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拒食症カルトとボディファシズム

※この記事は「Post the body fascist」を翻訳・編集し、訳注をつけたものです。



90年代に脚光を浴びたスーパーモデル、ケイト・モスを想像してみてほしい。金髪、青い目、そして何よりも、スレンダーな体型。病的に痩せた体型に対する人気は、あの頃から衰えていない。最近では、アデル、リゾ、キム・カーダシアンといった有名人の影響でふくよかな体型が流行っているし、衣服の平均サイズも増加傾向にある。それでもファッション業界やメディアでは、未だに痩せた体型が主流となっている。インスタグラムでも、太った体型を肯定しようとするムーブメントが盛んだ。しかしそれも、「細さ=美」という長年の図式を崩すまでには至っていない。

ネットの少しダークな界隈には、まるで狂信者のように自らを痛めつけ、苦行に励む少女たちのコミュニティーが存在する。そこでは、互いを飢えさせたり、あざけり、侮辱し合うということが、半ば儀式のように公然と行われている。最も酷い虐待を受けるのは、信心深さのあまり、自分のことを当初よりも罪深い罪人だと思いこんでしまう者たちだ。こうしたやりとりはグループチャットや相互フォロワー、あるいは巧妙な暗号のネットワークを介して行われる。だが、暗号を見破られて規制を受けるケースも少なくない。

拒食症は、UseNetの時代からインターネットと共にあった。若い女性たちは1990年代から、細く見せる裏技やダイエットのアドバイス、BMIの数値をやりとりしてきた。こうした拒食症を肯定するウェブサイト(通称プロアナ)は当時から物議の対象となっていて、その心理を探ろうとする論文や雑誌が多数出版された。2001年にはテレビ番組でも取り上げられ、その存在はお茶の間にまで知れ渡るようになった。その結果、ヤフーなどの企業はこうしたプロアナコンテンツを規制するようになったが、ネットに慣れ親しんだ若者にとって、規制をかいくぐることなど造作もなかった。

一部のサイトはインターネットプロバイダーによって閉鎖されたり、管理人が放置したことで活動停止状態になった。しかし、多くのサイトは無料のホスティングサービスを渡り歩き、「骨の髄まで愛してる」「サバイバー」といった、一見してわかりにくい名前を使うことで閉鎖を免れている。2008年にインターネットセキュリティ会社が行った調査によると、2006年から2007年にかけて、プロアナサイトやプロミアサイトの数は470%も増加したという(プロミア=過食症を肯定すること)。また、プロアナ掲示板の最大手である「myproana」は、2012年のサイト開設以来、40万人以上のユーザーを擁し、2000万件以上の投稿がなされている。

拒食症は精神病か否か

こうした掲示板で活動する若い女性や、タンブラー、インスタグラム、ツイッターといった新しいSNS世代の女性たちは、「拒食症=精神病」という認識に否を付きつける。彼女たちにとってプロアナとは、自分の心と体をコントロールすることであり、病気になすすべもなく苦しむことではない。ケイト・モスの有名な格言、「どんなに美味しい食べ物も、痩せているという快感にはかなわない」は、決して治療が必要な患者の発言ではなく、真っ当な生き方なのだ。

「汝、カロリーを計算し、それに従って摂取量を制限すべし」
「体重計の言うことが最も重要である」

こうした教義の数々は、次々と妄想が伝染していく感応精神病のようにネット上に拡散されていく。それが正しいことなのだと信じたい少女たちによって。

どんなネットコミュニティにもインフルエンサーがいるものだ。拒食症で有名なユージニア・クーニー、アシュリー・アイザックス、ドリアン・ブリッジスといったインフルエンサーたちは、何百万ものフォロワーから愛され、そして嫌われている。ゴシップ掲示板では、ファンを装ったアンチが体調を心配するふりをして杞憂民を演じたかと思えば、くだらない悪口を書き込んだりしている。彼らを狙うのはアンチだけではない。騒動に乗じて注目を集めたいvloggerたちは、彼らの動画を削除して騒ぎを起こそうと、削除依頼をYoutubeに送り続けている。だが、成果は上がっていない。

拒食症と表現

プロアナコミュニティやインフルエンサーは、「表現とはどうあるべきか」、「そして誰が表現に値するのか」という重要な問題を投げかけている。拒食症は、うつ病や不安症のように扱われるべきなのだろうか。脚本家や番組プロデューサーからの配慮が必要な、その人にとって不可欠な個性として扱われるべきなのか。あるいは、拒食症という単語を使ったり、拒食症の人を登場させるだけで、「細い方が美しい」という考えを助長してしまうのだろうか。だが、メディアでの描かれ方をいくら議論したところで、ネット上に溢れ返るチンスピレーションコンテンツ*1 やフォトショップ加工の前では無力に等しいのも、事実だ。

