私が目指す「強さ」とは。 「アサーティブ」という言葉。
お久しぶりです😊
1週間、お休みを頂きました。
久しぶりの投稿で少し緊張してます。笑
今回は「強さ」と “assertive” (アサーティブ)について書きたいと思います。
私は物心ついた時から「強くなりたい」と思っていました。何となく、「英語が話せるようになると、自分ではなく他の誰かになれるかも」と信じていました。
もちろん他人にはなれませんでしたが、英語によって健康的な自分が生まれたのは確かです。
最近、私が思う「強さ」を考え直しました。
共感して頂いたり、誰かの参考になれば嬉しいです😊
“assertive” (アサーティブ)とは?
私は昔、ホストファミリーからこんなことをよく言われていました。
You should be more assertive!
You are not wrong so have confidence!
もっとアサーティブになるべきだよ!
あなたは間違ってないんだから、自信をもって!
assertive (アサーティブ)を辞書で調べると、こんな意味が出で来ます。
assertive (形容詞) 言い張る、独断的な、断定的な
日本語に訳すと、結構強気な言葉です。笑
この日本語は、私の知ってるアサーティブと合わない…と思ったので、色々調べているとこんな記事が出てきました。
ここには、こんな風に書かれていました。
assertive とは?英英辞典で調べてみました。
Behaving in a confident way so that people notice you.
人々が自分を分かってくれるように、自信を持ってふるまう。
ちなみに、Confident (自信) という言葉を聞くと、自信満々なというイメージを持ちますが、決してそんなことはありません。Confidentを英英辞典で引くと次のように書かれています。
Sure that you can do something or deal with a situation successfully.
何かをできる、状況に適切に対処して成功するということを確信すること。
これがしっくりきました。
例えば、ある授業を受ける時に、先生が自信なさげにおろおろしていたら、少し不安を感じますよね。笑
「この先生、大丈夫かな…?」
という印象を受けるかもしれないです。
逆に、先生が堂々と自信を持って授業をしていたら、なんだか安心感があります。威圧感を与えるのではなく、「私についてくれば大丈夫だよ!」という安心感。
この感じがまさに「アサーティブ」だったんだと気付きました。
私がなりたい 「強さ」 とは。
私は昔から、周りの方からこんなことをよく言われました。
「貫禄がないよね。」
「断らないでしょ。」
「はっきりと言わないと分からないよ!」
よく言えば「優しい」のかもしれませんが、私にとってはとてもコンプレックスでした。
とりあえず笑って誤魔化すことが多かった私。
「私はへらへらしてて、弱い人間なんだ。人に使われやすい人間なんだ。もっと強くならなければ。」などと、小学校の頃から感じていました。
その上トラウマもあり、自分を心底嫌ってた時期も長かったです。
「もう疲れた」
「こんな風にはもう生きれない」
とりあえずカナダへ逃亡しました。笑
それから、カウンセリングを受けたり、ジャーナリングを始めたり、講師としてのキャリアを積み始めたり。
自分自身や、自分の過去と向き合うことを、心に決めました。
それから、カナダと日本を行き来しながら、自分と向き合い、もう6年ほど経ちます。
正直なところ、昨日まで、未だに「強くなりたい」と思っていました。笑 しかし、ここまで来て少し諦めの気持ちが湧いてきました。
それとともに、疑問が湧いてきました。
私が言う「強くなりたい」はどういうものなのか…
わからなくなってきたので、考え直してみました。
• 威圧感を与える
• 上から目線で、人を見下す
• 自分の意見を押し付ける
• がめつく、人を平気で傷つける
… これらは目指していないことを、再確認しました。
• 何も成してなくても「自分は自分でいい。自分はここに居てもいい。」という、自分を認める強さ。
• どんな過去も現在も未来も、全て受け入れて、噛み砕いて、飲み込み、処理する心の強さ。
• 「できる」と自分を信じて、確信する強さ。
• 周りの人が自分を分かってくれるように、自信を持って振る舞う強さ。
まさに「アサーティブ」であることを目指していたんだと、やっと気付きました。気付くのが遅すぎて、自分で自分にビックリです。笑
講師をすることが、アサーティブに繋がった。
私は初めて講師として仕事をした時に、こんな壁にぶち当たりました。
• 威厳がない
• 受講生に不安を与える
• クラスコントロールができない
当時私はまだ20代半ば、受講生の半分以上の方は、私より年上でした。よく言えばフレンドリーだったかもしれませんが、まさに、先程の例の「自信なさげにおろおろしている」講師でした。
そんな自分が嫌で嫌で、やはり向いていないのかも…とさらに自信を無くしていた時、ある方から威厳を見せるアドバイスを頂きました。
それは「黙る。」でした。
小学校の時に、誰でも一度は経験したことある、先生が黙るやつです。笑
受講生を静かにさせる手法は、カナダでも変わらないんだと知りました。笑
私はそれを試しました。
顔は無表情、むしろぶっきらぼう。3分は黙ったと思います。しかし、心の中はバクバクで半泣きでした。笑
「もう受講生全員に嫌われる」
「もう明日から誰も来ないかも」
「ボイコットとかされたら立ち直れない」
そんな考えが頭の中をぐるぐる。笑
...
