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自分事と他人事

おはようございます。“学びで人生を楽しく”と掲げて日々勉強を続けている小学校教員です。  

最近、ある1年生の授業を見て驚いたことがあります。それは学びに興味・関心を示していないことです。

あんなに勉強したいとキラキラした目で入学してきた子たちですら、わずか半年で興味・関心を失ってしまうことがあるのだと衝撃を受けました。

そんな子どもたちを目の当たりにして、どうすれば学びに興味・関心をもち、主体的に学ぶようになるのだろうと考えてみます。

主体的に学んでいる子の特徴の一つは、学びを自分事としてとらえていることだと思います。大人に置き換えても同様で、自分事としてとらえていることは、主体的に取り組みますよね。

逆に、主体的に学べていない子は、学びを他人事に感じています。関係のないおしゃべりやおふざけは、まさに冒頭で述べた学級の子どもたちはこの状態でした。

たとえば、子どもたちが「自分が話したい・聞きたいから話し合っている」のか「先生が言うから話し合っている」のか、これだけでも全然違うと思うのです。

そう考えたときに、どのような授業のあり方が理想なのでしょうか。私が感じているのは、従来の画一的な一斉一律型の授業は、学びを自分事としてとらえるにはハードルが高いということです。

一斉一律型の授業において、メインの活動は「聞く」と「書く」です。伝えられたことを自分事として聞いて、書いて、友達と対話して、その中で学びを深めていくってかなり難易度高くないですか。

大人でも相当意識が高い人や自分からすすんで聞きにいった話でない限り、自分事として「聞く」と「書く」を遂行することは難しい思います。

そうであるはずなのに、学校現場ではやたらと「聞く」と「書く」に偏っているような気がします。

ここで私が提案したいのが、一斉一律をやめて、子どもが自己選択・自己決定して学習を展開していく授業です。

問題に対して、自分はどのように考えるか、学ぶかを決めるところからスタートします。これだけで授業は一変します。

そのためには、子どもたちが考え方、学び方を知っている必要があります。引き出しとして持っておく必要があります。

考え方、学び方を明示的に指導し、子どもたちの姿と結び付けて紹介し、価値付け、みんなのものにしていく。この過程を通じて、子どもたちは考え方や学び方を自分のものとして使えるようになっていきます。

自分なりの考え方で考えているとき、子どもたちは学びを自分事としてとらえています。問題に対してすすんで働きかけます。

それはつまり、45分ある授業で「自分なりに考える」と「書く」をメインの活動に置くということです。

そひて、自分なりに考えたことは誰かに聞いてほしくなります。自分が話したいから話し合う姿が生まれます。

私は授業のあり方をこのように変えたことで、子どもたちは学びを自分事としてとらえ、主体的に学ぶようになりした。

ただし、子どもたちは日々変化します。目の前の子どもたちが、いま学びを自分事としてとらえられているか。絶えず確認し、課題設定や環境設定をチューニングしていく必要があります。


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