ネットに巣食う拒食症カルト

ネット上の若い女性たちをこうした価値観に駆り立てるのは、政治的な主義主張ではない。それはむしろ、対人関係の暴力である。ネット上の拒食症コミュニティは権威主義的だ。そこでは、互いを攻撃し合うフレネミー的な関係性が不可欠となる。

「侮辱や罵倒を浴びることは、痩せるために必要な対価」
「礼儀正しいやりとりは禁止」

こうしたルールを掲げる「ミーンスポ (meanspo)」*2 と呼ばれるグループチャットに、少女たちは互いを勧誘しあう。ツイッターにはこうしたチャットへと勧誘するメッセージが並び、中には「リクエストに応じて罵倒します」という呼びかけをする者もいる。それは例えばこんな具合だ――「ねえ何よ、あんたベイマックスみたいじゃない、気持ち悪い。さっさとプランクでもしてきなさいよ」。

このような虐待的な友人関係は、相互フォロワーから始まることが多い。そして次第に、誰よりも食べる量を減らすという、命を落としかねないような「底辺への競争」にのめり込んでいく。世間を震撼させたネクセウムカルトのDOSプログラムは、彼女たちにとってはごく当たり前の日常の一部でしかないのだ。

K-POPスターのチンスポコンテンツ、サイギャップ*3 、ヴァイオリン・ヒップ、アニメコスプレイヤーの白い肌に浮き出た肋骨――こうした画像を拡散することで、彼女たちはネット上のファンダムやサブカルチャーに対してソフトパワーを行使する。とりわけタンブラーでは、こうした活動が盛んだ。タンブラーにはタグ機能があるため、既存のコンテンツを検索したり、新しいコンテンツのシェアが簡単にできる。コミュニティに名前をつけることもできるため、仲間を見つけやすく、他のSNSでの勧誘も容易だ。もちろん、「#拒食症」タグは規制の対象となっている。だが、関連タグ機能を使えば、規制を回避するために作られたタグを簡単に見つけることができる。

最近では、似たようなコミュニティが続々登場している。例えば、ルックス・マキシング(容姿の最大化)、ミューイング(舌の位置を調整して顔の形を整えること)、ボーン・スマッシング(顔を叩くことで骨の形を矯正しようとすること)などがそれだ。このような現実離れした美容テクニックは、列挙に暇がない。その根底にあるのは、美のヒエラルキーを昇り、ブサイクを服従させたいという願望である。

広告、映画、テレビ。美のヒエラルキーは至るところに存在する。社会的な集団の中では、誰もが自分の持っている相対的な魅力をはっきりと認識し、外見のレベルに見合った役割を担っている。自称ブスでデブな少女が「おもしろキャラ」を自称するケースがいかに多いことか。こうしたヒエラルキーに抗おうとしても、化粧やファッションだけでは難しい。しかし、サイズが全ての世界では、体重を減らすだけでヒエラルキーを昇ることができる。

極右ファシストとの共鳴

そしてこの、「細く、美しく、魅力的でなければならない」という強迫観念は、2020年のファシストが抱く美意識とも共鳴している。彼らが好んで投稿する画像といえば、フランスやイタリアの美しい田園風景と、そこに写る容姿端麗な若い白人カップル。女性の方は決まって華奢な体型をしている。彼らにとって女性らしさとは、豊満な体型ではない。それはむしろ栄養失調気味な細身で、現代社会にうんざりしていて、そこから救い出してくれる脂ぎった大男を待ち望んでいる、そんな女性なのである。ルーベンスの絵画のような女性では、思い通りに従わせることができないというわけだ。ただし、ルーベンス自身の妻たちはかなり従順であったのだが、それはさておき。

肉体改造に対する関心は、ネットの極右コミュニティでも高まりを見せている。「インセル vs チャドミーム」が示すように、ボディビルディングやウエイトリフティングは単に体を鍛えるためだけのものではない。それは政治哲学の表明であり、反動的な運動にコミットしていることの証なのだ。

