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「健常者」「障がい者」って何だろう。うつ病を乗り越えた今、思うこと。

おはようございます!こんにちは!こんばんは!

今、この投稿を何時に読んでくださっているのか、分からないので、ひと通りの挨拶をしておきますね(笑)!

最近のわたしは、毎朝7時半に起きて、日光を浴びに外に出て、約2時間、散歩する生活を送っています。

少し冷たくなってきた風を感じながら、サイクリングするのが楽しすぎる〜!
飽きてきたら、チャリを置いて、歩きます!

朝だけじゃなくて、夜も散歩します!

昨日の歩数は、23,997歩。一昨日は、18,869歩。
引きこもっていた時期は、1,000歩だったのに…(笑)。
ヘッドフォンを付けたら、永遠に歩けそうです!

また前置きを長く書いてしまいましたが、今回は、わたしがうつ病を患っていた時のことを、紹介しようと思います。

2つのトピックを紹介したいのですが、
①わたしが、どうやってうつ病を乗り越えたのか。
②うつ病を乗り越えた今、思うこと。
を紹介しようと思います。


発信しようと思ったきっかけ

きっかけは、自分の引きこもり時代を発信後、友達に会う度に、「サリってどうやって復活できたの?」と、聞かれたことでした。

自分の中で、元気になっていった要因は分かっていたけれど、発信するかどうかは、すごく悩みました。

なぜなら、センシティブな問題だと思うからです。

個人的な考えを含んでしまうので、読者を傷つけてしまう可能性も、あるからです。

なので、今から発信することは、"イチ経験者のエピソード"として、読んでもらいたいです。

いま、見えないどこかで、苦しんでいる方の役に、少しでも立てますように。


適応障害、抑うつ神経症、過食症

わたしは、この3つの病気と闘っていました。

でも、この病名がすぐついたわけではなく、判明するまでに、かなりの時間がかかりました。なぜなら、根本的な問題から、ずっと目を背けていたからです。

わたしの1番の問題は、コロナ禍での大学生活に、上手く適応できなかったことでした。

大学1年次は、ほとんど全てがオンライン授業。2年生になって、対面授業になると聞いて、一人暮らしをしたのですが、対面とオンラインの繰り返し。

誰とも喋らないで1日を終えることが、頻繁にあり、急に対面授業になっても、その波についていくことが出来なかったんです。

でも当時は、このことを、精神科の先生や、親に言うことが出来ませんでした。

わたしは、大学1年生の時、語学力を上げたくて、親に頼んで、大学内にあった国際寮に入れてもらいました。

先輩が作ってくれた、オリジナルパーカーを着て、クリスマスパーティをした時の写真。
韓国人のオンニ達とも仲良くなれて、多くのご縁を育めた寮生活。

2年生の時は、一人暮らしをさせてもらいました。

ひとり暮らしを初めて、まだ3週間の時の写真。ダンボール机、愛用してました…(笑)。

こんな恵まれている環境にいるのに、「大学にいくのが辛いんです。」なんて、先生や親の前では、絶対に言えなかった。

だから、他に思い当たる要因を、手当たり次第、病院の先生に伝えたけれど、当たり前にしっくりきませんでした。ずっともやもやが残っていました。


精神科に通って

自分が精神科に通うなんて、思ってもみなかったけど、自分ではもうどうしようもなくて、お父さんに連れて行かれるがまま、病院に向かいました。

わたしが通っていた病院は、薬物療法ではなく、自分のマインドを変えていく、"根本療法"といわれる治療法を、推奨するところでした。

なので、わたしは薬は使わずに、治療をしていきました。

去年の12月16日。もう訳もわからず、涙をボロボロ流しながら、自分の症状と、思い当たる原因を伝えたのを覚えています。

わたしの症状と原因を聞いた先生は、こう言いました。

あなたは、自分に厳しすぎるよ。だから、周りを見る目まで、厳しくなってしまう。どれだけ寝ちゃったって、いいじゃない。どれだけお父さんに迷惑かけたって、いいじゃない。

