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同じ日本人として誇らしくは…ない。
大谷翔平選手の快挙は
同じ日本人として誇らしいです!
という物言いに、疑問を持っています。
だってどう考えても
おこがましい。
多くの「誇らしい」らしい人たちと同様、わたしは大谷翔平選手に何の貢献も寄与もしていない、ばかりか会ったことも見たこともありません。
それをただ「日本人である」という薄ーい共通点で一緒くたにし、誇りに思ってもよいものでしょうか。
同じ男性/女性として誇らしいです!
かわいそう、かどうかは自分で決める
コロナ禍に学生だったり就職活動していた若者はかわいそうだ、と誰かが言っていました。
かわいそう。
そうでしょうか。
いや、大変だっただろうなとは思います。
きっとわたしの知らない、味わったことのない困難があっただろうなと。
でも「かわいそう」ではないかもしれないと思うのです。
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かく言うわたしは「あなたは素敵なお母さんを持って幸せね、感謝しないとね」と色々な人に言われながら育って
寛容になりましょう、でいいのか/不適切にもほどがある!
如何ともしがたいモヤモヤを抱え、ときに我慢しきれずそれを放ちつつも、最終話まで何とか観たドラマ「不適切にもほどがある!」について。
…とは言えドラマ鑑賞中ずっと不愉快だったわけでもなく、人生の最終回が決まっていることの切なさに感じ入ったり、昭和/令和あるあるにクスリとなったり、令和にタイムスリップしていた主人公が元の時代に戻り、かつて昭和に生きていた頃には当たり前だった当時の常識に疑問を呈する場
ふてほどは多数派の物語、だからモヤモヤするのかも
不適切にもほどがある!(通称:ふてほど)というドラマについて、先日「中2男子には昭和がよく見えるのかもしれないけど、わたしは絶対戻りたくないし、まじで無理」という記事を書きました。
若い頃から、数々の宮藤官九郎作品で励まされてきたわたしは、このドラマに第1話からずっと大いなるモヤモヤを抱きながらも視聴し続けてしまい、でも夫以外の周りの人々は大体「クドカン面白い!」「最高!」論者で、わたしの感じた
中2男子には昭和、いいのかも(だがわたしは無理)/不適切にもほどがある!
違和感。
このドラマを見ながら、あ、そういうことなの?そういう方向性なの?令和のコンプライアンスめんどくさい、昭和礼賛的な感じなの?
あー…
と思いました。
家でも学校でも公共交通機関でも
ところ構わず四六時中タバコをスパスパ吸い
セクハラやパワハラが横行し
(というかハラスメントという概念が無く)
抗議すると「愛のムチ」という言い逃れが通り
声を上げる側が煙たがられ疎まれ潰される
わた
笑ってる≠楽しんでる
うっかり笑ってしまったけれど
本当は嫌だった
わたしはひどく傷付いていた
…ということに、その場では気付かなくても、後から思い返して確信する瞬間って、ありますよね。
ドラマ「SHUT UP」の中で、1人の大学生がかねてより憧れていた先輩に誘われるまま性行為をしたけれども、後から性的同意について知識を得て初めて「あれは不同意だった」ということに気付くシーンが描かれていました。
憧れていたのは本
古き良き時代、なんて存在しない
昭和末期に生まれ、平成、令和と生きてきて、つくづく「あの頃はよかった」なんてのは思い込みだなと感じます。
例えば
今はコンプライアンスばかりで面倒、と嘆く人。
あなたの、他者を慮ることのない好き勝手な言動で深く傷付いてきた人たちは、今の世の方がマシだと思っていることでしょう。
あるいは
昔は社員同士の絆が深かった、と懐かしむ人。
あなたの目には入らなかったのでしょうか。
給料天引きで積立さ