Bronze Age Pervert (通称BAP)のようなネット上のインフルエンサーたちは、古代オリンピアの精神をオンライン時代に合わせてアップデートしてみせた。BAPやマノスフィアの喋る胸筋たちによれば、ひ弱な体を克服するには「伝統的な男らしさ」こそが唯一の特効薬である。鍛えるべきは体だけではなく、精神もだ。デッドリフト、アンチフェミニズム、レッドピルを日課にすれば、どんな冴えない男でも、女の誘惑に打ち勝つ屈強なアルファ男性に生まれ変わるという。2000年後半から始まった大規模な女性嫌悪運動「MGTOW」*4 以来、こうしたインフルエンサーたちは、女性蔑視や外国人排斥に加えて、人種差別も武器に加えてきた。

レッドピル界隈では、肉体的な魅力こそが有意義な人生を送るための絶対条件となる。極端なケースでは、痩せ細ったネズミのような人間は内面の腐敗が顔に現れているから滅ぼされるべきだ、といった過激な主張がまかり通る。そこまでいかなくとも、「俺が恋愛で失敗するのは顎の形のせいだ」「身長が188cmないからだ」と嘆く自称インセルもいる。だが、矯正治療や成長ホルモンを駆使すれば、彼らも彼女を手に入れたり、支配者民族の一員になれるという話らしい。身体は戦場ではない。それはむしろ、カリスマ政治家が登壇するための舞台である。

こうしたカリスマ政治家の一人であるBAPは、2018年に自著『青銅器時代の思考(Bronze Age Mindset)』を上梓し、現代を「最も堕落した時代」と批判した。ところが2019年の対談では、BAPは現代男性のテストステロン値やポルノの誘惑にどう抗うべきかについて語るばかりで、いわゆる政治的な話題にはほとんど触れなかった。現代を批判するわりに政治の話をしないのは妙に思えるかもしれない。だが、この界隈では、世界のリーダーたちの“テストステロン値”を語ることこそが、まさに政治なのである。(参考

「普通のテストステロン値を持つ男たちが、今の西洋に蔓延るトルドーやメルケル、メイみたいな虫けらの支配を受け入れると思うか?ちなみに第三世界ではテストステロン値はもっと低い。この現代病は熱帯のスラムのほうが深刻だ。ともあれ、トランプみたいな高テストステロン男は、ただ自分がヘタレの去勢野郎じゃないと示すだけで勝てるんだ」

BAPはその業績と人気ぶりを認められて、保守思想界の旗手たちに歓迎されてもいる。実際、クレアモント研究所の『アメリカン・マインド』誌には、BAPのイデオロギーに関する論考がいくつか掲載された。「生命の本質」(要するに精液)についての議論や、「ゲイ・フェミニストの腰抜けどもから政治を奪還せよ」といった主張は正気の沙汰とは思えないが、それでも右派の「知性派」たちの注目を集めているのだ。クレアモントの評論家で、トランプ政権で国家安全保障高官を務めたマイケル・アントンも、BAPのアルファな体格に注目する。「BAPは身体の健康、美しい容姿、人間の価値との間に本質的な結びつきがあると主張している」と述べたアントンは、最後にこう結論付ける。「BAP主義は勝利を収めつつある」と。

(とはいえ、BAPによる古代ギリシャ神話の歪曲は、ヴァッサー大学が運営するサイト「Pharos」など、より主流派からの批判を受けている。)

右派ボディファシストにとって、テストステロンと筋力は政治的美徳そのものだ。彼らにとってダンベルを持ち上げる動作は「祈り」であり、スクワットの一回一回がボディファシスト教会での説教に等しい。こうしたファシズムと結びついたボディビルダーの存在は確かに憂慮すべきものだが、決して新しい現象ではない。ボディファシズムが寿ぐ若さと男らしさの理想は、初期ファシズムに端を発するからだ。

ファシズムの歴史は、常に鍛え上げられた筋肉とともにあった。例えば、レニ・リーフェンシュタールのプロパガンダ映画『オリンピア』では、逞しい上腕二頭筋が頻繁に映し出される。それもそのはず、肉体の健康は軍事力の象徴とされてきたからだ。
第三帝国が理想とした彫刻のような超人像は、今なお姿を変えて生き続けている。それはジム通いの筋トレマニアや、サプリを売りつけるアレックス・ジョーンズ風の男、あるいはジムの鏡越しに撮った自撮り写真と差別的な投稿で埋め尽くされたTwitterアカウントの主として現代に息づいている。
ボディビル界隈でも病的な食習慣は珍しくない。しかし、サプリや完全食、引き締まった体への信仰とも言える執着は、肉体と政府を同じように秩序立てようとするプラトン的欲望と地続きだと言える。

