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推しではない"好き"ならある

推しというワードは、いまでは市民権をもっている。いまこの世の中で、推しが〜と言って通じないことはめったにないだろう。推しのおかげで幸せ!推しは推せるときに推せ!推しカラー、推しネイル、推し活、、

第1印象はやさしい雰囲気だし気が合うかも、なんて思ってたのにちょっとウザくなってきたぞ。どこもかしこもブームだからって推しを前に出しすぎやしないか。

というのも、飽き性で趣味といえるものがないわたし。どれもこれも続かないから熱中してる間も、冷静さを忘れられないのがさらに拍車をかけている。
どうせまた数ヶ月後には冷めてるかもって思いが常にあって、なるべくお金を使わない範囲で楽しむクセがついてしまった。

これは、推し活との相性が悪い。だって推し活はいわば経済活動。心の中で愛でていることを世間は活動とは言わない。

お金をかける、かけない、なんてのはその人の自由選択だとわかりつつも思わずにはいられない。わたしの"好き"は推しまでいっていないんじゃないか。というか、これは好きと言ってもいいのか。そんな不安にかられてしまう。

幼稚園児みたいにこれ好き〜!と無邪気に言えたのっていつだろう。次の日には忘れて違うものに興味がうつったとしても、その時その瞬間は全力で好きでいた。

お金にはじまり、この歳でこれを好きなのは大丈夫か、人に引かれないか、、
大人になるにつれ、ほんとーーに余計な情報だけが増えすぎた。

あぁ、もっと気楽にもっとカジュアルに楽しいことをしていたいだけなのに。
言葉にしばられすぎて、好きなことも楽しめなくなるのはもったいない。

って、こーんな気持ちもどうでもよくなるぐらい、推しってのはいいんだろうか、、
知らない世界を知りたい気持ちはあって、頭のなかゴチャゴチャしてきた。

ここらで、いったん落ち着こう。周りに流されるな、じぶんのペースでいいんだ。深呼吸、深呼吸。

ふぅ〜、、

よそはよそ。うちはうち。
周りと比べてもしょうがないッ!!





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