クラスが静まり返りました。
その後熱く語りました。でも何を熱く語ったのか全く覚えていません。笑
「お互いを尊重しなければ授業は成り立たない」みたいな、当たり前のことを熱く語った気がします。笑
次の日から、受講生はとても協力的になりました。
素直に、自分の立場や役割、そして気持ちを伝えると、こんなにも分かってくれるんだ、という感動は今でも忘れません。これは、私にとっては大きな成功体験となりました。
それからというもの、私が講師として働いていた時は、こんなことを心がけていました。
・受講生に不安を与えないように振る舞う。
・受講生に信用してもらえるように振る舞う。
• 時には威厳を持って指示をする。
「この先生なら大丈夫」「この先生なら頼れる」と思ってもらえるように振る舞うことを心がけました。
実際、心の中ではおろおろ、「どうしよう〜😱」となる場面も多々ありましたが(笑)なるべく見せないように頑張りました。
当時の私のモットーはこちらです。
Pressure makes diamonds.
圧力がダイアモンドを作る。
Practice makes perfect.
継続は力なり。
Fake it till you make it.
成功するまで、成功しているフリをしろ。
未だに普段はヘラヘラしていることが多い私ですが、仕事の時は堂々と授業をすることを心がけて、働き続けました。そんな時、ある方から私の授業についてコメントを頂きました。
「先生は、講師室にいる時と教壇に立つ時、雰囲気が全然違いますね。教壇に立った瞬間に、スイッチが入るというか。ビックリしました。別人かと思うほどでした。」
このお言葉を頂いた時、とてもとてもとても嬉しかったです。
私は講師という職業を通して、アサーティブな態度を取れるようになっていたことに、最近気がつきました。もちろん普段は、残念ながらやはり威厳や貫禄はありませんが…
それなのに、「もっと強く、もっと強く」と、幻想を追いかけていたのかもしれないことに、最近気づきました。
HSPだった。(多分。)
最近知った言葉を自分のモノのように使ってしまい、すみません。笑
HSPとは、Highly Sensitive Person の略なんですね。生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味だそうです。
診断テストをオンラインで受けてみました。私は中程度のHSPだそうです。… 自分をなんとか変えようとしてきた私にとって、これを受け入れるのには、少し時間がかかりそうです。
でもこれで、つじつまは合いました。
トラウマのせいで、自分を心底嫌いになったと思い込んでいましたが、思い返すと、トラウマを負う前から、自分が嫌いだった気がします。
断れない。
人に頼れない。
共感しやすい。
深く情報を処理する。
過剰な刺激を受けやすい。
心の境界線がもろい。
自己否定が強い。
全て当てはまります。笑
昔から何かをお願いされると、反射的に「いいよ」と言ってしまう性格で、親から「嫌やったら断らなあかんよ!」と言われてきました。それでも断り方が分からず、「自分さえ我慢すれば…」と思ったことも沢山あります。中学では「利用されるだけだから、友達なんていらない」と人と距離を置いたりした時期もありました。
他にも、昔からテレビドラマなどで、誰かが刺されるシーンを見ると、「痛い」と身体が反応し、刺された部分を手で押さえていました。笑
そんな私を見て、家族が「血出てないで!」「なんでやねん!」と大笑いしていたことを思い出しました。笑
季節の変わり目になると、匂いで四季を感じていました。天気も匂いでわかりました。「夏の匂いがするな〜」と言うと、妹から「は?お姉ちゃん何言ってるん?笑」と言われた覚えがあります。
中学の時、社会の授業で第二次世界大戦の映画を見ました。当時は「興味がない…」と思い、半分くらいしか見ていなかったのに、人が死ぬシーンで私だけ過呼吸になり運び出されました。笑
HSPについてネットで調べるうちに、今ここに書いた記憶が全て蘇ってきました。
