
またまた赤ちゃんのお世話を頼まれた話
以前、ファミリーサポートセンターから赤ちゃんのお世話を頼まれたことがあり、その時の奮闘記を投稿させていただいたことがある。ここでスマートに、「こちらがその時の投稿です」なんて言って過去記事を登場させることができたらかっこいいのだけれど、なにをどうやっても過去記事の貼り付け方が分からない。仕方ないのて貼り付けはあきらめて、その時の話をダイジェストにしてご紹介したいと思います。
お世話を頼まれた赤ちゃんが昼寝をしたくなったらしいが、どうしてもママに抱っこされながら眠りたかったらしく、ママを探して泣きやまない。お昼寝させるというミッションを果たせず、怒り狂う赤ちゃんと悪戦苦闘しながら過ごしました。
とまあ、だいたいこんなお話でした。その時はあれやこれや書いたのだけれど、まとめてみればたったの数行ですむ話でした。。
それにしても、あの時は本当に大変だった。赤ちゃんは泣くのが仕事とはいえ、あまりにも泣かれると「なにか私にご不満でも。。」と不安な気持ちになってしまう。それでなくても今は自分に自信を失っているデリケートな時期なので、たとえ相手が赤ちゃんと言えども、拒否されたらさらに自信がなくなってしまう。でもね、どんなに泣かれても、どんなに拒否されても、赤ちゃんのかわいさが忘れられなくて、それで熱にうかされたようにその余韻にひたりながら書いたのが前回の「赤ちゃんのお世話を頼まれた話」なのであります。
さて、そんな風に赤ちゃんのかわいさの余韻に浸っている私の元へ、ファミリーサポートセンターさん経由でまたもや赤ちゃんのお世話の依頼が舞い込んできました。幸か不幸か、今度の依頼は別のお宅からの依頼なのですが、依頼のお電話があった時はね、それはそれはテンション上がりました。「クビにはなっていなかったのね。よかったよかった」とまずは大きな安堵感。で、安堵感でほっとしたら次は「また赤ちゃんのお世話ができるんだあ」という喜びと「また泣かれたらどうしよう」という不安とが同時にこみ上げてきて、いざ当日を迎えた時は色々な意味でもうドキドキでした。
今度の赤ちゃんも前回と同じく0歳児。まだハイハイやつかまり立ちはできなくて、前進する時は、お腹を床につけたまま手足をバタバタしながら進みます。ほふく前進とでも言ったらいいのか。そしてね、前進する時もしない時も、腹ばいになって飛行機ブーンみたいなポーズをやたら取りたがります。「このポーズ、かわいいでしょ」とかわいこぶっているようにも見えるおもしろポーズなのですが、もちろんかわいこぶっているわけではなくて、本人は必死。顔は大真面目です。
さてお母さんが別室で休んでいる間、私は三時間延々と赤ちゃんと一緒に過ごすわけなのですが、正直何をして遊んだらいいのか、分からないと言えば分からない。保育園みたいに時間割りがあるわけでもないので、赤ちゃんのしたいようにさせ、話しかけつつも赤ちゃんの遊びをひたすら見守り続ける私。
それにしても赤ちゃんってすごいと思ったのは、部屋のドアの観察だけで数十分もつこと。ドアの木目をじっと見つめながら、「あー」だの「うー」だの言っています。何を言っているのか分からないのに、「そうだね」と無責任に相づちをうつ私。すると赤ちゃんは嬉しそうに私の顔を見上げて、ケラッと笑います。「この木目のここの模様が好きなの。分かってくれた?」と言わんばかりの嬉しそうな笑顔。「うん、そうだね」とまたもや無責任に相づちをうつ私ですが、赤ちゃんはとっても満足そう。
ドアの木目模様をなぞるように、何度も指をツツツーとすべらせる赤ちゃん。何が面白いのかさっぱり分かりませんが、こんなことで時間をつぶせる赤ちゃんに対してちょっと尊敬の念がわいてきます。赤ちゃんの辞書に「退屈」という言葉はないのでしょう。見るものすべてから貪欲に何かを学ぼうとする赤ちゃん。そこにあるものだけで自ら楽しみを見つけ出せる赤ちゃん。素晴らしいです。大人も見習いたいです。
とはいえ、まるで美術館に来たかのようにいつまでもドアの鑑賞にいそしまれても、私の方は飽きてきてしまい。美術館もいいけれど、ここらへんでちょっとアトラクションも楽しみませんか?と赤ちゃんを鑑賞以外のお遊びへとお誘いしたくなりました。うーん、アトラクション。なにがいいかなあ。せっかくドアに興味を持っているわけだから、ここから動かずにアトラクションを楽しみたいよねえ。
さてどうしましょう。赤ちゃんの横にぺたんと座って一緒にドアを鑑賞していた私は、とりあえず赤ちゃんの真似をしてみることにしました。たいしておもしろいとは思えませんが、ドアの木目模様に沿ってすーっと指をすべらせてみる私。すると赤ちゃんの指の動きが、ピタッと止まりました。木目模様をさわっていた自分の手のことは忘れて、私の指の動きを、右に左に上に下にと、必死で目で追う赤ちゃん。赤ちゃんには失礼ですが、ちょっと、猫じゃらしで猫とたわむれている気持ちになる私。そして次の瞬間、「パクっ」と言って私の手で赤ちゃんの手を包み込んでみました。「食べちゃうぞ」というように赤ちゃんの手の甲めがけて襲いかかり、「食べちゃったぞ」というように赤ちゃんの手をすっぽりくるみ込む私の手。
