【大人の社会科見学 その1】絹の博物館
秋も深まるある日曜日の午前中、Leccoに近いGarlateにある絹の博物館-Civico Museo della Seta ABEGGを訪れる。風光明媚なGarlate湖に面した、今年で生誕70周年を迎えた博物館である。
Garlateの博物館のリンクと外観
絹と言えば、イタリアではComoが有名だが、Comoの博物館には主に生地や製品を、Garlateには蚕から糸を巻き取るまでのを工程や機械をメインに保管し、一口に「絹の博物館」と言っても展示内容を分けているそうだ。まずは原料から攻めよう、とGarlateを訪れた(下はComoの博物館のリンク)。
Comoの博物館のリンク
車があれば1日に2軒訪れることも可能な距離だが、あいにく免許すら持っていない身としては、列車で最寄り駅で降り、そこから約30分かけて博物館までの道をテクテク歩いたので、1軒が精いっぱいである。
入館と1階フロア(蚕について・繭玉・糸抽出の機械)
さて、開館は9時30分、私の到着は10時20分頃で、先にいた老夫婦一組以外は午前中の見学者はおらず、「ガイドによる説明は要予約で午後のみ」と言われていたが、3フロアあるうち1階フロアについてはマンツーマンでのガイドをしてもらえた。事前に問い合わせをしておいたからか、糸や生地を本業でも取り扱っていると伝えたからか、日本人がたった1人で日曜の朝に訪ねてきたからか、それとも単に暇を持て余していたからか、その辺の事情はよくわからないが、説明書もない機械や歴史の説明を丁寧にしてもらえるのは非常にありがたかった。
まずは、蚕の卵といきた蚕蛾、繭玉を見せられる。
蚕の卵はちょうどケシの実ほどの大きさのグレーの粒で、孵化する日数は約35日程度だそうだ。メスもオスも一様に灰をかぶったようなチョーク色をしている。孵化してから桑の葉を食べては寝、食べては寝を日に4、5度繰り返し、繭玉を作るのにかかるのが約48時間で、メスは卵を抱えて繭玉を突き破って出てくるため、オスよりも丸々とし、羽が広がっているのが、唯一の見分ける手段だそうだ。鳥のように、メスは地味、オスは派手で美しいということは全くなかった。
生きている蚕蛾は始終バタバタと羽を羽ばたかせているが、蛾とは言え、飛ぶことはないそうで、お菓子の空き箱の中でばたばたやられても、虫嫌いな私ですら怖さは感じられなかった。
繭玉は穴の開いていない、つまり抜け殻ではないものしか、糸の採取に使えないため、一部は蚕の飼育用とし、一部は熱湯に入れて処理される。この作業は今ではほぼ中国でしか行っていないそうだ。
一つの繭玉から取れる絹糸は約700~3000メートルだそうだが、説明をしてくれた方によると、最近日本で8000メートルの糸が取れる繭玉の開発に成功したとか。ただ、詳細はよく知らず、真実かどうかはわからないそうだ。
さて、湯に入れられた繭玉は、熊手のような、小さい箒のようなものでかき混ぜられる。
少しかき混ぜるとコチコチの繭玉がほどけはじめ、糸の先端が現れる。1700年代、出てきた糸の先端を糸巻き機に括りつけ、おみくじのガラガラのような手動の機械を回すのは、家庭では子供の役目だったそうだが、1800年代になり、工場で作業を行うのは皆女性だった。
工場では、蒸気の力で糸を膜作業をしていたそうで、蒸気機関車のような音のするスイッチとなる機械も保存されていた。
一階の一番奥には、もともとは山奥の川の水力で動かされていたという、3~4メートルはある巨大な糸巻き機があった。当時は2倍の高さがあったそうだが、移動に伴い、博物館の室内の高さにあわせて設計し直されたそうだ。
この機械のもともとの設計は、なんと、1400年頃にかのレオナルド・ダ・ヴィンチが行ったとかで、そのイラストも残っている。
2階フロア第1室(糸巻き機・秤・工場長の部屋)
次に、2階へ移動する。2階は自由見学で、2フロアに分かれている。
初めの部屋には、下の階とは別のかたちの工場用の糸巻き機と、工場長の部屋などが残されていた。
2階フロア第2室(昔の生産地マップから現代に至るまで)
奥の部屋には、絹の生産量の推移マップや家庭用の糸巻き機の数々、蚕の生育に使用していた棚、そしてシルク成分の入った現代の製品、スライド上映がされていた。
日本のよーじやの製品や中国・韓国のコスメが展示され、中国のものだとは思うが佃煮にされた幼虫の写真も展示されていた。
スライドでは、この土地の方言で話す工場で働いていた老女たちが、蚕についてしきりに語っていたが、字幕なしでは理解できないほどの訛りようで、一人笑ってしまった。
こじんまりとした博物館だが、1時間半かけてじっくり見て、すがすがしい気分で外に出た。朝来たときは曇っていて気付かなかったが、晴天の空の下で桑の葉がそよそよと風に揺れていた。
そしてまた、途中までGarlate湖を左手に眺めながら、駅への道を歩いた。