体を鍛えるからには、食事も厳しい審査の対象となる。大豆(ソイ)は悪魔の食べ物であり、支配者民族の一員が口にすべきものではない。エストロゲンの女性化作用によって長年のトレーニングが無駄になる可能性があるからだ。弱々しい男を意味する「ソイボーイ」という言葉もあり、右派インフルエンサーのポール・ジョセフ・ワトソンによれば、こうした男性は覇気がなく萎縮した性器を持つという。一方、牛乳は正義のマナであり、米国各地で行われているプラウドボーイの入会儀式にも登場する。

典型的なアメリカの食生活も彼らには忌避すべき対象である。ただし炭水化物が多いからではなく、反ユダヤ主義からくる嫌悪感だ。ネットでは「今すぐZOGCHOW(シオニスト占領政府が作る餌)に反乱を起こせ!」といった主張が散見される。要するに、アメリカ政府はイスラエルに操られており、彼らは意図的に有害な化学物質を食品に混ぜ込み、怠惰で弱々しい人間を作り出しているというのだ(そこにはフェミニストも加担しているとされる)。

危険なダイエット法、加工食品であふれる戸棚――消費主義は私たちの食との関わり方を支配している。低炭水化物ダイエットやカフェインピルなどは、もはやスナック菓子のごとき扱いだ。最近では地元の農産物を直接販売する直売所が増えてはいる。それでも、自分で食べ物を育てる人はごく少数に留まるのが現状だ。大半の人は、テレビCMやインスタグラムのステマ広告、品薄商法などに乗せられて買い物カゴを満たす。そうした観点から見れば、「zogchow」を食生活から排除することは、不健康な食品を売りつける大企業の抑圧に対する抵抗でもある。

スタイリッシュなイメージの演出は、ナショナリストの常套手段だ。かつては軍服にヒューゴ・ボスのデザインを採用していたし、今では田舎暮らしを讃えるブログ(幸いにもレズビアンたちが「コテージコア」として奪還した)や、ヴェイパーウェイヴといったグリッチアート系トレンドへと進化している。
もっとも、ナショナリストが大口を開けた「ソイ顔(soy face)」を晒すことなどあり得ない。なにしろ彼らの理想とする姿は、モダニズムの退廃への反動から生まれ、磨かれたものだ。「強欲で国際的、ブルジョワ的な退廃」が伝統的な社会を破壊したという認識がそこにはある。ファシストが推し進めた肉体鍛錬の反乱は、近代が生み出した贅沢、それも彼らに言わせれば、「堕落者のための贅沢」に対する批判であった。
カーディ・Bの性的スキルを誇る歌やタバコを吸うといった些細な放縦すら、彼らには小さな終末に映る。そうしたものが先祖伝来の故郷を廃墟へと追いやる元凶なのだ、と。

男性の肉体――その隆起した筋肉と神聖なフォルムは、英国ファシスト運動(BUF)の核心に刻み込まれていた。だが、女性もまた厳しい審査の対象であった。1936年のメーデーにて行進するフェミニストたちを目にしたBUFの女性メンバー、アン・カットモアはこう語った。

「ぼさぼさの髪に分厚いツイードジャケットを羽織った太った女が目に入る。そのだらしない体つき、太った脚、膝下までの短パン、そして性格……内面からも外見からも薄汚さが漂う。彼女を見ていると、同じ人間であることを恥じるばかりだ。こうした人々こそ、冷酷な文明社会から弾き出された存在だ。だが、彼女たちが脅威となるのは、ただその数が増えているという一点においてのみだ」

政治化する拒食症カルト

ファシズムの曖昧な反資本主義において、現代を断つことは一種の政治的かつ精神的な戒律である。現代に触れることは罪と見なされ、その贖罪は「飢餓」によってなされる。インスタグラムのフィードに映るぽっちゃり体型のモデルたちがソイラテを啜る姿に耐える苦行は、BMI計算アプリのスクリーンショットを投稿して、危うい「飢餓ゲーム」の中で承認を求める行為でしか浄化されない。

ネット上の偉大な戦士たちは、彼らの思想上の祖先と同じように現代を忌み嫌う。中でも特に彼らが憎悪を抱いているのが、現代の女性、それも「自然の理に背いた」と彼らが見なす女性である。女性の身体は、政治的支配の最小単位である。それを支配しない手はない。

