようにリビングから出ていきました。作戦大成功。赤ちゃんは何も気づかず無邪気に遊んでいます。よしよし、いい感じ。出だし好調。
さて、オモチャで機嫌よく遊んでいた赤ちゃんですが、途中からオモチャに飽きたのか、なぜか私のメガネに手を伸ばしてきて、何度も何度もメガネを取ろうとアタックしてきます。仕方ないので、はいはいとメガネを取ってあげると、なにやら満足げ。
赤ちゃんはまだつかまり立ちしかできないのですが、私がメガネを外すと次に何をするかと思ったら、私の手をつかんで一生懸命立ち上がろうとするではありませんか。私が赤ちゃんと両手をつなぐと一応立ち上がれはしたものの、ヨロヨロぐらぐらしていて、私が手を離したら今にも倒れてしまいそう。これは責任重大です。私はヨロヨロぐらぐらしている赤ちゃんの体を支えるように、必死でその手を握り続けました。
するとですね、赤ちゃんは突然、自分のおでこを私にコツンとぶつけてきます。おでことおでこがこっつんこ。その瞬間、さっきまでニコリともせずに真面目な顔をしていた赤ちゃんが、それはそれは嬉しそうに笑うのです。笑うと言っても、声を上げてケラケラ笑うわけではなくて、口の両端を持ち上げて無言でニカーっと笑う感じ。それはもうね、たまらなくキュンとさせられました。
え?!なにこれ?!
これがしたかったから、メガネを外してほしかったの?
かわいいんだけれど!
衝撃を受けている私に再びおでこをコツンとぶつけてくる赤ちゃん。コツンするたびに満面の笑みでニカー。これを数回やられたのですが、その間も赤ちゃんの体は不安定にぐらぐらしていて、それがまたいじらしいというか、なんというか。
とまあ、こんな感じで最初の30分くらいは微笑ましく交流していたのですが、30分くらい経った頃からちょっと雲行きが怪しくなりまして。。
何がきっかけということでもなく、突然ふえ、ふえ、と頼りなさそうな声を出しながら、キョロキョロし始めたのです。そうです。バレたのです。お母さんがいないことが。しかもね、赤ちゃんにとっては今はお昼寝タイムなわけですよ。いつもはお母さんに抱っこしてもらいながら眠りにつくわけですよ。赤ちゃんとしては、もう緊急事態なわけですよ。
ハラハラして見ていたら、赤ちゃんは、ふええ、と心細げに泣き始めます。よしよしとあやしてみても、全く効果なし。どんなに優しくあやしてみても、しだいに泣き声は少しずつ少しずつ大きくなり、最後は顔を真っ赤にして大号泣。世界の果てまで届けと言わんばかりに、声を振り絞って全力で泣き続けます。
私も一応子育て経験者なので、これは寝る前のぐずりだとは察しはつきます。息子も赤ちゃんだった頃、寝る前はいつも大号泣で、「眠いのに寝られない。どうやって寝たらいいか教えて~」と言わんばかりに、毎度毎度大騒ぎでした。なので、目の前の赤ちゃんが大号泣していても原因ははっきりしています。要するに眠いのです。
じゃ、予定どおり抱っこしながら寝かしつけるか。と思って赤ちゃんの方に手を伸ばすのですが、赤ちゃんは「あんたじゃない」と言わんばかりに私の手を払いのけます。さっきまでの、おでこコッツンラブラブタイムはなんだったと言いたくなるほどの拒否反応です。
顔を真っ赤にして泣きながら、それでも空中に手を伸ばし続ける赤ちゃん。お母さんに抱っこしてもらいたいのに、そこにお母さんはいなくて、手は虚空で空振りするばかり。もう痛々しくて見ていられなくて、試しにプーさんのぬいぐるみを赤ちゃんの手の先に置いてみたものの、「違う」とばかりにプーさんをバシッと手で追い払う赤ちゃん。ぶざまに床に倒れるプーさん。やはりここは私が、、と再度私が手を伸ばしてみるものの、何度トライしてみても、赤ちゃんはヒステリックに私の手を払いのけます。泣き声にはだんだん怒りが混じり始め、なにかこう修羅場感が部屋に漂い始めます。
一番心配なのは、別室で休んでいるお母さん。こんなにも赤ちゃんの大号泣が響き渡る中で、はたしてゆっくり休めているのか。いや、無理だろう(涙)。
とにかく赤ちゃんを寝かせなくては。それしかない。私はもう一度、心の中のねじりはち巻きをキュっと締め直しました。やるっきゃない。ゆっくり休みたいお母さんのためにも、お昼寝ミッションを成し遂げるんだ!
