#223【くらたの本棚】わたしの読書体験
今日もお読みくださってありがとうございます!
なんともう10月ですって……?!おそろしい子……!(誰が)
別件で「わたしの読書体験」というお題があり文章を書きました。絵本や児童読みものの中から、子どものころに読んだものと大人になってから読んだものを1冊ずつ例に挙げて述べよ、とのお題でした。
そちらがボツになったので(しょぼん)、供養のためにこちらに公開します。ご笑覧ください。
わたしの読書体験
『おやすみなさいコッコさん』
「これは厄介な子どもだよ」
わたしが3歳のころの写真を見せたとき、元保育士のメンターは笑いながらそう言いました。「この顔はぜったいに大人の言うことを聞かないね」
メンターの見立てのとおり、これまた保育士であった母曰く頑固で扱いにくい子どもだったそうです。昼寝はしない。夜も寝たがらない。すぐ癇癪を起こす。遊園地で両親からのトイレの勧めを頑固に断ったわたしが、父に肩車されたとたんにおもらしをしたエピソードは何度も聞かされました。わたし自身「この子はろくなことをしない」と母から頻繁に叱られていた記憶があります。
そんな厄介な子どもの一番古い本の記憶は、絵本『おやすみなさいコッコさん』(片山健 作・絵/福音館書店/1982年)です。深い青を基調とした落ち着いた色調でおつきさまと眠らない子どもコッコさんとの対話が描かれます。狭い六畳一間に並べたせんべい布団の中で母にこの本を読んでもらうのが大好きでした。
ああ言えばこう言う、コッコさんも一筋縄ではいかない子どもです。叱られてばかりで厄介な子どもである自覚があったわたしはコッコさんに共感していたのでしょう。ああ言えばこう言う子どもであってもおつきさまは受け入れ語りかけ愛を注いでくれる……その物語をほかならぬ母に読み聞かせてもらうことに、「自分が生まれてきてよかったんだ、生きていていいんだ」という感慨を覚えていたのだと思います。
母も父もよく本を読み聞かせてくれました。『からすのパンやさん』、『ドリトル先生』シリーズ、『セロ弾きのゴーシュ』などの宮沢賢治作品……コッコさんに始まったわたしの読書の原体験は未来への温かい祝福に満ちていました。
自分で読めるようになってからも多くの本を読みました。『ももいろのきりん』、『モモ』、『夏の庭 The Friends』、『12月の静けさ』など心に残る作品は主人公や情景が今でも目に浮かぶような心地がします。
公益財団法人東京子ども図書館理事長であった松岡享子さんは著書『子どもと本』の中で、ほんとうに人をつくるのは16歳までの読書だという説があるが子どもは主人公と完全に一体化して読むためだ、と書いています。上に挙げた作品群の情景が今でも浮かぶのは、子どものころのわたしがその作品の中を生きていたからなのかもしれません。
『エイドリアンはぜったいウソをついている』
松岡さんはまた同書の中で、大人の読書はたえず「読んでいる自分」の意識があり子どもほどの集中と作中人物との一体感をもって本を読むことはまず不可能、と書いています。
読書の質が変わってから、特に就職してから読書の余裕がなくなりました。漫画やテレビばかりで読書に向かえないことに罪悪感を抱く時期もありました。
状況が一変したのは20XX年4月に図書館で勤めることになった時です。初年度から3年間は、児童サービス担当(選書、おはなし会の運営などが主な業務)でした。子どもの本を読み学ぶことが業務の一環となるこの仕事は、わたしにとって大幸運だったと言えます。
子どもの本との接点が20年以上なかったので最初はその楽しみ方のわからなさに面喰いました。『もこもこもこ』などのストーリーの見えない作品や『キャベツくん』をはじめとするナンセンス絵本などは、わかりやすい理屈の通ったコンテンツに浸りきったわたしには手も足も出ませんでした。
しかしそれでは仕事になりません。とにかく子どもの本を年に100冊以上読みました。また、都道府県立図書館や国立国会図書館国際子ども図書館主催の研修を片っ端から受講しました。
取っ掛かりになったのはヤングアダルト向けの小説でした。『かがみの孤城』、『むこう岸』、『さよならスパイダーマン』、『ジョージと秘密のメリッサ』など、現代的な問題を思春期のみずみずしい目と心をとおして描く物語が、大人のためのそれよりもラディカルに真摯に現代社会の中で生きる人間に向き合っていることに畏敬の念を抱きました。
それからより能動的に子どもの本全体に向き合うことができるようになりました。そうなってみれば職場は約5万冊の子どもの本に囲まれた贅沢な環境でした。児童担当だった3年間で、絵本からヤングアダルトまで400冊ほどを読みました。
