【読書】文明の生態史観-増補新版
出版情報
タイトル:文明の生態史観-増補新版
著者:梅棹忠夫
出版社 : 中央公論新社 (2023/10/24)
文庫 : 400ページ
この本を読むきっかけ
例によって茂木誠氏がその著作か動画かで「梅棹忠夫の『文明の生態史観wiki』はなかなか面白い」と言っていたので、これは読んでみようと思った。
読んでみての感想は、これは読んでおくべき本だと思った。現在世界で起きていることへの理解が圧倒的に深まるように思う。本書ではユーラシア+アフリカ地中海沿岸を大きく2つの領域に分け、日本と西欧を第一地域、そのほかの地域を第二地域と呼んでいる(本書では北米南米、地中海側より南のアフリカは扱っていない)。第二地域にはインド、ロシア、トルコ・アラブ、チャイナが含まれる。ん?第二地域に含まれる現在の国々ってBRICSやグローバルサウスと呼ばれている国々の中核になっているんじゃ??勃興しつつある第二地域と明らかに翳りを見せ始めている第一地域。そして2024年1月現在戦争しているのはほぼ第二地域だ(戦況は台湾海峡、韓半島へと拡大しつつあるような気配もあるが、この二つの地域とも梅棹の分類では第二地域に入る)。こうしてみると『文明の生態史観』が提示する世界モデルは歴史を読み解くだけではなく、現在の地政学的動態を読み解くためにも有益である印象を強く受ける。この枠組みを頭に入れておくだけでも、いろいろスッキリするものがあるのでは、と思う。
また本書は非常に読みやすい。論文…とはいえ、難しい用語もなく考え方そのものは単純。また本アイディアを着想する元となった旅の足跡もエッセイの形で載っていて、まるで著者の思考過程を案内してくれているかのよう。わかりやすい図もあり、理解は容易だ。文明の生態史観のエッセンスは多分数ページもあれば十分記述可能だろう。有用なアイディア、有能なモデルってそういうものなんだろうね。
『文明の生態史観』は1957年に提唱され、66年経った今でもアイディアを提供し続けている優れたモデルと言えるだろう。数百年経っても色褪せないモデルなのではないだろうか。全然難しくないし頭に入れておいて損はない。
本記事では、まず『文明の生態史観』を説明する。それから本書の影響について少しばかり述べたいと思う。例によって長くなったので、目次を貼ります。ご希望のところに飛んでください。
以降、文明の生態史観を説明しよう。
文明の生態史観
早速、文明の生態史観を説明しよう。まず、下図をご覧いただきたい。
ユーラシア大陸を中心に、日本とアフリカの地中海沿岸諸国を加えたものを模式化した図である。いわゆる旧世界だ(コロンブスが新大陸を発見する前に知らせていた世界)。文明の生態史観は旧世界を対象にした歴史・地政学モデルである。著者は旧世界を大きくふたつに分け、日本と西欧を第一地域、それ以外を第二地域とした。第二地域のI、II、III、IVはそれぞれ中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラーム世界であるというp202。そして注目すべきは中央にある乾燥地帯だ。ここから幾度となく暴力が発生し、第二地域の文明はそのたびに破壊され、別の文明が勃興することを余儀なくされた。一方、第一地域は暴力の元凶から遠く離れており、破壊は免れ内部から成長する自由を謳歌したp202。第一地域の日本文明と西欧文明は同じような形で移り変わり、第二地域の(I) 中国世界、(II) インド世界、(III) ロシア世界、(IV) 地中海・イスラーム世界の各世界もまた同じような変化を繰り返す。これを文明の遷移(文明の移り変わり)の平行現象と呼ぶ。これが文明の生態史観の骨子である。
社会の変化、発展には法則がある
