俺は生まれてきてよかったのかに対する答え
これは漫画ワンピースで、海賊王ゴール・D・ロジャーの息子であるエースが世間でロジャーが酷評されているのを聞き、祖父のような存在のガープに尋ねた質問だ。
結論から言えばこの問いに対する画一的な答えはない。
俺は生まれてきてよかったのか
まず、よかったのか悪かったのか判断する人は誰なのか。
そして善悪の基準のあいまいさ。
単純に生きる意味を問うのとはまた違う質問になってしまう。
人間が生きる意味をあえて一般論で言うとすると種の存続と文明の発展だと思うが、実際にそんなことを生きる意味だと考えている人なんていないだろう。
多くの人は身近な人の幸せを願ったりしている。
身近な人がいない人間は誰かに必要とされたいと願うだろう。
ワンピースの話に戻すと
ガープはこの質問にそりゃ生きてみればわかると解答をした。
エースは最期に愛してくれてありがとうと言った。
エースはこの問いに対して自分で答えを見つけたと言える。
愛。むずかしすぎだろう。
形のない、人によって解釈が違うものが「俺は生まれてきてよかったのか」に対する答えだなんて。身近な人の幸せを願うこと、誰かに必要とされたいと思うことも愛の一種だろうとは思うが。
自分の存在の根源を揺るがす問いが愛という一人では成しえない(他者の干渉がある)なんて窮屈だ。
そしておそらくこの問いを自分で答えるなら最終的には「良かったのだ」で落ち着くと思う。
そうして納得させなければ生きにくいし、死ににくいだろうから。
最適解はこの問いを考えないことかもしれない。
僕はこの質問を自問自答するならば
生まれてきてよかったか悪かったかを評価するとすれば自分が死んだ後に残された人がするものだから僕には関係ない。
たとえのちにどう評価されようとも生まれてきてしまったのは仕方がねえから生きるしかない。
結局ガープのような答えになってしまった。