「失感情症」はどのように生まれたのか(2)

「失感情症」とは、自分の感情を認知したり、感情を言葉で表現したりすることに障害を感じることを言う。

わたしは、気がついたら「失感情症」に陥っていた。
https://note.com/climate_mountain/n/n70f14c6a8714

それは、いつからなのか。

小学校時代は、素直な感情で過ごし、
喜怒哀楽・好き嫌いをハッキリ表に出す子供だったと思う。

一方中学・高校にかけては、自分の「ほんとうの感情」が思い出せない。

勘違いされることも多いが、それは無表情だったわけではない。
むしろいつも笑顔で、楽しく過ごし、
多少の辛いこと・しんどいことも仲間とともに乗り越えてきた、
そんな感じの青春を過ごしていたと思う。

だけど、それは、「素直な自分」ではなかった。
喜怒哀楽も、好き嫌いも、ほとんどが打算だった。
傷つくことがあっても、いつも笑顔の自分を演じていた。

その一瞬、その一瞬、自分がどう感じていたかなんて全く気にかけてなくて、とにかく嫌われない/好かれる自分でいようと必死だった。

どうしてそんな行動を取るようになったんだろう?
小学時代の天真爛漫さはなぜ消え去ったんだろう?

一つ、明確に覚えているきっかけがある。
小学校で人気者だった兄が、中学に入って突如いじめに遭ったことだ。

兄はそこから立ち直ることができず、
結局転校して中学を変えたが、引きこもり、何事も続かない、
全く別の人間になってしまった。(少なくともそう見えた。)

「中学で周りに溶け込めなかったら、人生が一瞬にして終わる。」

幼いながらにそんなことを、無意識に感じ取ったのだと思う。

(もちろん今考えれば、あの時兄の人生が終わったわけではない。
もっというなら、兄がいじめられたからって、わたしがいじめられるとも限らない。兄と私は別の人間であって、性格や考え方もまあまあ違う。でも当時のわたしにはそんなメタ認知能力はなく、ただただ身近な人の不幸ないきさつを目の当たりにして、怖くて、心配で、震えるような思いをした。)

その時あたりから、ちょくちょく夫婦喧嘩をしていた両親の仲も
悪化の一途を辿るようになった。
第一子である兄の学校生活が、どうも思うようにいかない。
転校させても、あまり変化が見られない。
父・母はそれぞれ責任を感じたり、押し付けあったり、
どうしたらいいか分からなくてお互いにぶつかり合い、
とにかく家庭内でギクシャクすることが急増した。

そんな家族を見ていたわたしは、心のどこかで、
「わたしだけはしっかりしなきゃ。両親を困らせたらだめなんだ。」
と無意識に思うようになった。

こんな不安定な家庭環境の中で、
もちろん不安で、苦しくて、気が塞がるような気持ちになることが、
何日も、何日も、途中からは毎日続いたけど、
わたしがここで泣き崩れるわけにはいかない。

だって、両親も、兄も、すでに苦しんでいるのだから。

これ以上、苦しみの原因を作ってはならない。

本能的な何かで、そう考えるようになっていた。

ここあたりから、「ほんとうに感じている感情」を、
実の家族にすら、出さなくなっていった。

というか、「ほんとうに感じている感情」を出したら、
しんどくて、苦しくて、悲しくて、嫌になって、
もう全てが絶えられなくなる、
そんな恐怖感もあったから出せなかったんだと思う。

代わりに、
どんなに不安があっても、迷いがあっても、
勉強や部活がうまくいっていなくても、

「わたしは大丈夫だよ。勉強もうまくいってるし、部活も頑張っているし、友達だってたくさんいるよ。」そんなことが伝わるような生活を一生懸命過ごすことに必死になっていた。


そうしてそのまま、友人にも、ほんとうの感情は出さなくなった。

「兄みたいにならないように」と、
絶対に嫌われない・仲間外れにされないような言動を選んで選んで、
どうにかこうにかやり過ごすようになった。

つまり、「勇気を出して本音を言ってみる」とか、
「本当のだらしなくてしょうもない自分を出してみる」とか、

そういった腹を割った付き合いはしなくなった。
「腹を割る」=「嫌われるリスクを孕む」と思ったから。

たしかに腹を割って、ほんとうの自分を出すことは、
一部の人からは嫌われる可能性はあるだろう。
ただし一方で、一部の人からは、大好きになってもらえる方法でもある。

でも当時の自分はそんなことも知らなかったし、
嫌われるリスクがとにかく絶大に見えてしまって、
「耳障りの良いことだけ言う」「感じ良さそうな態度だけとる」
そうすることで、仲間外れにされない道だけをひた走っていた。

あともう一つ、わたしが感情を出さなくなった要因がある。

それは父親だ。

父は、愛情深い一面もあったが、
喧嘩となると感情の爆発をどうにも抑えられない性格だった。
母と喧嘩をする時、大声で怒鳴り、感情をぶつける。

そんな父を見て、母はだんだん対処の仕方が分からなくたり、
並行してどんどん心の距離が離れていく。

二人の努力も虚しく、結局わたしが中学卒業と同時に両親は離婚した。

そんな父を見てわたしは無意識に学習していた。

「感情をあらわにする事に、良いことはない。
 周囲の人を嫌な気持ちにさせ、結果、人が離れていくだけだ。」

「人間が持つ醜い感情は、理性で仕舞い込むのが得策だ。
 感情に任せて振る舞っていては、良い関係は築けない。」と。

たしかに怒りの感情を、爆発的にぶつけつづけたら、
周りの人も離れていく。それに間違いはきっとないだろう。

ただ一方で、人間は感情があるからこそ、
思い出を深く記憶することができるし、
人とも深く繋がることができる。

そんなことを知らなかったわたしは、気づかないうちに、
「感情」=「不要なもの」
という方程式を自分の中に確立させ、

「感情は感じるだけ無駄。麻痺させたほうが楽だ。」
そんなふうに思うようになっていた。

こうして、「失感情症」の温床を生んだ。


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