女性ホルモンと情緒不安定
女性ホルモンを投与すると情緒不安定になります。
かなり個人差があるらしく、何も起きない人もいるらしい??のですが。
この件に関して、わたしはリアルな体験者であるので、ちょっと書き残しておきますね。
わたしはもともとこの世が好きではなく、
できるだけ早く人生を終わらせたいというか
すくなくとも長寿は全く望んでいない人で、
この世はくだらない場所だと思っていたのは
男性時代から変わっていないですね。
なので、
男性時代も女性化以降も共通して、
言ってみれば、物心ついた時からずっとずっと、死の願望と付き合ってきたわけです。
そうはいっても、男性と女性とでは死、、、
というか自殺に対する感覚が大きく違っていてですね。
男性時代はまるで遠い世界に旅立つようだった死というものが、
女性ホルモン投与であまりにも近い位置にまで来てしまい、理念としての死の願望ではなく、あまりにもリアルな、いまここに、すぐ目の前にある、死──────。
♡♡
数学者と哲学者は男性にしかなれない職業だと、わたしは信じています。わたしの書く文章には哲学的な趣きはたしかにあるし、文体については、とある読書家の方からいたく称賛されたものなのですが。
しかしそれでもわたしは哲学者にはなれないですよね。自分の書いたものに論理的一貫性を持たせるのは不可能ですから!
いつもいつも情緒不安定で、いつだって自分の感情に振り回されているので、一貫性を持った主張を行うのはそもそも不可能なのです。
ほかに、プロ棋士も圧倒的に男性のほうが強く、女性は弱いですね。
これは男女差別ではなく、同一ルールで勝負をすると、圧倒的に男性が勝利する確率のほうが高いということです。
思考の結晶のような囲碁や将棋に関しては、
あきらかに男性のほうが適性があるのです。
これは単純化して言えば
『思考を身体から切り離す』能力は
男性にしかないからです。
言い換えれば、
女性は身体から逃れられない。
同じ事実の別の側面として、
男性は『感情を身体から切り離す』ことが
ふつうにできますが、
女性は感情と身体が一体化しており、
女性は自分の感情から逃れられない。
とある男性、哲学者の趣きもある作家先生が
死についてこんなふうに語っていた。
死ぬのは常に他人であり、
死者も他人だ。
なぜなら自分が死んだ時にはすでに自分はいないから。
男性時代のわたしは、この見解に異を唱えることができるほど死について知らなかった。
が、
女性化したいまでははっきり言えますね!
死は実在であり、
死はいまもわたしの隣にいますよ?
って。
なにがちがうのでしょうか??
物事を把握し理解するには
①思考を使う方法と
②感情を使う方法と
ふたつあって。
①は男性的、
②は女性的だといえます。
人は死というものを
どのように知るのだろう?
それには他人の死を目撃する以外に
方法はない。
ならば自分が死んだときには
自分はすでに存在しないのだから
死ぬのは常に他人だ!
こんなふうに、
論理的に考え、論理的に結論を出すのは、
いまの世の中では正当であるとされますが。
思考と感情の二分類でいえば
『思考によって物事を把握する』
方法論、
ということになりますね?
一方で、
『感情によって把握する方法』
というのもたしかにあって。
いきなりぶっ飛んだ話に聞こえるかもしれませんが、
たとえば死者と交流するのは
意外なことに
『感情によって』
なのです。
感情はだれにでもあるもの。
しかし、
感情的(になる)、という言葉が、
単に『怒り(出す)』という意味に使われていることからも推測できるとおり、感情はあまり良いものだとは思われていないことも分かります。
でね、
男性と女性とでは
『保持している感情の量』が
桁違いに異なっていて。
感情とは水のようなもの。
男性の感情はペットボトル1本分。
女性の感情は沼か湖か大海のごとく。
単純にいえば、
自分で自分の感情に溺れてしまって
自分の意思では収拾できない状況に陥ることを
『情緒不安定』と呼んでいるわけですが。
男性にとって感情とは
自分の手で持ち運べるサイズのもので
女性にとって感情とは
身体ごと自分自身を溺れされてしまうほどのもの。
男性にとっては
感情とはペットボトルの飲料のようなものですから、ちょっとむせるくらいはあるかもしれないけど、まさか溺れることなど考えられない。
しかし女性の感情は大海ですからね!
