キリヤマ

21歳、俺、文化を知る。

キリヤマ

21歳、俺、文化を知る。

最近の記事

「君たちはどう生きるか」感想、考察

公開からかなり経ってようやく観ました。 他の人の考察をほとんど見ずに僕が思った感想と解釈書いていきます。ネタバレすごくしてます。 なんで眞人はケンカで負けた後、頭を石で傷つけた?眞人は大叔父に「これは悪意だ」と言った。 では、誰に対する悪意? 父かな? このケンカの時点での眞人にとっての主要人物は父くらいしかいないと思われる。ナツコさんは出会って数日、悪意を抱くような相手ではないと思う。 金持ちアピールのせいで酷い目にあったんだぞと。 だけど、父は何がダメだったかじゃなく

    • 迷わないこと

      迷わないこと。疑わないこと。これは強さに直結する。 だが迷わないこと、疑わないことで間違えた道を行ってしまった時、それは弱さになる。 だから僕は決断する時までは迷ったり疑うが、決断の後は迷わないし疑わない。 迷うことや疑うことは痛みを伴う。頭の中がいっぱいになってよくわからなくなる。 たくさん迷うことで、決断に自分なりの優先順位が生まれてくる。 自分なりの優先順位が1位のものはそのまま自分の軸となる。 僕は心配性なので、この自分の軸が破壊されることも想定している。 最終的

      • なぜ人は理解や共感を求めるのか

        僕は感情が希薄な人間であるせいなのか理解や共感を求めることに疑問を感じる。 自分のことを理解してほしい。共感してほしいなどというのは自分の価値を他人にゆだねているようで嫌だ。 それ以上に他人の評価を気にして自分の軸がぶれるのが嫌だ。 こんなこと言ったら嫌われるかな。こんなこと言ったらおかしいと思われるかなとかを考えて当たり障りのないことしかできなくなるなんて嫌だ。 NoteもそうだがSNSでは自分の発信したことに対していいねの数が顕著に数字としてあらわれてくる。 気にしない

        • 俺は生まれてきてよかったのかに対する答え

          これは漫画ワンピースで、海賊王ゴール・D・ロジャーの息子であるエースが世間でロジャーが酷評されているのを聞き、祖父のような存在のガープに尋ねた質問だ。 結論から言えばこの問いに対する画一的な答えはない。 俺は生まれてきてよかったのか まず、よかったのか悪かったのか判断する人は誰なのか。 そして善悪の基準のあいまいさ。 単純に生きる意味を問うのとはまた違う質問になってしまう。 人間が生きる意味をあえて一般論で言うとすると種の存続と文明の発展だと思うが、実際にそんなことを生き

          昔のほうがよかったとかいう奴

          昔はよかったとじじいどもは言うけれど文明は必ず発達する。前に戻ることはない。ここから変えていかなければならない。 今の世の中より昔のほうがよかったという人もいるが冗談じゃない。今は昔よりも犯罪は減ってきているし、社会的弱者も生きやすくなっている。底辺は底上げされてきていると思うんだ。 確かに昔のほうがよかったんだろうなって話を聞くぶんには僕もそう思うこともある。 だけど、例えば昔のほうがいろんなことに寛容だったっていうけれど、そういうことに関して規制を厳しくさせたのは僕た

          昔のほうがよかったとかいう奴

          社会が求めるレベルが高すぎる件

          社会というのは今拡大している。 例えば裏社会は廃止される傾向にあるし、ひきこもりのネット社会にもこの法治社会の勢いを広げている。 法治社会の人間から見れば裏社会やひきこもり、社会的弱者もそうか?搾取されるだけに過ぎない。 でもそういう社会に溶け込めなかった人たちはそうすることでしか生きることができなかったと考えるとどうすればよかったんかなあと思う。 法治社会は勢力を拡大する割にその社会に溶け込めない人に厳しすぎる社会が求めるレベルが高すぎる。 ただのバイトだとしてもマルチタス

          社会が求めるレベルが高すぎる件

          3月のライオン

          僕の好きな漫画であり、僕のペンネームの由来でもある。 3月のライオンは主人公の桐山零が何もかも失ったところから何かを取り戻す話だと単行本の裏表紙に書いてある。 桐山零は高校生棋士であるので将棋の描写も多いがメインは桐山の心情描写だ。 まさか3月のライオンを読み始めた中学生の頃は自分が桐山と同じような経過をたどるとは思わなかった。 強いられたわけではないが必要に迫られて家を出て、何もない部屋で動けなくなるほど落ち込んだり序盤の桐山のような生活を僕も2年前に経験した。 桐

          3月のライオン

          人類の未来2

          人間の非合理さゆえに戦争や殺人などがなくならないのも確かである。 人間は非合理であるから美しくもあり、残酷でもある。 プラス方向の非合理さは倫理的と呼ぶ。 そして僕はマイナス方向の非合理さを愚かと呼ぶ。 しばしばその時代によって愚かさと倫理はひっくり返ることがある。そこは絶対的ではない。倫理と愚かさは表裏一体だと思う。倫理的という言葉を出せばたいていの人はそれ以上何も言えなくなる。そしてこの世にはバカがはびこることになる。 人類の未来が非合理な方向に進むのだとしたら非合理の

          人類の未来2

          人類の未来1

          人間はロボットと動物のはざまに生きるものになるかもしれない。ここではロボットを広義にとらえ、一般の機械を含めるとする。 人間は動物の一種であるはずだがどうもその実感が薄い。動物のように本能を丸出しにすることなんて現代の生活ではほとんどないからだろう。 逆に社会はどんどん高速化し、効率化している。いろいろな仕事がロボットにとってかわられ、人間自身も高速で効率的であることを求められるようになってきた。ロボットは人に従属して生きている。動物もロボットもどちらも合理的である。 人

          人類の未来1

          大人になる

          大人になることは真に中身まで大人になる必要はなく、必要な時に大人らしく振舞うことができたならそれで大人と社会からみなされると思う。 大人らしくというのは相手に求められたふるまいをするということだ。 生まれてすぐのころ、人間は自分の本能だけで生きているがそれをだんだんと理性で隠していって自分が所属する社会単位(家族、学校など)によって自分のみせかたを変えることを覚える。こうして子供は大人に成長していく。 僕が働くことを始めた当時僕は大人としてふるまうことができない子どもだっ

          大人になる

          働くこと

          僕は仕事(バイトだけど)を始めてから、ちっぽけなたった一人の人間がこの社会に必要とされている。 この喜びが大きかった。 僕は仕事が大好きだ。 仕事をしていない時のほうが社会とのつながりが見えなくて精神衛生的に良くない。 僕は守るべきものや地位も何もないしいて言えば学生という社会的身分だけしか持っていない。いわゆる「最強」の人に近い状態にある。 僕は生活費を稼ぐために仕事をしているが、それと同じくらい社会への帰属感が欲しくてやっている。 突き詰めて言えば「俺は生まれてきても

          目的

          毒を吐くだけ。 文章を書くことによって頭の中を空っぽにして空き容量でまた違うことを考える。 要はドラゴンボールでいうピッコロと神様の関係みたいな感じ。noteはピッコロ、現実世界の僕は神様。不要な方はこっちの文章に写して、できるだけ自分は身軽な状態でいられるようにしているつもりだ。 それをネット上にさらす理由は特にない。しいていえば僕の思考のアウトプットの練習かな。考えを言葉にすること、またそれを他人に理解できる文章にすることは僕にとって難しいので。