私は意を決して、抵抗しまくる赤ちゃんを無理やり抱っこしました。子守唄を歌いながらゆらゆら抱っこ。もう寝かしつけの基本中の基本。これを根気よく続けるしかありません。
ところがですね、赤ちゃんは「あんたじゃなーい」と言わんばかりに、体を反らしまくり、腕から逃げよう逃げようとしまくり、眠いはずなのにどこにそんなエネルギーが…と驚くほどの力で抱っこを拒否します。
まあ息子も寝る前のぐずりは同じような感じでしたが、これはただのぐずりではない、と私は判断。この赤ちゃんは、「お母さんの腕の中で寝たいんだ」と全力で自己主張しているわけです。眠い眠いとただ騒いでいるのとはちょっと違う気がして。
何が正しいのかはいまだに分かりませんが、私は赤ちゃんをそっと床におろしいったん解放してあげました。
赤ちゃんはリビングのドアまでハイハイしていくと、お母さんが消えたドアにつかまりながら、必死で立ち上がります。そしてワアワア泣きながら、引き戸になっているドアをスライドして開けようとします。心を鬼にしてドアを押さえる私。
「お母さんは戻ってくるから大丈夫だよ。今この時間だけは私がお母さんの代わりだから、おばちゃんの腕の中でねんねしてみよう」
そう言って、ドアの前に立ちふさがって両手を広げてみせるも、赤ちゃんは聞いちゃいません。というか、そもそも多分、年齢的に言葉は通じないというか(泣)
まあ、そんなこんなで、修羅場は30分以上続きましたが、そのうち赤ちゃんはドアの近くのソファの上に、お母さんがいつも使っている抱っこ紐が置いてあるのを見つけると、ようやくドアから離れ、「もうこれしかない」と言わんばかりに今度は抱っこ紐にヒシとしがみつきました。おそらく、お母さんの匂いがするのでしょう。
抱っこ紐の端をギュッと握りしめたまま、泣き続ける赤ちゃん。私もほとほと疲れてきましたが、しばらく見守っているとなんと赤ちゃんは、ウニュウニュと目をこすり始めるではないですか。これがまたかわいらしいのですが、それはさておき希望が見えてきました。これは「眠たい」サインに違いありません。よしよしそれならば、とまたまた抱っこを何回か試みてみましたがことごとく失敗したため、仕方なくそのまま見守っていると、ついについに、抱っこ紐に顔をうずめて静かに目を閉じていく赤ちゃん。耳をすませていると、寝息も聞こえてきます。心の中でガッツポーズをとる私。
まつげが涙に濡れたまま寝ている顔がまたかわいいったらありゃしない、なのですが、ただ問題なのは「立ち寝」になってしまっていること。ソファにつかまり立ちしながら、抱っこ紐に顔をあずけたまま眠ってしまったため、本人は気がついていないのですが立ったままなのです。
いつもは抱っこしないと昼寝しないという赤ちゃん。人の腕の中でないと寝つけない赤ちゃん。それが今、抱っこなしで眠りにつくことができたわけですが、なんだかあまりにも切ないポーズで。
とりあえず、鼻と口だけは空気に触れていられるように赤ちゃんの顔の位置をそろーっと微調整して、あとは体が倒れないように後ろから支える私。こうして密着していれば、抱っこしてもらいながら寝ている感じがするだろうさ、と赤ちゃんの背中を支え続ける私。
ただですね、その状態だと、赤ちゃんも寝ながらぐらぐらしているし、私もちょっと手が疲れてきて、数分間は我慢したのですが、この状態で小一時間過ごすのはお互い大変だよなと判断。
そこで、赤ちゃんの体をおそるおそるソファーから引き離し、あぐらをかいた私の太ももの上に赤ちゃんを寝かせてみました。ここまで、なんとか起こさずにすんで、額の汗をぬぐう私。実際は別に汗なんかかいていませんが、まあ心の汗はいっぱいかいたのでね。
で、ようやく平和なひとときが訪れたわけですが、それは束の間の平和でした。あぐらをくんで座りながらも、手を浮かした状態で赤ちゃんの頭を支えていたので、ちょっと手が痛くなってきてしまい、そろりそろりと手を私の太ももへ太ももへと近づけていったのですが、それがいけなかった。数ミリずつ数ミリずつ動かし、手の甲がようやく私の太ももへとたどり着き、ああこれでようやく手の負担が軽くなると思った瞬間、赤ちゃんが目を覚ましてしまい、再び修羅場再開。。
赤ちゃんはそれはそれはお怒りで、「なぜお母さんじゃなくて、またあんたが登場するのか」とでも言いたげに真っ赤な顔で泣き叫びながら、私の膝から抜け出し、再びソファの抱っこ紐のところへと戻っていきます。