インターネットは優しい場所ではない。そこは詐欺師やイデオローグ、そして「インフルエンサー」たちがあなたを操ろうと待ち構えている世界だ。とりわけ身体に対して劣等感を持つ人は彼らにとって格好の餌食である。捕まったが最後、有名人が勧める下剤やサプリメントを買わされ、挙句の果てには匿名掲示板で秘教的な哲学や「拒食症がいかにカリユガを加速させるか」について語り合うようになる。

ネット上の拒食症コミュニティで使われる「ひそか」なタグシステム、あれは実のところ全くひそかではない。フェティシストたちに乗っ取られているのは言うまでもなく、思想オタクたちにもいいように利用されている。彼らはイデオロギーの新たな信者を勧誘するため、「#チンスポ」タグやインセル掲示板を徘徊し、感受性豊かな若者に狙いを定める。「ここに来れば、仲間と楽しく喋ったりAmong Usで遊んだりできるよ」と信じ込ませれば、カルトを作れてしまう。
12歳かそこらで4chanの悪名高い/b/板を覗いて以来、ネットに取り憑かれた者は数しれない。そうなったら最後、知られざる珍しい思想を見つけるまでウィキペディアを彷徨い続けることになる。極左だろうが極右だろうが関係ない。集めた中で一番マニアックで謎めいた思想がそのまま彼らの政治信条となる。そしてその難解な知識を共有するコミュニティを作り、最も奇妙な思想を布教し続けるのだ。

その結果生まれるのが、「カリユガ加速主義(Kaliacc)」などの狂信的なセクトだ。彼らは拒食症をブランドの一部として取り入れている。もっとも、自分たちの思想が万能でないことは彼らも分かっている。感謝祭の席で保守派の叔父を唸らせて、宗旨替えを決心させることができるような代物ではない。しかし、それが16歳の孤独な少女だったらどうか。居場所がほしいという切実な願いを持つ彼女たちには、それが救いの手のように映るのだ。

その結果、こうしたツイートが飛び交う。

「#チンスポ女子は男のボディビルダーの女性版であり、身体を美の頂点まで鍛え上げている。ブスどもはいつもホロコースト並にガリガリの拒食症患者の写真をリプライしてくるが、あれは実際の病気と引き締まった身体を一緒くたにして現実逃避しているに過ぎない。ボディビルダーの写真に毎回シンソール注射の画像をリプライするのと同じくらい愚かだ」

あるいは、

「ギリシャの彫像や豊穣の女神像を引っ張り出してくる怒れる贅肉女どもが理解していないのは、「痩せた少女」の永遠の美しさは単なる「細さ」にあるのではなく、それが現代の文脈において象徴するもの――脆弱、崇高、洗練、犠牲、贖罪――にあるということだ。これこそ究極の女性像だ」

リプライ欄には、低体重を誇示するかのようにBMI計算アプリのスクリーンショットがずらりと並ぶ。これらのアカウントは「キュート・マフィア」の一員だと嬉々として名乗り、まるで仲良しグループのようなノリだ。リプライをさらに見ていくと、その中には本当に10代の少女が紛れ込んでいることが分かり、背筋が寒くなる。インスタグラムの美学系アカウントが拒食症を助長する流れが止まらないだけでも問題なのに、学校の成績を心配すべき年頃の少女たちがサヴィトリ・デヴィの要約を読みふけり、ハイパーボリア人種の発展を願って今日3杯目のアイスコーヒーを飲んでいるのだ。これはもう冗談では済まされない。

2015年以前の昔の拒食症コミュニティと比べると、まるで別世界だ。当時皆が夢中になっていたのは、200歳なのに見た目は18歳の吸血鬼が登場する小説とかそんなものであり、政治色はほぼ皆無だった。自分の体だけが管理の対象で、それ以上の政治的な広がりを持つこともなかった。それでも闇であることには変わりないが、その闇がさらに深まっているのが現状だ。こうしたコミュニティはKaliaccに限った話ではない。「トラッドキャス(tradcath)」と呼ばれる伝統的カトリックのSNS界隈も、宗教上の名目もあるとはいえ同じように厳しい要求を信者に課している。

最近行われた対談の中で、KaliaccのリーダーSunnyとSonyaは、自分たちのプロジェクトを「秘教的なグリルピル(esoteric grillpill)」と表現している。要するに、カリユガの衰退から逃れる術はないと諦観し、北欧神話に基づくハイパーボレア社会を再構築して、世界の終焉を乗り切るのが目標だと言うのだ。そして彼らは、かつての人種科学者たちと同様に人間を「品種」と見なし、異カースト間の結婚が金髪碧眼のバラモンを劣化させてしまったと嘆く。

