ちょび
(*´◒`*).。o○春夏秋冬をテーマにした小説
優しく余裕のある日々を生きたい。ふわふわと。こころのなかを少しずつ書いています。読んだ人の中になにか残ればいいな、って。
秋ナスは嫁に食わすな、なんて言葉があったか。あれは確か、姑からの嫁いびりの常套句みたいなものだったな。 夜勤明けの疲れた脳でぼうとそんなことを思う。もっとも僕には妻はいない。最近付き合い始めた彼女はいるが、秋ナスがそんなに美味しいのなら僕は彼女にたらふく食べてほしいなと思う。僕より年上の彼女は、僕よりたくさんの美味しいものをとっくに知っているかもしれないけれど。 「自分の浮かれ具合がうかがえるなあ。まったく」 平日の昼間だ。人が少ない路地なのをいいことに独り言にし
「あー、迷う」 手狭なワンルームの真ん中で、頭を抱えて唸る。 もう消えないのであろう汚れが所々に目立つテーブルにノートパソコンが置いている。液晶画面には有名ピザチェーン店のホームページが開かれていた。 「チーズたっぷりなのはマストだとして……」 一枚に二種類のピザを選べるタイプ。 「きのこ……シーフード……」 何度もぐるぐると往復したページにももう見飽きていた。脳に刺さるメニューがない。すでに諦めようかとも思っていた。 「もうパスタとかでもいいか……」 半ばなげやりに
薄手のコートを出して、黒のダッフルコートはクリーニングに出した。四月になって、吹く風はまだ冷たいけれど町は確実に春だった。 一昨日見た満開の桜は美しかったし、柔らかい日差しを浴びながら飲むカフェラテも美味しい。それなのに、僕ときたら今日死のうが興味もないような顔でコーヒーショップで一人座っているのだ。 広げた本を読むでもなくぼうとしていた僕の耳に鈴の音が聞こえて、待ち人の来店を知らせた。 「窓際、気持ちよさそうだね」 まっすぐ歩いて近づきながら、君は言った。
「うーさむいー」 「暖房つけるから、効くまで布団にでも潜ってな」 帰るなり文句を言う未来に、僕が言う。 コートを二人分。かける場所がないから、カーテンレールにハンガーをかける。 ストーブをつけると、ブブッと音がして中で小さな火がついた。 上着がないことでの身体の軽さ、ゆっくりと部屋が暖まっていく時間、外の喧噪が遠のく空間。テレビをつけると、聞くでもなく音が心地よく静寂を埋めた。 「布団もつめたいー」 一度寝室に行った未来が、ひょこひょこ歩いて戻ってきた。床が
外に出ると雨はもう止んでいた。九月に入って夜はよく冷え込むようになった。カーディガンを羽織ってローソンに向かうと、肌寒い風が身体をさあとすり抜けていった。 歩く道すがら、スマホを取り出して加奈子にメッセージを送る。 「風が涼しい。散歩が気持ちいいよ」 加奈子と付き合ってから三ヶ月が経つ。散歩が好きな加奈子はよく、今時期ぐらいが好きだと話す。しばらく散歩を続けようとローソンを素通りして歩く。路地に入って、住宅街の中を縫うように歩く。夜十一時。電気の消えた家も多く
梅雨が明けたとニュースが言った。雲の流れが速くなり、空の顔色はすこぶる良さそうで、反比例するように紫陽花はその鮮やかさを失いつつある。 「もう、一年の半分終わっちゃうよ」 絵の具で塗りたくったような青空を見上げながら、瑠衣が言った。 「寂しいな」 言葉とは裏腹に、少しだけ高揚したような声音で瑠衣は続ける。 僕はあえて少しだけ呆れた顔を作って、ため息混じりに応える。 「寂しいかねえ」 そうやって小馬鹿にすると、瑠衣はあからさまにむっとする。僕は瑠衣のその顔
「見て、もう黒くなってきた」 七分袖をまくりながら君が言うから、僕は笑った。 「まだ六月なのに、日焼けするの早いね」 太陽が手加減を忘れる夏には少し早い、六月の晴れた日。もう数年前のことなのに、俺は鮮明にあの日を思い出す。今年もその日が来た。 「先輩って、彼女つくらないんですかー?」 後輩が叫ぶように尋ねてきた。社用車はエアコンの調子が悪く、窓を全開にして走らせている。 「つくれたらつくってるよ」 「えー、またまたー」 風に紛れればいいと、あえていつも
楢崎志乃の墓は、僕の実家から少し歩いた丘の上の小さな霊園にあった。 「お墓まで綺麗だな」 久しぶりに見た志乃は、シンプルで少し小さな墓石に眠っていた。春の柔らかい日差しが降り注ぐこの霊園は、生前の志乃と重なって、まったくぴったりな寝床を見つけたものだと思った。 「帰ってきたよ、志乃」 お墓に語りかける僕の他に、人はいない。遮る物がない丘の上は、吹き抜ける風もやけに素直で、いちいち志乃の様だ。 「五年は長かったみたいだね、志乃には」 話しかけていると、脳裏に
