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#45【劇評・賛】『映画窓ぎわのトットちゃん』(ネタバレあり)

観てからずいぶんと時が経ってしまいました。
言わずと知れた大ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』黒柳徹子/講談社 講談社HPへリンク)のアニメ映画化作品です。

子どももおじさんも口紅を付けたようなキャラクターデザインに最初はびっくりしましたがすぐになじみました。母に聞いたら昔の少女向けイラストはこういう感じだったそうです。『赤い鳥』(広島県立中央図書館HPへリンク)や、『きいちのぬりえ』(小学館HPへリンク)のイメージでしょうか。
映画として素直にすごくよかったです。原作に対するリスペクト、実際に生きていた人々に対するリスペクトを感じました。


ほんとうのことは、一番奥から、小さな声で、とつとつと語られる

脚本・監督は八鍬新之介さん。映画パンフレットによれば、「世代を問わず、何らかの"気付き"と"力"を届けられる作品を作りたかった」とのこと。
確かにそのねらいどおり、示唆に富んだ、生きる力にあふれた作品だったとくらたは思います。

落ち着きがないことを理由に、小学校を退学になってしまったトットちゃん。
新しく通うことになったトモエ学園の校長先生は、「さあ何でも話してごらん。話したいこと全部」と言うと、トットちゃんの話を、トットちゃんがもう話すことがなくなるまで真剣に聞き、トットちゃんが「……どうしてみんな、わたしのことを困った子って言うの? わたしはトットちゃんなのに……」と言うと、トットちゃんの頭を撫でながら、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と優しく語りかけてくれた。
(略)
トットちゃんにとって初めてだらけの学園生活が始まった。

『映画窓ぎわのトットちゃん』パンフレットから引用

物語冒頭での、トットちゃんと小林校長先生との初めての対話シーン。この場面は、人と人との対話の重要な部分を示唆しています。
本当に悩んでいること、話したいことは、表出するものの奥の奥にある。「もう話すことがなくなるまで真剣に聞」いた後にさらに「もう終わりかい?それでぜんぶかい?」とさらに問うたところに、ためらいがちに、小さな声で出てくる。2月の初めの記事でも書きました。

「言いたいことがあるなら言えばいいじゃん!」という人を何人か見たことがありますが(わたしが言われたわけではない)、それがどれだけ暴力的なことかわかりますね。「言いたいことがあるなら言えばいいじゃん」と言う羽目になった時点で反省してほしい。そのことの原因はその言った本人にある。少なくともわたしが見た事例はひとつの例外もなく「お前がそんなだから相手は言いたいことも言えないんだよ」問題でした。

素晴らしい映像表現

美術監督は串田達也さん。
第二次世界大戦中の日本を舞台にした史実物語で、ここまでの美しい表現ができることに驚きました。戦争中の貧しく剣呑な事物が描かれているにもかかわらず美しい背景美術がすばらしかったです。のどかさ、昭和レトロっぽいおしゃれさ、そこへ忍び寄る戦争の足音。しかしそれらすべてが、お涙頂戴的ないやらしさがなく、もちろん戦争を美化することもなく。

また途中、トットちゃんの空想シーンが3つ出てきます。それぞれ全く異なるアートワークで作られ本当に美しい。トットちゃんの自由なイマジネーションと想像力が視覚的にわかる楽しい演出です。
一つ目、トモエ学園の校舎である電車の車両が動き出し、銀河鉄道のように空を横切ってカラフルな動物がたくさん出てくる中を走り抜ける空想シーン。このシーンは高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と同じ手法がとられているのだそうです。
二つ目は、トットちゃんが泰明ちゃんと水中を泳ぐ空想シーン。原作本の表紙を飾るいわさきちひろさんへのリスペクトを感じるやわらかい絵柄で美しかったです。このシーンはアカデミー賞短編アニメ賞を受賞した『つみきのいえ』(Youtube動画へリンク)の加藤久二生さん。『つみきのいえ』は観るたびに泣いてしまう名作です。
最後の、泰明ちゃんの死を思わせる悪夢シーン……は日が経ちすぎて忘れてしまったあぁぁぁ……早くDVDなり配信が始まることを祈ります。もう一回見たい。

空想シーンについて、また作品についてのインタビュー記事です。


りりあなちゃんすごい!