その言葉を聞いた時、言葉を選ばずに書いてしまうと、
「何を言ってるんだろう。」と思いました。

こんな自分を、世間が許してくれるわけがない。

家族に迷惑をかけている自分が、嫌でたまらないのに、何でそんな無責任なことを言うんだろう。

先生の助言と、わたしの考えにギャップがありすぎて、全く受け入れることが出来ませんでした。

でも、"自分の考えが間違っていた"と、気づいたのは、2つ目の病院に行った時のことでした。


真逆の考えを持つ先生

3ヶ月経っても、治る見込みが全くなかったので、大学病院に連れて行ってもらいました。

うつ病の症状として、「思っていることを言語化するのが難しくなる」ことがあるのですが、まさにその状況が、自分にも起こっていました。

友達のLINEにも、返信が出来ないのです。言葉が浮かばなくて、何ヶ月も返せないことがありました。

そんな状況下で、必死に今の状況を先生に伝えました。でもやっぱり、言い切った感じはなく、もやもやが残っていました。

その先生には、こう言われました。

あなたは、親御さんに甘やかされすぎて、育ったかもね。両親がいなくて、もっと辛い思いをしている人だって、いっぱいいるんだよ。

言葉が出ませんでした。

家族に迷惑をかけている自分が1番嫌なのに。自分が1番分かっているのに。

診察室の扉を閉めた瞬間、ずっと胸のうちに溜めていたものが、ブワーッと溢れてきました。

"わたし、どうやって治していこう。"
大きな大学病院だっただけに、期待していたので、お先真っ暗でした。

そこから、もっと言葉を発することが怖くなって、自分を責め続ける期間に入ってしまいました。

結局は、最初の病院に戻ることにしたんです。


時間はかかったけれど・・・

病院に行くことすら、嫌な時もあったけど、他に解決策は見つけられなかったので、通い続けました。

「どんな自分も受け入れよう、認めてあげよう。」
1つ目の病院の治療法を、根気強く続けたことで、少しずつ、自分を認めてあげることが出来ました。

もし、2つ目の病院に通い続けていたら、もっと自分を責め続けて、さらに鬱の状態が酷くなっていたかもしれません。

わたしが引きこもり状態と、うつ病から、復活できた1つ目の要因は、自分と相性の合う病院に、通い続けたことでした。


ありのままの自分を、肯定してくれた存在

前の投稿で紹介したのですが、"他の人と違ってもいいや"と思わせてくれた、友人B君の言葉で、心が外向きになっていったのが、2つ目の要因です。

自分らしくいられない時も、友人と家族が、ありのままの姿を受け止めてくれたこと。社会に対する不適応感に苛まれ、そのストレスの矛先を、家族に向けてしまった時でも、味方でいてくれたこと。

どんな自分も受け止めてくれた存在がいたことが、自分を認めてあげるきっかけになり、回復へと導いてくれました。


わたしにも、明るい未来が待っているのかな

先ほど紹介したB君がきっかけで、「まずは、いろんな職業を知ろう!そのために、大学外で、話を聞きにいこう!」と思い、6月中旬から、自発的にアクションを起こし始めました。

詳しくは、前に発信した投稿を読んでいただけると、幸いです。

その中の、1番最初にお会いした人が、わたしに希望を与えてくれたんです。

その方は、教員免許を取得した上で、教育に関する、更なる深い学びを得るために、大学卒業後、2年間のオーストラリア留学をした方でした。

彼は現在、塾講師と高校の非常勤講師、友人の英会話教室のお手伝いをしている方です。

わたしにとって、彼の働き方が、あまり馴染みのないものだったので、「どこかに所属して、雇用されることだけが、全てじゃないんだ!」と、衝撃を受けました。

幼い頃から英語が好きなわたしは、英語を使ったを仕事し、1つの職場に縛られず、ワクワク生きている彼の姿から、「わたしにも、こんな未来が待っているのかもしれない…!」と、自分の将来に、希望を抱けたんです。

ワクワク生きている人生の先輩に会うことが、わたしの1番の特効薬で、回復へ導く、3つ目の要因でした。


3つの要因

振り返って思うのですが、自分に相性の合う病院に通っているだけでは、良くならなかったかもしれません。

”どんな自分も認めてあげよう”
その考え方を、何百回も自分に落とし込んだこと。
元気のない自分も、受け止めてくれた、友人や家族がいたこと。
外に出て、アクションを起こしたことで、希望を見出せたこと。

"わたし"が、回復していくには、どれか1つでも欠けていたら、難しかったかもしれない、と思うのです。


他人と比べること

鬱の症状が酷かった時、わたしはよくインターネットで、自分と同じ症状を持つ人を探していました。

マイノリティになるのが嫌で、「自分だけじゃない。」と、思いたかったんだと思います。

例えば、YouTubeで、「人に会うのが怖い うつ病」と検索したり。
そこでヒットしたものを見るのですが、わたしの場合、一時的に気分が楽になっても、長期的には効果がありませんでした。

2つ目の病院での経験も経て、個人的に思ったのは、
「他人と比較をしても、自分を楽にはしてくれない。」ということでした。

心の病は、目には見えないから、深刻さとか比べようがないし、もう当本人が辛いと思っていたら、どの程度でも”辛い”んですよね。

人に判断されるものでは、ないんじゃないかな、って思うんです。


「健常者」と「障がい者」

3つの病気を患ったわたしは、大学で「障がい者」として扱われ、合理的配慮を受けました。

最初は、「障がい者」と言うワードに、言葉では表現できないほど、複雑な感情を抱きました。

でも、気づいたんです。
「健常者」「障がい者」そうやって区別していたのは、自分自身だったと。

自分を責め続けた時期を乗り越えた今は、偏見がなくなり、名前でカテゴライズしないでいいんじゃないかな、って思います。

合理的配慮を受ける権利はあっても、名前で分類される必要はあるのかな、って。


うつを経験したわたしに、できること

人の性格ではなく、環境が要因で、誰でもうつ病になり得ること。
マイナーなことじゃないんだよって、伝えたいな。

「もし、うつ病を患っていても、この先患ってしまっても、自分を責めないでね。それほど、自分に向き合って、葛藤しているあなたは、本当に偉いよ。もう生きているだけで、あなたには、十分すぎるほどの価値があるんだからね。」

あの時のわたしに、掛けてあげられなかった言葉を、掛けたいです。

同じように苦しんでいる友人がいたら、これから苦しんでしまう友人がいたら、直接的な支援が出来なくても、
「何かあったら、いつでも駆けつけるからね。」
「どんな姿でも、自分らしくいられなくても、大好きだよ。」
という姿勢で、受け止めたいな。

今回も、長く書いてしまいましたが、ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます!

Thank you for reading my post !:)






























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