梅棹は元々は生物を基礎に置く生態学者だ。終戦時にはその調査のためにモンゴルにいた。その彼が1950年代当時、著名だったトインビーという歴史学者の学説に刺激を受け、簡単にいえばそれを挑戦状と捉えアンサーとして書いたのが本書である。また当時席巻していたのはマルクス史観であった。トインビーの歴史観もマルクスの歴史観も『文化文明は一方向に進化する』と主張する。一方梅棹は社会の変化、発展には法則があると考えていることは共通しているが、生態学をモデルとし、変化は環境とその社会自体の変化によって起こり、地域により違った発展がありうるとした。また生態学の用語を用いて、社会、文化、文明の変化をサクセション(遷移)と呼ぶ。
文明と遷移(生態学をモデルとして)
ここで簡単に言葉の定義をしておこう。梅棹は文明とは生活様式であると捉えている。そして文明の遷移(サクセション)という現象は、
第一地域と第二地域では条件が違うので、主体・環境系の自己運動も自ずと異なる、と。
文明の高度化:遷移の平行現象
1957年当時、日本と西欧の数カ国のみが高度文明社会を実現していた。2024年の現在でもG7など先進国は日本と西欧(北米2カ国含む)のみだ。高度文明社会とは何か。
高度文明社会かどうかは経済力、インフラ基盤、生活・教育水準などから、判断できるというわけだ。
旧世界で日本、西欧以外の国々は「あとは、中国も、東南アジアも、インドも、ロシアも、イスラーム諸国も、東欧も、まだ格段の差がある」p107。
そして偶然でなく、第一地域の日本と西欧が高度な文明国となったのだ、それは日本と西洋は条件が似ていたから(文明の遷移の平行現象)だ、と。
第一地域と第二地域の違いは歴史の違い
それでは、第一地域、第二地域の文明とその歴史を少し詳しくみてみよう。
第一地域の文明の発生と遷移
梅棹によれば第一地域の文明は、第二地域に発生した古代文明の周辺地域として、その影響を受けながら発展していった。第一地域はその後、平行して、動乱を経て封建制が成立し、さらに革命(日本では明治維新)を経て資本家による高度資本主義へと発展していく。途中、宗教改革のような現象、ルネッサンス(日本では国学の勃興)、ギルドの形成、一連の自由都市群の発展、海外貿易p 116。日本は鎖国によって十分に富が蓄積されず、いくぶん資本主義の発展は遅れたが(それでも先物取引などは日本の米相場が世界に先駆けている)、これらは偶然でなく、日本と西洋で似たような社会現象の変遷があったのだ、と梅棹は述べる。乾燥地帯の暴力の影響を受けることなく、ぬくぬくと文化・文明は成長し、歴史は共同体の内部からの力で展開する。オートジェニック・サクセッション(自成的な遷移)であるp126。
第二地域の文明の発生と遷移
一方第二地域は、いずれも古代文明、古代帝国発祥の地である。だが、上述した通り、乾燥地帯から遊牧民その他、暴力が発生し、文明は破壊され、また別の文明が勃興することが繰り返されてきた。結果として内発的な成長が十分に行われず、のちに資本家を育成する土壌となる封建制を発達させなかった。第二地域での歴史は、共同体の外部からの力によって動かされることが多い。アロジェニック・サクセッション(他成的な遷移)であるp126。この地でも平行現象が見られる。(I) 中国世界、(II) インド世界、(III) ロシア世界、(IV) 地中海・イスラーム世界の各世界は、「いずれも巨大帝国とその周辺を取り巻く衛星国という構造を持っている。現在では、帝国はいずれもつぶれたけれど、共同体としての一体性は消え去ったわけではない。現在なお、この四大ブロック並立状態再現の可能性は非常に強い」p202-p203。
東南アジアと東欧を加えた修正:周辺国の類似性
著者は、文明の生態史観を発展させ、修正を試みる。すると、ここでもまた平行遷移現象がみられるのだ。
まず、東南アジアの位置を定めよう。上記A図を修正しB図を作成する。
東南アジアは資本家を育成する土壌となる封建制は発達せず、間違いなく第二地域であると梅棹はいう。
ではこの東南アジア世界はどのような地域なのか?