名だたる俳優陣が固めるキャストの中で、トットちゃん役の大野りりあなちゃんの演技が光りました。台詞量も多いし、トットちゃんの台詞は独特な感性に基づく部分も多いので、難しかったのではないかなと思います。
「『窓ぎわのトットちゃん』って黒柳徹子さんの幼少期を描いた自伝でしょう?」という感じでなく、一人のそこにいる小さな少女としてトットちゃんの実在感を高めていました。

知らなかった戦争のリアル 天気予報がなくなる!

戦争がはじまり、ラジオから流れる「大本営発表」
大本営発表がどれだけ真実でないことを語っていたかについては、ライムスター宇多丸さんのアフター6ジャンクションの前身番組「ウィークエンドシャッフル(タマフル)」で数年前に特集された『 笑えねぇ……けど笑うしかねぇ!アナタの知らない、こんなにトホホな大本営発表のひみつ by 辻田真佐憲さん』で聞いていました。ちなみにこの放送回は、第54回ギャラクシー賞ラジオ部門を受賞したそうです。本当に面白い特集だったのですが今は聞くことができません。以前はYoutubeに上がっていたのですが削除されたのか検索しても見つけられませんでした。

驚いたのは、トットちゃんが毎朝ラジオで聞いていた「天気予報」が戦争のニュース番組になってしまい、放送されなくなってしまうこと。そのためにトットちゃんは傘を学校に持って行かず、雨に降られてしまうエピソードがあります。泰明ちゃんの傘に入れてもらいながら、「天気予報がなくなったのがいけないのよ」とトットちゃん。

ダンスはこうして生まれた?

また、戦争が激化して食べ物が不足した描写が出てきます。
前述の雨の帰り道、おなかがすいたトットちゃんと泰明ちゃんは、トモエ学園のお弁当の時間に歌われた「よく噛めよ食べ物を」という歌を相合傘で歌います。メロディは「Row Row Row Your Boat」をもとにしています(アメリカの子どもの歌。元ネタは個人ブログ曲はこちら。youtubeへリンク)。

よく噛めよ 食べ物を
噛めよ噛めよ噛めよ噛めよ 食べ物を

すると、通りすがりの知らないおじさんから、「卑しい歌を歌うな、非国民が」的なことで叱責されます。おっさんそのあと定食屋入っていくんですけどね。胸糞悪いシーンです。
大泣きして歩けなくなってしまったトットちゃんに、泰明ちゃんは水たまりでタップを踏んで「よく噛めよ」の歌のリズムをとります。歌詞がわかるように歌わなければおじさんに怒られることもありません。それに気が付いたトットちゃん。やがてまるで踊るように軽やかな足取りになって家路につく二人。『雨に唄えば』をほうふつとさせる、楽しいシーンです。
音楽に合わせて身体を動かしてそこにダンスが生まれる、その瞬間をたどったようなシーンでした。そういうシーンが『哀れなるものたち』にもありました。描写はこの『トットちゃん』とは対照的な映画ですが、音楽やそれに合わせた身体運動の生成とは、映画のモチーフとして好まれるものなのかもしれません。

戦争の足音 裕福な家庭だからこそリアルに感じる描写

トットちゃんは赤い屋根が美しい洋風の一軒家に住んでいます。キッチン、ベッド、洋服などすべてが洋風に整えられた暮らしです。トットちゃんは頭にかわいらしいリボンをつけたワンピース姿。お母さんの朝さんは、徹子さんに似ているキャラクターデザインで、常に上品な洋装で描かれています。休日に銀座に一家で出かけたところ、盛装したお母さんが兵隊に因縁をつけられるシーンがあります。
当時としてはかなり裕福なご家庭と推察されますが、だからこそ、現代の感覚でも戦前、開戦直前、戦中と、加速度的に様相が変わる家の中の描写が、リアルに感じられます。これがもし旧式の日本家屋に畳に和装ならよくある戦争描写と思ってしまうでしょう。現代に近い洋風のしつらえだからこそ、洋装の似合うお母さんがモンペに変わっていくことが、赤い屋根の家が建物疎開で引き倒されるさまが、より恐ろしく感じられるのです。

