3月のライオン
僕の好きな漫画であり、僕のペンネームの由来でもある。
3月のライオンは主人公の桐山零が何もかも失ったところから何かを取り戻す話だと単行本の裏表紙に書いてある。
桐山零は高校生棋士であるので将棋の描写も多いがメインは桐山の心情描写だ。
まさか3月のライオンを読み始めた中学生の頃は自分が桐山と同じような経過をたどるとは思わなかった。
強いられたわけではないが必要に迫られて家を出て、何もない部屋で動けなくなるほど落ち込んだり序盤の桐山のような生活を僕も2年前に経験した。
桐山は大切なものや守るものができたが僕にはいまだに何もない。
ぼろきれのようになった僕はそれでも対外的にはニコニコ笑っていたし、親にも友達にもそういう態度をとった。
だから僕が辛かった時があったのだということはこのPCだけしか知らない。
そして誰の手にも頼ることなく自分でまた立ち上がった。
桐山にはそういう時に心配してくれる人がいたからこそ今度は自分がその人たちを守ろうと動くことができるんだよな。
頼られたかったら頼れ。桐山の担任の先生が言っていた。これがすべてかもしれない。
僕はおそらくこれからも壁にぶち当たるだろうけれど、助けの求め方がわからない。多分苦しんだ末、自分でもがいて立ち上がる。
僕はそういう人なのか、そういう時に誰にも頼らず、誰からも助けを求められることなく孤独なのか。
僕の妙な強がりは人とのつながりを希薄にしているのか。
だけど助けの求め方も人の救い方もわからないんじゃしょうがない。
僕は人間関係における経験値が圧倒的に少ないのだ。
僕は友達はいるけれど、深い仲にはならない。
桐山は友達は少ないが、深い仲になる人がいる。
そこが桐山と僕の相違点で僕が桐山をすごいなあと思っている点だ。