東南アジア
この地にある国々は、民族、文化、言語、宗教、生活様式がみなバラバラで、東南アジア文明を形成しているとは言い難い。その理由はこの地に住む人々がどんどん変化していったという歴史的背景にある。
そして近代になってからはヨーロッパの植民地になった国々が多かったが、どこか一国にまとまって支配される、ということはなかった。終戦末期に日本に占領されはしたが(解放か占領かで意見が分かれるかも)。
東ヨーロッパ:東南アジアとの対比として
梅棹は東欧には詳しくないとのことだが、東南アジアと比較して、類似点を見出している。文明の遷移の平行現象がここでも見出せる。
東ヨーロッパは、ロシア世界、地中海・イスラーム世界、西ヨーロッパ世界の三つに囲まれている。国も多い。民族や言語も多彩である。スラブ系、ラテン系、ギリシャあり。ハンガリーの言語はインド・ヨーロッパ語族に属さない。宗教もカトリック、ギリシャ正教、イスラム教、ユダヤ教その他少数者も存在する。繰り返しロシア世界、地中海・イスラーム世界、西ヨーロッパ世界から侵入を受け、近世では大抵よその国の属領だったp217-219。
このモザイクっぷりは、やはり東南アジアとよく似ている。
そして、極め付けは二つの大戦の影響である。第一次世界大戦でロシア、オーストリー・ハンガリー、トルコの三大帝国が崩壊した。これによって広大な地域が帝国から解放された。第一次世界大戦は東ヨーロッパ諸国を作ったのであるp219。一方東南アジアの国々も第二次世界大戦により植民地の地位から解放された。
もう、この洞察だけで、世界中のシンクタンクは真面目に『文明の生態史観』に基づいた研究を始めた方がよい…と思う私は、たいそう短絡人間であることは否めない。が、まったく否定しさってしまうのも、非常に惜しい気がするのだが、みなさまはどうだろうか?
本書の影響力
本書が影響を与えたのでは?と思われるものを私なりに挙げてみよう。
サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』は同様の文明の分類法を採用
マルクス史観を払拭する歴史観・文明論
安倍元首相の提唱した『自由で開かれたインド太平洋戦略』の下敷きになった?
では、それぞれ見ていこう。
サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』は本書と同様の文明の分類法を採用
本書『文明の生態史観』(1957)による文明の分類は、ほとんどまるっきりそのままサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(1996)に受け継がれているように見える。ハンチントンは、梅棹の『文明の生態史観』と同等の日本文明、西欧文明、インド文明、ロシア文明、トルコ・アラブ文明、中華文明に加え、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明を挙げている。『文明の衝突』は冷戦後の世界の対立構造などを描いた本で、起こり得る紛争や戦闘についても言及しており、911テロを予測していたなどと、文明論として一定の評価を受けている。文明論を語る上で一翼を担っていると言って良い。ハンチントンが梅棹の論文を知っていたかどうか、実際に『文明の衝突』に梅棹の『文明の生態史観』が引用されているかどうかは不明であるが(日本語版には引用文献は一部しか記載されていない)、約40年という二つの著作の出版年の差や(本書は一部英訳され1986と1995に出版されている)、ハンチントン自身が『日本文明』を一国で一文明を築いていると述べ、『日本文明』の特殊性を説明できるほどには日本研究を掘り下げていたことなどを考慮すれば、まるっきり知らなかったとも考えにくい。あるいは梅棹とハンチントンの二人が、まったく別の研究の道筋から同じような結論に辿り着いたのだとしたら、それはそれで、その分類法の有用性を支持する出来事なのではないだろうか。
マルクス史観を払拭する文明論・歴史観
もう一つ、本書の有用性を述べるとしたら、マルクス史観(含むフランクフルト学派)とは別の選択肢を提供していることだろう。これについては京大名誉教授 谷泰が本書の後書きなどで何度も言及している。 『マルクス史観』?なに古いこと言ってんの?と思われるかもしれない。驚くなかれ、日本の小中高校の教科書は、どれもこれもマルクス史観に立脚していると言っても過言ではない。マルクス史観とは別の歴史観があることを深く観じることは人生を豊かにすると私は確信している。(これに関して別記事を書く予定)。
安倍元首相の提唱した『自由で開かれたインド太平洋戦略』の下敷きになった?