頭のリボンと言えば、岡田斗司夫さんは『魔女の宅急便』キキのリボンを彼女の自意識と読み解きましたが(Youtube動画へリンク)、このトットちゃんはそうではないように見えました。最後、疎開する列車の中で弟をあやすシーンではつけていません。無邪気さ、幼さの象徴なのかもしれませんね。

自分が納得できるまでやってみることの効用

以前の記事でも触れましたが、学校のボットン便所にお気に入りの財布を落としたトットちゃんが、長い柄杓で下水を掻き出して財布を探す場面があります。服や顔まで汚して汚物を掻き出すトットちゃん。校長先生もそれを咎めず、終わったらきれいに戻しておくようにだけ言います。
結局、財布は見つからないのですが、トットちゃんがママに言ったことには、
「いいの。いっぱい探したから」
結果はどうあれ、自分が納得できるまでやってみることの効用を描く素敵なシーンだと思いました。

 ↓ このシーンについて触れた記事はこちら。

うんこ絡みであってもかくも示唆深いシーンが作れるのです。劇場版スパイファミリーをうんこ映画に貶めた人は、トットちゃん見て勉強してほしい。

この映画を観て思い出した作品ネットワーク

絵本『ペカンの木のぼったよ』(青木道代 文・浜田桂子絵/福音館書店 福音館書店HPへリンク)
身体を動かすことが難しいりんちゃんがどうしたら木登りできるかを、幼稚園のみんなで考えるというやさしいお話。初めて読んだとき『トットちゃん』を思い出しました。今回の泰明ちゃんは脚立で登りましたが、りんちゃんはまた異なる方法で登ります。

映画『火垂るの墓』『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』
すべて戦争映画。B29から焼夷弾が落とされるシーンは『火垂るの墓』を、戦中の裕福な階層の話としては『風立ちぬ』、『君たちはどう生きるか』を連想しました。

映画『かぐや姫の物語』
田園調布教会での泰明ちゃんのお葬式から飛び出したトットちゃんが戦時下の街を疾走するシーンでは、『かぐや姫の物語』を思い出しました。トットちゃんは疾走の途中で、残虐な「戦争ごっこ」をする男の子たちや、出生していく人の行列、片足を失った傷痍軍人などを目にします(うろおぼえ)。
疾走シーン不動の殿堂入りナンバーワンは『かぐや姫の物語』ですが、ディズニー映画の『ウィッシュ』よりは、今回の『トットちゃん』のほうが戦い……つらさ、切迫感など……があって、胸に迫るものがありました。

自分が死ぬと、自分といっしょに消えてゆく経験 を残す

毎度おなじみ内田樹先生の『困難な成熟』(内田樹/夜間飛行)に、下記のくだりがあります。

僕は「阿修羅像」というと、あの有名な図像よりも先に、興福寺国宝殿のひんやりした空気の匂いと、手のひらが触れたガラスの冷たさと、山本浩二の逸事(阿修羅像を評して「造形が甘いね」と言ったんですよ、彼は)をうれしげに語っている自分の姿と、それを聞いて爆笑している釈徹宗先生の横顔を思い出します。
そういう断片の総合された中に図像も存在している。そこにいたものすべてを「込み」で、人生の一瞬を切り取ったものの中に阿修羅像も含まれている。
だから、僕が死ぬと、阿修羅像を見た僕の経験はそのまま僕といっしょに消えてゆく。誰にも再現できないし、誰にも追体験できない。
僕の生きた経験はそのすべてのリアリティごと僕といっしょに死ぬ。
それでいいじゃないかと思います。

『困難な成熟』(内田樹/夜間飛行)283ページ

「そこにいたものすべてを「込み」で、人生の一瞬を切り取ったものの中に阿修羅像も含まれている。」は経験的に深く共感できる一説です。わたしはそれをできるだけ覚えておきたくて、この note を書いています。
「それでいいじゃないか」とはなかなかにドライな見切りです。わたしはと言えば、自分のことはそれでいいと思えるのだけれど、自分に感動を与えてくれたもの、自分が素晴らしいと思った何かについて、もしわたししか知らない、わたしだけが気が付いている側面があるのなら、それはどこか社会の共有スペースに置いておきたい。そんな気持ちで書いています。

黒柳徹子さんが今「トットちゃん」の映画化を許諾したのも、そうした思いもあったのではないかなと考えています。

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