◆ 降り注ぐのは太陽の光で、真夏日のような暑さの中を僕と高部は歩いていた。 「どのバスだっけ」 僕が問うと、高部は無言で自分のスマートフォンを差し出した。 「じゃあ、あっちの乗り場だね」 僕が右手を指さす。示した方向に、高部が歩く。二十二歳。同い年の女友達と比べて、高部はやたらと無口だった。それでも、僕と高部が付き合うことになったのは、なんというか気まぐれだったのだろう。高部の。 ◆ 「高部美緒です」 同じ大学だった高部と知り合ったのは、三回生の時。ゼミが
「今年もお世話になりました、コーちゃん」 だらりと頭を下げて葵が言う。 「こちらこそお世話になりました、葵」 僕もそれに倣う。ふわふわしたものが増えた部屋で、二人して立って頭を下げあう光景というものは、端から見たら滑稽な気がしてすぐに頭を上げた。 葵は鼻声だ。僕の健康管理にうるさいわりに年に五回は風邪を引く葵は、今年も例に漏れず鼻をすすりながらの年末を迎えている。 「来年はどんな年にしようかー」 葵がわくわくした様子を隠しもせず言う。 「風邪を引かない年」
「日曜日か……」 カレンダーの赤字を見てぼやいた。九月の第四週。あと数日でこのページもお役ごめんだ。 あくび混じりにだらだらと着替える。そろそろ冬服を出さないと寒いかもしれない。薄手の上着に袖を通しながら、クローゼットに目をやる。 「めんどくさいな」 今度はため息まで混じった。 けだるい身体を引きずって、一人暮らしの家を出る。「いってきます」を言う相手もいない生活は、普段から静かな僕をさらに無言にさせていた。時折意図して声を出さなければ一日中声を発しないこともあ
「今日が最後の部活ね!」 ガラガラスターン! と勢いよくドアを開いて仁藤真由美が入ってくる。腰まで下ろした自慢の黒髪が、バサッと豪快に広がった。 二月の第四金曜日。高校卒業をあと数日に控えた俺と仁藤は今日が最後の部活動日となる。 「そうだな。俺らの、最後の部活動だ」 俺がそう答えると、仁藤は目を爛々と輝かせて詰め寄ってくる。バンッとテーブルを叩いて身を乗り出す。 数センチ先にまで迫った顔、その勢いに僕の眼鏡がずり落ちる。 「さあ部長! なにするの
花火なんて何年ぶりだろうか。 僕の横に座った香織がくすっと笑った。小さい頃には長かった黒髪も今では短く揃えてふぁさっと軽やかに揺れる。横顔は花火の緑に照らされて。 小さい頃よく遊びにきた砂浜。田舎だからなのか、夜になれば人気もほとんどいなくなるような、だだっぴろい世界。夜の砂浜も、怖くなくなったんだな香織。 「花火ってさ、やってると馬鹿みたいに楽しい気分になったり、かと思えばしんみりしたり、いろんなことを思い出すときもあるし、不思議だなあ」 そういって香織は、袋か
ベランダの窓を開けると、ムワッと重たい空気と一緒にくぐもった音が入ってきた。 「そういえば花火大会だね、今日」 振り返って、ベッドで本を読む彼に言う。 「そうなんだ」 ぺらっとページをめくる音。 「うん、なんか音、聞こえる」 「ほんとだ」 会話の度に視線はこちらに向いて、そして数瞬の後で本に戻る。 私はフローリングに座り込む。ヒンヤリしていて気持ちがいい。 「すげえ汗出る」 彼が言う。暑いとは言わない。
夏の海といっても、七月の入りではまだ冷たい。晴天の昼間だというのに砂浜にいるのは僕と彼女の二人しかいなかった。 僕は後ろから彼女の背中を見ていた。彼女は裸足で濡れた砂の上に立って、時折さらいにくる波の冷たさにきゃっとかひゃっとか声をあげていた。 「気持ちいいかい」 声をかけると彼女は首だけで振り返って、にひひと笑った。 「冷たくて笑っちゃう」 どういう感情なのかと、僕が考える間に彼女はパシャパシャと水が跳ねるように踊り出した。 「水が飛んでくるよ、冷たい」 抗議の声
お酒をやめよう。 一度目の、二日酔いで丸一日を吐き狂って潰した二十歳の頃にした決意は直後に誘われた合コンによって頓挫した。 二度目は同じ二十歳の頃。合コンで歴史的大敗を喫した夜。やけ酒に溺れて、またも吐いた。嘔吐の海で泳ぎながらした決意は、一週間後のゼミの飲み会でびりびりに破かれた。 三度、四度、五度、六度。密かに決意をしては嘔吐のように流れていく。汚い話だ。断酒宣言の数だけ、私は嘔吐を繰り返してきた。 昨夜もまた吐き散らしてきた。渋谷の街を少しばか