私はこれまで、「トラウマさえ乗り越えれば、自分を変えれる。強くなれる。」となんとなく信じて、ここまで頑張ってきました。
PTSDを乗り越え、EMDRの治療も受けて、やっと山を越えれそう…!というところに、次の山、HSPが見えてきた…😱もうムリ… 自分ってなんなの… という感情に、正直今も襲われています。涙
一時期は取り乱しましたが、とりあえず、今私に出来ることを考えました。
まず、HSPを知り、自分を知ること。
(ううう…受け入れることから… 涙)
そして、対策を取る。脳をトレーニングする。
( この世で生きていく不都合を改善する。「ちょっとお醤油を取って」を言えるように頑張ります…笑)
そしたら、自分の人生を自分できちんと歩けるような気がします。
HSPの人が英語を習得するメリット。
私は英語に助けられた人生を送っています。私のような、「断れない」「頼れない」方にとって、英語を学ぶことはメリットがある気がします。
研究者でも何でもないので、科学的根拠などはありませんが、私が感じたメリットを少しご紹介します。
① 感情や態度を表す形容詞が多い。
今回の「アサーティブ」もそうですが、英語には日本語には単語としてない、感情や態度を表す形容詞が多い気がします。私が自分の気持ちを探る時は、英語の形容詞の感覚を使うことも多いです。
英語に限らず、他の言語を習得することで、自分の気持ちがよく分かるのではないかな、と思います。
② 謙譲語や尊敬語がない。
英語には、丁寧語はありますが、謙譲語や尊敬語はありません。つまり、英語を使うと、自分がへりくだることができません。
英語を使うとなんとなく自信が湧いてきた理由はここにあるのでは、と思います。誰かの上でも下でもなく、人と対等に話ができる感覚は、「ここにいていいんだよ。自分でいて良いんだよ。」と言われてる気がしました。
③ 断りやすい、頼りやすい。
英会話に通っていた頃、「断り方」や「頼り方」を練習しました。もちろん英語の練習でしたが、私にとっては倍のメリットがありました。
一つは英語の練習。そしてもう一つは、日本語でもできない、断る、頼る練習です。笑
この結果、英語でなら何となく断れる、頼れるんだけど、脳が日本語に切り替わった瞬間、断り方や頼り方が分からないという、不思議な現象が起きました。笑
例えば、”Can I ask you a favor? “ なんてフレーズは、フレーズごと覚えて練習しました。カナダでは、「習ったフレーズだし使ってみよう」と思って使ったこともありますし、今では必要に応じて使うことができます。
このフレーズ、”Can I ask you a favor?” を日本語に訳すと、こうなります。
「(ちょっと)お願いがあるんですが」
「ちょっとお願いがある」なんて強気な言葉、正直日本語ではあまり言えないです… 笑
そんなことを先に言ったら、相手に「お願いを聞き入れないといけない」というプレッシャーを与えてしまうのでは…などと色々考えてしまい、後ろに「無理なら全然大丈夫なんですが…」などと色々付け加えます。笑
英語では抵抗感が少ないのに、日本語では使いづらい。そんな不思議な現象が起きたのですが、結果、健康的で少し強気な自分が生まれました。
自分の人生を、自分でコントロールする。そのために他言語や英語を習得するのは有りなんじゃないかな、と思います。
まとめ。
今回は色々話が飛びましたが、私が考える「強さ」と「アサーティブ」について書いてみました。練習あるのみです… 断る練習、人に頼る練習、堂々と振る舞う練習を普段からしないといけないな、と気付きました。
そして「アサーティブ」であること。
自分の気持ちや意見を、肯定する気持ち。
そしてそれをはっきりと相手に伝えて、なお、相手を傷つけないスキル。まだまだ未熟者で失敗もたくさんしますが、心掛けていきたいと思います。
今回はとても自分の気持ちにフォーカスした記事になりましたが、共感して頂けたり、参考にして頂ければ嬉しいです😊
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。