嵐の夜と晴れ渡る朝とでは
生きている世界がぜんぜんちがうし、
そもそも
『自分自身よりも感情のほうが』
『はるかにはるかに大きい』
のだから、
気をつけないと
すぐにでも感情に丸ごと飲み込まれてしまいます。
♡♡
(※すこし脱線しますが、こんなふうにも言い換えられます。
男性は顕在意識が強く潜在意識が弱い
女性は顕在意識が弱く潜在意識が強い
顕在意識としての自分から見て、
感情=潜在意識は
男性にとってはペットボトル1本くらい
女性にとっては沼か湖か大海のよう)
♡♡
(※感情と潜在意識はかなり近しい、もしくは同じものであり、個々の瞬間における今の気持ち、ではなくそれらの感情を生じさせている総体が潜在意識であると言えます)
♡♡
♡♡
さて。
ここで唐突ながら
思考と感情の
『現代の常識における』
不均衡には
じつは男尊女卑が明確に関係しておりまして。
男尊女卑が当然の事実であるからこそ、
思考と感情の関係においても
『思考によって』
物事を判断するのは正しいことで
『感情によって』
物事を判断するのは、まちがっている。
そんな常識が成立するわけですね。
『思考によって』
物事を把握できる人は賢くて優れているが
『感情によって』
物事を把握しようとするのはバカ
感情なんかで物事を把握できるわけがない!
そんな社会通念が成立しているのは
カンタンにいえば、
思考と感情の均衡が崩れすぎていて
論理的思考力の発達に比べて
『正しい感情の使い方』が
まるで知られていないからです。
正しい『感情の使い方』が
知られていないのならば
正しく『感情の力を使いこなす』ことは
不可能になるばかりか、
そもそも
『感情には力がある』
という事実にさえ
目を向けることは不可能になりますね?
思考には
『論理的思考力』
という力があるわけでしょう??
(※ほかに、いわゆる思考は現実化するというときの思考は創造力でもあります)
同じように
感情にも特別な力は備わっていて、
『情緒的感応力』
とでも呼びましょうか?
霊能力、
として知られる能力は
基本的には感情の力によるものです。
感情には力がある、
というとき。
共感力、というのは
あきらかに『感情の力』ですよね?
それを
この世には存在しない、
いわゆる『目には見えない存在』にまで
拡張したものが霊能力だと考えれば、
ある程度、納得できるのではないですか?
わたしの実体験を振り返ると
女性ホルモンを開始したのは
2020年6月のことで
本格的に効果が出始めたのは
2020年秋から。
別の原稿に書きましたが、
わたしはわたしが
『なぜ女性になろうと決意したのか』
まったく説明できません。
どういうわけか
気がついたら女性化のプロセスは進展していて、引き返す道はすでに無く。
女性ホルモンの効果で、
2020年秋には
それはそれは激烈な情緒不安定に襲われて、
いつもいつも泣いてばかりいました。
女性になる、というのは
誇らしいことでは少しも無くてですね。
それは暗くて底の見えない沼に
ゆっくりゆっくり沈められてゆくようなもの
別の表現を使うと、
水のなかでしか生きられない生き物へと変化してゆく感じでしょうか??