それから延々と泣き止まず、約束の終了時間がくるまでワアワア泣き続ける赤ちゃん。1時間半近くも赤ちゃんの泣き声を聞きながら、はたして別室のお母さんはゆっくり休憩できたのか。それを思うと、自分の無力さを呪いたくなる気持ちでいっぱいでした。
赤ちゃん育児中のお母さんがどんなに疲れているか、私だって経験者だからよく分かる。お金を払ってでも、2時間だけは赤ちゃんのことを忘れてゆっくりしたかったんだよね。赤ちゃんはサポーターの腕の中で静かにお昼寝している予定だったんだよね。ああ、お役に立てなくて本当にごめんなさい。
とまあ、そんな徒労感とともに、ミッションは終了したのでした。
思い起こしてみると、息子も0歳の頃はこんなだったなあと。参加したいイベントがあって、イベント会場とは別室の保育ルームに息子を預けたことがあったのだけれど、イベントが終わって戻ってみたら、息子は「ママ、どうしていなかったの?もう二度と会えないかと思ったよ」みたいな感じでわんわん泣きながら私にすがりついてきたっけ。保育担当の方がおっしゃるには、私がいなくなった後ずっと大号泣し続けていたとのこと。泣いている間ずっと、私が置いていった抱っこ紐を、まるでお守りのように大事そうに握り続けていたとのこと。「やっぱりお母さんが一番だよね」保育担当の方は、息子を優しくなでながら豪快に笑ってくださったっけ。
あの頃私は、息子の命を守ることに精いっぱいで、子育てを楽しむ余裕なんてまったくなかった。赤ちゃんはティッシュ一枚顔にはりついただけで息ができなくなる。ティッシュ一枚が命取りになることだってある。そんな非力な我が子を失うのが怖くてたまらなくて、ただただ一日一日と、息子の命を無事につないでいけますように、とそれしか考えていなかった。
宝物みたいに大切で大切で、愛情をいっぱいに注いで、全力で息子のお世話をしていたけれども、それでも私には見えていなかったことがある。
それは、赤ちゃんってかわいいんだ、ということ。
おでこコッツンして笑ってもかわいいし、お母さんを探してリビングのドアにしがみつく姿もかわいいし、泣き疲れて眠ってしまった顔もかわいい。抱っこを拒否して泣き叫んでいる顔だってかわいい。
赤ちゃんはウソがない。本能で生きていて、次に何をするのか予想もつかなくて、笑っていても泣いていても何をしてもかわいい。
そんなことも気づかずに赤ちゃんを育てていた私。
本能だけでは育児はできないと思い込んでいた。たくさん失敗してきた先人たちからの教えをしっかり学んで勉強しないと、間違ったことをしてしまいそうで心配だった。例えば、「赤ちゃんにとってハチミツは毒になる」とかそういう知識を知れば知るほど、無知な自分が怖くなり、もっともっと、と飢えたように知識を貪欲に求めていた。だから育児書とにらめっこして、いつも子育ての正解を探していた。
でもその結果、ミルクの量だとか、離乳食の量だとか、体重とか身長とか。私が見ていたのは、赤ちゃんではなく、数字ばかりだった気がする。一に努力、二に努力。自分のことは後回しにして、赤ちゃんの健康を守るために私の時間すべてを捧げていた。それが私にとっての愛情表現だったのだけれど、今思うとなんだか私、合否におびえる受験生みたいだったよなあと思う。時間的にも気持ち的にも、ゆったりした「のりしろ」がまったくない毎日だった。こんな私に育てられたにも関わらず、それなりに健やかに育ってくれた息子には感謝しかない。
依頼を受けて赤ちゃんのお世話をしてから数日たった今も、私は赤ちゃんのかわいさが忘れられない。やわらかいほっぺ。頭皮が透けて見えるくらいたよりなさげに生えている、ほわほわの髪の毛。あんなに拒否されたにも関わらず、また会いたいと思っている自分がいる。私は元々赤ちゃんが好きとかそういうタイプの人間ではなくて、今回も仕事と割りきって行ったのだけれどね。
それなのに一体私の中で何が起きたのか。よく分からないのだけれど、でもこの年になってようやく、赤ちゃんを「かわいい」と思える自分に出会えたことがなんだかくすぐったくて嬉しい。
子育てを頑張らなくてはと一生懸命になりすぎると、目の前の子どもがどんなにかわいいか、そのかわいさに気づきにくくなってしまうのかもしれない。
10歳の息子は、10歳の子だけが持つかわいさを身にまとっているはずで、それは今しか味わえないかわいさなのだと思う。だから私は、そのかわいさを無心に味わえるような親になりたい。そのためにも親は、頑張ることだけではなく「休むこと」も絶対に必要なんだよね、と改めて思ったりしています。