これがですね、もう大ウケで、赤ちゃんは顔をくしゃくしゃにしてそれはそれは幸せそうに笑います。お笑い芸人が舞台で初めてウケた時もこのような気持ちだったかもしれない、と心の中でひそかにガッツポーズを取る私。味をしめて、またドアの木目模様にすーっと指をすべらせてから、頃合いを見て赤ちゃんの手を「パクっ」と包んでみたところ、またもや大ウケ。「パクっ」がくる前は真剣な待ちの顔をしているのですが、「パクっ」がくるとそのたびに口を大きく開けてケララと大笑い。何回やっても飽きることなく喜んでくれます。よく飽きないなあと感心するけれど、でもなんだか楽しいは楽しい。こういう素朴な遊びが遊びの原点なんだよね、テレビもゲームもいらないよね、と私までちょっぴり童心に返った気持ちにさせてもらいました。なにはともあれ、アトラクション大成功です。
そうこうしながら楽しく遊んでいるいるうちに、だんだん眠くなってきたのか、しばらくたつと「ふええ」と少し泣きべそをかき始める赤ちゃん。ついに来ました。お昼寝タイムです。前回のお宅では、寝かしつけに大失敗した私。今回はしくじりたくありません。抱っこするべきかしないべきか。前回のお宅では、赤ちゃんがお母さんの姿を探し求めて私の手を払いのけていた状態だったので、寝かしつけようと抱っこしてもますます怒らせるばかり。赤ちゃんの怒りはすさまじくとてもお昼寝なんてできやしない、というさんざんな結果となりました。今回はさあどうなる。
どうかうまくいきますように。祈るような気持ちで赤ちゃんを抱き上げ、タテ抱っこしてみる私。「ふええ」とぐずり始めていた赤ちゃんがなんと、抱っこしたとたんおとなしくなります。よし、いい感じ。ヨコ抱っこだといかにも「さあ寝なさい」みたいな圧を赤ちゃんが感じてしまうかもと思い、あえてのタテ抱っこのまま「じゃあ、お部屋をお散歩してみようか。カーテンさんこんにちは。あら、窓さんこんにちは」と、あくまでも「遊びの延長」を演出しまくります。赤ちゃんはあまり抵抗する様子がありません。よしよし、いい感じ。まずは「抱っこする」という第一関門クリア。
でもね、油断するとまた思い出したように「ふええ」と心細げな声を出すので、体をゆらしたり適当に歌を歌ったりしながら、部屋の中をぐるぐる歩き続けます。しばらくすると「ふあ」とあくびをし始める赤ちゃん。あくび姿ががあまりにもかわいらしくて演技がかって見えるのですが、赤ちゃんが演技をするはずがありません。これは天然のあくびです。間違いありません。よしよしよし、いい感じ。まだ一度も大絶叫していないぞ。このまま平和に寝かしつけられたらどんなにいいか。
そう思っていたらですね、赤ちゃんが突然、私の腕にギューっと頭をすり寄せてくるではありませんか。自分の重みをあずけるように、頭を私の腕に押しつけてくる赤ちゃん。タテ抱っこをしているため、私の目には赤ちゃんの頭しか見えないのですが、毛がふわふわとまばらにしか生えていない赤ちゃんの頭が、ぐぐぐと私の方に傾くのが分かります。例えて言うなら、電車の中で横並びに座っているカップルがいたとして、女の子の方が「眠くなっちゃったあ」なんて言って甘えるように男の子の肩に自分の頭をあずける感じ。あの感じです。
赤ちゃんはおそらく、「この腕の中で寝よう」と決めたわけです。そう覚悟を決めたからこそ、自分の重みを私にあずけてきたのです。妄想かもしれませんがそう思いたくなるような、意志的な重みをぐぐぐと腕に感じました。そして数分後、そろりとお顔をのぞきこんでみたましたら、お目々をきちんとつぶってすやすやと眠っているではありませんか。
私にも寝かしつけができた!
私にも他人の赤ちゃんの寝かしつけができた!
今夜は赤飯だと叫びたくなるような達成感。それから数分後、そろーりそろりとベビーベッドに寝かせてみたところ、赤ちゃんはそのまま気持ちよさそうに眠り続けてくれて、それからあとの1時間半、私の仕事といえば、ベビーベッドのそばに座って赤ちゃんがうつぶせ寝にならないように見守ることだけとなりました。窓の外は気持ちのよい快晴で、部屋の中は赤ちゃんの寝息以外は物音一つしません。前回とはうって変わってあまりにも平和すぎるひとときに、これは夢ではないかとほっぺたをつねりたくなる私。
これが初仕事だったらたぶん、「赤ちゃんのお世話なんて楽なもんね」とこの仕事をなめまくっていたかもしれない。でも、前回別のお宅で赤ちゃんとの修羅場を体験した後だから分かる。この平和なひとときがどんなに尊いか。どんなにありがたいか。
悟りをひらいたような顔ですやすやと眠っている赤ちゃんを見ながら、私の口からこぼれ出た言葉は「ありがとう」これしかありませんでした。
自信のない私に少しでも自信をつけさせてくれてありがとう。私の考案したアトラクションに笑ってくれてありがとう。私の腕の中で眠ってくれてありがとう。
あんなにも大変だった前回の経験が、あれはあれで必要な伏線だったんだという気がしてならなくて、赤ちゃん以外に神様にも「ありがとう」と言いたい気持ちになった今回のミッション。きっと人生にはムダな経験なんてなくて、辛かったはずの経験が必ず伏線となって、いつか「あの経験があったからこそ、今ありがたさを感じられる」と思える日が来るのだろうなと思う。
そんなことを思いながら赤ちゃんの寝顔を眺めていたのだけれど、赤ちゃんは自分が一人の人間を救ったとも知らずに、すやすやと穏やかな寝息をたてていたのでありました。