SunnyとSonyaは、自身が女性の「ふりをしている」ことも公言している。もっとも、信者たちは気にする素振りも見せずにオカルト思想の布教に励んでいる。というのも彼らの理屈では、性別に囚われるのは低カーストの証であり、高カーストの「高IQ」な男女は中性的であるべきだからだ。

「自我のない」投稿や、右派の有名アカウントとの小競り合い、魅力的な美学、等々。そうしたものを武器にして、多くの人々を右派政治に引き込むことに成功したと彼らは自慢げだ。SunnyとSonyaは男性だが、女性を取り込むことにも余念がない。とりわけ無防備な10代の少女たちを狙い、Twitterのプロフィールに#プロアナや#チンスポといったハッシュタグを並べている。その一方で、これは未成年者を狙ったグルーミング行為ではないかという、真剣な告発も現れ始めている。

こうした若者たちの個人サイトを覗くと、まるで本気でヒンドゥー教に傾倒し、ダルマやカーリー女神、古代の苦行主義に心酔しているように見える。しかし、そうかと思えば、自分たちの信念をネットミーム的な冗談として笑い飛ばす仕草も散見される。実際のところ、彼らは皮肉に取り憑かれた「皮肉中毒」の若者世代であり、ネタと本気の間を常に反復横跳びしているのだ。
反近代主義とヒンドゥー教や仏教の苦行主義が結びついた結果、危険な拒食症までもがネタ的なミーム思想として扱われるようになった。そこでは、太ももに指を巻きつけた女性の写真が、Kaliaccのリーダーたちへの生贄のように捧げられる。まるでいかがわしい儀式を執り行うセクハラ教祖のように。



こうした小規模なオンラインサブカルチャーが恐ろしいのは、その信者たちの年齢だ。多くが自称10代であり、低BMIや高IQへのカルト的な執着は憂慮すべきものだ。ただ、コミュニティの規模が小さいことを考えれば、彼らもいずれこうした活動から卒業するだろうと希望を持つことはできる。それでも、反近代主義に流行ダイエットの仮面をかぶせたような思想が、(表向きは)左派の人気アカウントにも広く見られる現状を考えると、楽観視するのは難しい。

さらに厄介なのは、拒食症を教義の中心に据えているナショナリスト集団はKaliaccだけではないことだ。4chanのファッション板「/fa/」では、長年にわたり「チンスポ総合スレ」や「アウシュヴィッツ・モード」といったスレッドが、ナチス美学を称賛するスレッドと並んで存在していた。しかし画像掲示板の衰退に伴い、彼らはTwitterに活動の場を移し、東方プロジェクトのアイコンやIQ値をプロフィールに載せて、同志と繋がろうとしている。

保守主義が新たなパンクロックになることは決してないが、ファシズムのカウンターカルチャー的な魅力は、ネット上に深く根付いている。それはSNSの最前線で繰り広げられている小さな文化戦争の数々を見れば明らかだ。カエルのアニメ絵は人種差別的なのか、それともリベラルが過敏すぎるだけなのか。トランスジェンダーのゲームキャラは、ストレートな男性を弱体化させ、ゲームを台無しにするための陰謀なのか。ゲームのキャラ選択画面のような無害なものさえ、全面戦争の引き金となるサラエボのラテン橋になり得る。このピーターソン的ポストモダン・ネオマルクス主義への拒絶は、ついに人間の体の形にまで及んでいる。


-------訳注-------

*0 ボディファシズム (body fascism) - 人の外見、特に体型やサイズについての極端な見解。外見至上主義。

*1 チンスピレーション (thinspiration) - 痩せることを推奨するような「やせ願望コンテンツ」のこと。「チンスポ」と略されることが多い。「痩せた」を意味する「thin」と、「励まし」を意味する「inspiration」の合成語。

*2 ミーンスポ (meanspo) - いじわるな励まし。「いじわる」を意味する「mean」と「励まし」を意味する「inspiration」の合成語。罵倒されることで痩せるモチベーションを高めようとすること。

*3 サイギャップ (thigh gap) - 立ったときに太ももの付け根にできる隙間のこと。美脚の証とされ、アメリカのティーンの少女たちの間では、この隙間を作ることが流行っている。

*4 MGTOW (Men Going Their Own Way) - 女性との関わりを一切絶ち、自分を高めることを追求するムーブメントやオンラインコミュニティを指す。

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