そうして、
ここでいう水とは
もちろん感情のことです
感情とともにしか生きられない身体へと変化し、以前(男性時代)のように思考だけに特化された状態になることは二度と不可能になった。
あくまで比喩表現ではありますが、
男性は陸地を自由に動き回れるのに
わたし(女性)はこの沼からは
二度と、一生、外には出られない。
この感覚は、かなりゾッとさせられるものがあります。
わたしにとって
『女性である』とは
このようなものです──────。
♡♡
男に抱かれることを
『水揚げされる』
男と結婚することを
『出荷される』
このアカウント以外のすべての場所では、
性転換のことなど一切口を割らずに
はじめから女性として書いているのですが。
ずいぶんと迫真に迫った表現を次々と思いつくのは、女性であることの原体験が、沼に落ちて二度と陸地には上がれなくなり、沼地の生き物として生きてゆくしか無くなってしまった、
(言い換えれば自分自身の感情からは二度と一生自由にはなれないと思い知った)
という、底無しの転落体験だからですね。
理性を発達させ、
何事についても
高らかに理念を謳いあげることができるのは
男性だけの特権
女の身に生まれた(生まれ変わった)からには
低い低い感情という泥沼の底を
地道に掃除してゆくしかないのよ?
高そうな立派なスーツを着たおじさんたちが
談笑しながら小便器にぶちまけていて
同じ場所では、卑屈なちいさなおばちゃんが
だれに気づかれることなく床を掃除している
華やかな繁華街で
高そうな服を着て
派手に楽しそうに騒いでいるだけで
人生が進展してゆく男たちと、
暗くて寂しい惨めな場所で
自分の感情という名の便所の掃除を
生業にするしかない女、
あくまでこれは比喩でしかないものの、
『感情という名の汚水』が常に逆流してきて
自己否定や自己嫌悪、
いわゆる『自分は穢れている』という感覚から逃れられないのなら、
どうしてもそのようになってしまいます。
自分の感情と向き合うか、
見て見ぬふりをしたり逃げ出すかは
完全に本人の自由ではありますが。
感情、というものの大きさじたいが、
男女でそもそも違いすぎるので。
よほど意図的にやらないと、
女が自分の感情から逃げ出すのは困難。
逆によほど意図的に拾ってあげないと、
男が自分で自分の感情を把握するのは困難。
無邪気にただひたすら楽しくすごせるパリピは男性だけで、どんなに楽しそうにしていても女の子はトイレで泣いてたりするんじゃないの??
♡♡
当たり前すぎて話題にならないだけです。
およそ女の身に生まれたのなら、
感情というバケモノとどう向き合うかは
避けようのない大きな課題です。
男尊女卑が当然とされていた時代には
まったく当然のことのように
『女は馬鹿だ』とされてきましたが、
入学試験やら資格試験をみるかぎり
じつは全般的に女性のほうが賢い、
という事実が明らかになってきてしまって。
男は遊びたいだけ遊んでいても
『テストだけちゃんと合格できれば』
『出勤時刻だけちゃんと守れれば』
生きていけちゃうような身軽さがあってですね、
思考力をどうしても高める必要性に迫られることって、基本的に無いわけですよね。
ひきかえ女は、
強烈すぎる感情を抱えていて。
情緒不安定が日常なので、
『感情の扱い方』をマスターしないと
そもそも生きてゆけません。
女同士の人間関係では、相手の感情を害さない表現の仕方はとても大切です。
それに、
いちいち感情に飲み込まれていたら、
まともに生活できなくなるので、
自分で自分の感情のいなし方を、
否応なく習得させられることになります。
それは自分の感情を
『引いた目線で』
『客観的に眺める』
ということでもあり、、、
────それをしているのは思考力ですよね??
ほかに、
よく知られた事実として
女のほうが身体が弱くてですね、
男はプライベートで勝手気ままに過ごしていても、翌朝出勤時刻には出勤できる。
女にはそれはムリ。退勤したその瞬間から、次の日の出勤準備が始まっているようなつもりで体調とスケジュールを管理しないと、すぐにでも倒れてしまう。
そうしてもちろん、自分で自分をきちんと管理するには思考力を使うことになりますね?
こんなふうに、身体が弱くて体調管理が必須だからこそ、体調管理というとても身近なテーマに日々思考力を割くことができて、そんなことを毎日毎日繰り返しているのだもの、
何も考えずに行き当たりばったりで生きている人たちよりは、それはもぅ。
あきらかに賢くなりますよねぇ??