本書に収められた『海と日本文明』1999は、対談形式で行われた講演会を加筆、再構成したものだ。趣旨は「日本は東南アジア、インド、オーストラリアの海の道、それらの国々と友好を築くのはどうか。それは16世紀からある伝統的な道でもある。我々の先祖が切り開き鎖国によって放棄したものだ」。これはなんと、銃弾に倒れた安倍元首相の提唱した『自由で開かれたインド太平洋戦略』の下敷きとも言える構想だ。
トインビーの歴史書へのアンサー論文として
元々は理系で生態学者であった著者が実際にユーラシア大陸を横断的に調査しながら、当時著名であったトインビーの歴史観(『歴史の研究』『試練に立つ文明』)へのアンサー論文のように提出された文明の生態史観。著者によればトインビーの歴史観の「納得できないところ」p95-96は『日本文明の扱い(中華文明の派生と見做している)』と『西洋文明のみが健全さを残している』と断定しているところだという。確かにあまりの西欧中心主義にムカつくのも無理はない。ただ、さすが学者の梅棹。自分の『文明の生態史観』は学説として十分練り上げられていない早産だと自覚しつつも、タダでは起きない。
トインビーの学説・歴史観への批判ではなく、「わたしなりに、この世界についてのデッサンの第一号を、ここでかいてみようとおもいたった」p97。つまり本来無数にありうる文明論を著者なりに描いた試みが本書なのだ。
梅棹はさまざまな予言的な発言をしているのだそうだ。「高度成長、ソ連崩壊、情報化社会、専業主婦の減少……数々の予言」。彼はそれらを的中させたという。『予言者 梅棹忠夫』にはその詳細な論考が。昭和を代表する知の巨人、梅棹。日本についても予言しているそうだ。ちょっと読んでみたい。
番外:梅棹忠夫という人物
全然知らなかったので、今回ほんの少しでも梅棹のことを知る機会ができて本当によかったと思う。もちろん本書の著者であること、『知的生産の技術』の著者であることは知っていた。本書は今回読むことができたが、残念ながら『知的生産の技術』はまだ読んでいない。
人物像はwikiによくまとまっている。あるいは民族学博物館のサイトに年表もある。ここでは私の心に留まったものをピックアップする。
梅棹は終戦時に25歳。モンゴルで家畜の調査を行っていた。『回想のモンゴル』に詳しいという。命からがら!?うちモンゴルから脱出。この頃から軍隊などにはいい印象は持っていなかったのかも。
もともと理系で数理学的な研究もさることながら、実地調査なども性分に合うようで、1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊のヒンズークシ支隊人類学班に属し、モゴール族の調査をおこなう。梅棹は生涯にわたって何度も実地調査を行っているが、この時の体験も含めて実地調査が『文明の生態史観』の素地となった。
梅棹は文化人類学の日本の第一人者だそうで、大阪の万博跡地にある民族学博物館の初代館長は梅棹である。
1970年の大阪万博にも一役買っていて、当時京大教授であり国家公務員であったので表に出ることができず、代わりに人気作家の小松左京が前面に出た。「芸術は爆発だ!」の岡本太郎がテーマ展示プロデューサーになったのは、その後。梅棹は文化人らによるサロンを開いていて小松は常連だった。堅苦しさのない知的刺激満載のものであったという。
エスペラント推進派であり、古くからの日本語のローマ字表記推進論者。のちに64歳で失明した時、日本語の同音異義語に難渋し、「漢字なんてやめててしまえ!」と言ったとかなんとか。失明後の著作数の方が、失明前の著作数より多い。奥様はご苦労されたに違いない。
そういえば、ウチにも父宛にエスペラントやローマ字会!?から勧誘の手紙が来ていたような気がする。小学校前のことかな? 父も母も「日本語はひらがなも漢字もカタカナもそれぞれあるから読みやすい」と、その手の運動にはまったく賛同しなかった。天才だとしても残る業績もあれば、そうでないものもある。 2023年京都にあるローマ字会は解散したそうだ。栄枯必衰?諸行無常?私も仮名漢字混じりの日本語が好きだし、梅棹の文章は変なところに漢字が使っていなくって読みづらい。だけど…誰かが大切にしていたことがなくなるのは残念だし、心が傷む。仕方がないけどね…。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
著者【梅棹忠夫】の著作とその周辺:いろいろ
kindleでしか全集は見つけられなかった。紙の本ではまとまっていないのでしょうね。
梅棹の本ではないが、梅棹の近未来予測がどれほど当たっていたかを描いた本。梅棹の世界観、梅棹という人の人間論にもなっているようだ。ちょっとそそられる。梅棹の最後の予言は「日本文明はそろそろ終焉に近づいている」ですと!?
茂木誠の本:『文明の生態史観』に特に影響を受けていると思われるもの(私が勝手にそう思っているだけ)
これは『文明の生態史観』の中の『比較宗教論への方法論的覚書』へのある種のアンサーのように、私には思われる。
サミュエル・ハンチントンの文明論
トインビーの歴史書
『歴史の研究』はだいぶ長大な著作。短縮版が出版されている。
SF作家、小松左京の本
noteにお祝いしていただきました。
ひとつは、本記事との関連で先立ってつぶやいたもの。もうひとつは初詣に関する雑感です。よかったらお読みください。
✨記事執筆のために有意義に使わせていただきます✨