臨床心理学者だった河合隼雄さんは、「大人の小説は書かなくてもいいことがいっぱい書いてあるが、絵本では書かなくてもいいことというのはまずない、あそこまで凝集したものができてくるのは大変なことだ」と述べています(『河合隼雄全対話7 物語と子どもの心』)。
読みなれて見ればまさしくそのとおりで、『もこもこもこ』は語感や場面の動きが楽しく、長新太のナンセンス絵本もリズムや絵柄が個性的で面白いと楽しみ方が分かるようになりました。
数を多く読む中で、絵本では『きつねのおきゃくさま』、『うし』、『ちくわのわーさん』、『いいたくない』、『おはなしこねずみロミュアルド』、小学生向けの読みものでは『シャーロットのおくりもの』、『アリーテ姫の冒険』と、多くのすばらしい作品に出会うことができました。
そうして出会った中でわたしだけの1冊を選ぶとしたら、『エイドリアンはぜったいウソをついている』(マーシー・キャンベル文・コリーナ・ルーケン絵・服部雄一郎訳/岩波書店/2021年)です。
主人公は、隣の席のエイドリアンが馬を飼っていると話すことをウソだと確信し、その「ウソ」を許すことができません。
初めて読んだとき、これはわたしの物語だと思いました。小中学生のころわたしはこの主人公のような、子どもらしい正義感と小賢しさと不寛容さをないまぜにして持っている子どもでした。
しかし主人公はあるきっかけを得てエイドリアンに対して哀感とも言うべき複雑な感情を抱きます。そのとき、ウソだと決めつけていた彼の「愛馬」が色彩豊かに眼前に立ち現われてくるのです。
絵本という形式だからこそできる、現実とイマジネーションが融合した描写に頭を殴られたような感動を覚えました。一人ひとり異なる子どもが共生していくことの困難さと可能性とを温かく直観的に教えてくれる絵本だと思いました。
わずか36ページながらこれだけの内容を伝えている「絵本」という媒体の可能性をも改めて強く体感したのでした。
この本を読んだ数か月後、わたしは係長に昇進しました。係には色々な人がいて、係員同士の人間関係も様々です。もちろんわたしと個々の係員との相性もあります。しかし、意見が合わないことがあってもまず「相手にはわたしに見えない馬が見えているのかもしれない」と思える。係長になる前にこの本を知ることができて良かったと思っています。
人は、心に響く良書との出会いを得ればその先の人生をその本と共に生きていくことができます。
厄介な自分を受け入れてもらえた原体験が絵本なら、厄介かに思える相手を受け入れる努力をする自分に寄り添ってくれたのも絵本でした。
《文中に出てくる本の書誌情報について》
『おやすみなさいコッコさん』(片山健 作・絵/福音館書店/1982年)
『からすのパンやさん』(かこさとし 作・絵/偕成社/1973年)
『ドリトル先生』シリーズ(ヒュー・ロフティング 作・井伏鱒二 訳/岩波書店/1986年~)
『夏の庭 The Friends』(湯本香樹美 著/福武書店/1992年)
『モモ』(ミヒャエル・エンデ 作、大島かおり 訳/岩波書店/1986年)
『12月の静けさ』(メアリー・ダウニング・ハーン 著、金原瑞人 訳/佑学社/1993年)
『子どもと本』(松岡享子 著/岩波書店/2015年)
『もこもこもこ』(谷川俊太郎 作、元永定正 絵/文研出版/1977年)
『キャベツくん』(長新太 文・絵/文研出版/1980年)
『かがみの孤城』(辻村深月 著/ポプラ社/2017年)
『むこう岸』(安田夏菜 著/講談社/2018年)
『さよならスパイダーマン』(アナベル・ピッチャー 著、中野怜奈 訳/偕成社/2017年)
『ジョージと秘密のメリッサ』(アレックス・ジーノ 作、島村浩子 訳/偕成社/2016年)
『きつねのおきゃくさま』(あまんきみこ 文、二俣英五郎 絵/サンリード/1984年)
『うし』(内田麟太郎 詩、高畠純 絵/アリス館/2017年)
『ちくわのわーさん』(岡田よしたか 作/ブロンズ新社/2011年)
『いいたくない』(かさいまり 作・絵/ひさかたチャイルド/1998年)
『おはなしこねずみロミュアルド』(アンヌ・ジョナス 作、フランソワ・クロザ 絵、なかい たまこ 訳/フレーベル館/1999年)
『シャーロットのおくりもの』(E.B.ホワイト 作、ガース・ウイリアムズ 絵、さくまゆみこ 訳/あすなろ書房/2001年)
『アリーテ姫の冒険』(ダイアナ・コールス 作、ロス・アスクィス 絵、グループ ウィメンズ・プレイス 訳/学陽書房/1989年)
『エイドリアンはぜったいウソをついている』(マーシー・キャンベル 文、コリーナ・ルーケン 絵、服部雄一郎 訳/岩波書店/2021年)
『河合隼雄全対話7 物語と子どもの心』(河合隼雄 著/第三文明社/1997年)