♡♡
女性ホルモン開始からの3年間で、
ほんとうに身に沁みて思い知らされたのは、
『身体が弱いので』
『気をつけないと』
『すぐに倒れてしまう』
ということ。
あたしだって仕事中に倒れたくはないから、
スケジュール管理や体調管理が
文字どおり『生活の中心』になってしまい、
こんなことって、、、。
男性時代は想像さえもしたことは無かったですね。徹夜で遊んだ後でもふつうに出勤できたし、体調を管理するという発想じたいなかったですから!
そうするとね、女ってのは、
半径○○メートル以内の生活圏だけで
人生が自己完結してしまい、
それ以上、
遠い場所には目が向かなくなるのです。
代わりに、そんな狭い世界に対して、うんと細かく目が届くようになる。
これって??
現状、言い出し辛い話題ではあるけれど、
やっぱり子育てに向いているのって
女なのでは──────??
まーあたしは子育てしたことは無いし、
今後もすることは無さそうだけど。
『半径○○メートル以内だけで』
あたしの人生が自己完結してる生き方の副産物として。
このアカウントをはじめ、あたしは、
3つのSNSで連続投稿を継続しておりまして。
いちばん短いこのアカウントで850日、
いちばん長い場所はなんと5年!
こんな生き方ができるのも、
まわりまわって女性ホルモンのおかげだったりするのですよね。
女性ホルモンのおかげで
①情緒不安定がひどい
②身体が弱い
その結果として
③日常生活にさえも思考力が必要になり
④半径○○メートル以内だけで完結する人生に
そんなふうに
日常生活と人生そのものが
イコールになる生き方をしていると
SNSに毎日書くことも
苦もなくできてしまったりもします💖
♡♡
こんなふうに振り返ってみると、
あたしはあたしが望んだ形で
『女になる』ことができたのかもしれない。
ミスコンに出られるとか
オトコにちやほやされるとか
身体売るだけで稼げるから人生楽勝とか
(↑ナンダソレ💢)
そんなよそ行きの話じゃなく
日常生活をつつがなく運営できることのほうが、はるかに大切ですから。
男性時代は鏡をみるのも苦痛だったし、
家にいることじたい苦痛だったし、
男性として文章を書こうとしても
自己紹介さえおぼつかないありさまだった。
あの頃に比べたら、
たしかに、
あたしはあたしになれたよね??
♡♡
それはそうと。
いまから女性ホルモン投与を考え中の
MtFの方に強く忠告したいのは、
女性ホルモンによって得られるものは、
女性としての
『華やかな部分』
ではなく
『汚くて暗くて目を背けたくなる』
側面であること。
度を越した情緒不安定によって
その部分に否応なく目を向けさせられるようになること。
自分自身の穢い部分が、
盛大に拡大コピーされて
目の前に貼り出されていて
その場所から立ち去ることは許されず
ずっとそれを直視しなくてはならない。
って、
想像できますかね??
そして、
それを“見ている”のは自分だけなのに
あたかも
赤の他人にもすべて見られているような
ひどい妄想ももれなく付いてきて、、、
って
想像できますかね??
みすからの感情によって
地獄めぐりの旅をさせられ─────。
それはそれは、
死んだほうがマシなくらいのものだ。
自殺願望が湧いてくるのが
当然に思えてくるくらいの。
耐えられる??
ムリそうなら、
『女としての自分』を表現するのは
週末の女装だけに留めておいたほうが吉◎
でもね、
生まれながらの女性たちは
こんなどうしようもない生き地獄に
『思春期の頃からずっと』
当然のように耐えてきたのです。
そのおかげで、
扱えるようになる能力があり、
また、そのおかげで生じる、
女同士の連帯感もある。
あたしはそこに入りたかった。
過酷な、過酷な試練の末に、
あたしはその夢を叶えたのでした💕💕💕
〈おしまい〉
🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤
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