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「バルサは滝の上に立っていた。」

文章はこう続く。
「すぐ左脇に、洞窟が、ぽっかり口をあけている。」

上橋菜穂子著『闇の守り人』(偕成社、2006年)
わたしの持っているのはソフトカバー版で、もともとの単行本は1999年だった。

中学生だったわたしは、読書仲間とともに、学校の図書館で「守り人」シリーズを争うように予約して、そして読んだ。
1巻にあたる『精霊の守り人』は、皇子チャグムを皇帝とナユグの精霊から守りながら戦うバルサの姿があった。
頼もしいバルサの姿に憧れ、チャグムになって一緒に旅をしたいと思った。

ところが、わたしの心に強い衝撃を与えたのは、こちらの『闇の守り人』のほうだった。
図書館で借りて、帰り道々読み進め(わたしは歩いていても電車に乗っていてもずっと本を読んでいた)、家に帰ってきてから読み、ご飯に呼ぶ声を無視して読み続けた。
ひたすら物語に没入し、一気に読み終えた。
現実に戻ってくるのが、ひどく時間がかかった記憶がある。

1巻の冒頭では、バルサは川を渡る橋の上で、上流を行く皇太子の行列を目にした。
2巻の冒頭では、バルサは流れの早い滝の上に立っている。
下流にいて、上流の水の流れ、皇太子の運命に翻弄されることになった1巻とは違い、バルサは上から下に落ちていく水の力の、源に立っている。
そのことで、この物語ではバルサが流れを掴んでいることがわかる。

圧倒的な水流を足元に立つバルサの脇には、「ぽっかりあいた」洞窟がある。
洞窟は暗い、奥に何があるかわからない、広さも中の様子もわからない、そういう場所だ。
わたしたち読者は、バルサが優れた用心棒であり、養父に戦いの術を教わって生きてきたことをチャグムとの冒険を通して知っているけれど、まだまだバルサには窺い知れないところがある、というのがこの洞窟からなんとなく読み取れる。

それは、読者にわからないだけでなく、バルサ自身にもわからないことだ。
だから、滝の上という辺りを一望できそうな場所に立っていながら、得体のしれない洞窟がバルサの脇にはあるのだ。

『闇の守り人』では、バルサは自分の故郷に帰り、自分の父を殺したもの、養父を殺したもの、そしてなぜ自分が追われ続ける生活をする羽目になったのかに向き合っていく。
中学生のわたしにとって、30代の立派な大人の女性が、自立した戦士が、過去に悩み苦しむ様が新鮮だった。
大人なのだから、チャグムを守った素晴らしい人なのだから、過去のエピソードが出てきても「もう終わったこと」と思っているのだと、自分の生き方に納得しているのだと思っていた。
バルサは納得していなかった。
ずっと戦いながら生きてきたけれど、その生き方に納得していなかった。
そうとしか生きられないからそうしていただけで、そうなった原因を知らなかった。
自分がこう生きることになった原因を知りたいと望んでいた。

そうして、養父ジグロの影と対峙したバルサの胸中が、奔流となってわたしに迫ってきた。
苦しかった。
悲しかった。
悔しかった。
バルサの思いがあまりにも生々しくて、たじろいでしまうほどだった。
それでも、「大人になってもこういう気持ちを持つ」ということ、「その気持ちを抱えて生きる」ということを、そのとき知れてよかったと思う。

だからわたしは、「守り人」シリーズの中でどれが一番好きかといわれると、『闇の守り人』を挙げる。
あの時の、はじめて読んだときの衝撃はほとんど忘れてしまったけれど、「ものすごい衝撃をうけた」記憶はずっと残っているから。
バルサというひとりの人物の生きた証として、過去から立ち上がった印として、この物語は大切なものだから。

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