掌編小説「セツナハナビ」
花火なんて何年ぶりだろうか。
僕の横に座った香織がくすっと笑った。小さい頃には長かった黒髪も今では短く揃えてふぁさっと軽やかに揺れる。横顔は花火の緑に照らされて。
小さい頃よく遊びにきた砂浜。田舎だからなのか、夜になれば人気もほとんどいなくなるような、だだっぴろい世界。夜の砂浜も、怖くなくなったんだな香織。
「花火ってさ、やってると馬鹿みたいに楽しい気分になったり、かと思えばしんみりしたり、いろんなことを思い出すときもあるし、不思議だなあ」
そういって香織は、袋から筒状の花火を取り出す。
「そんでそれはさ、この火薬のにおいとか、鮮やかな火とか、そういうもののせいなんだろうな」
筒状の花火を置いてライターを探しながら、なんでもないことのように香織が語り続ける。
――まあ、不思議な気分にさせられるよな、確かに。
香織の言葉に僕は困る。当たり障りなく僕は答えるしかない。彼女はまったく変わらない調子で話を続ける。
「明日の私は、このにおいも色も、感じられない。こんなハイなのかロウなのか自分でだってわからないような、こんな気分を味わうのはもしかしたら最後だからなのかもしれないね」
そうだな。
僕の声は、花火の音にかき消されて、僕にすら届かない。弱い言葉だ。
「あー私死ぬんだなあって、実感する。こんなに花火が鮮やかなことを今さら知るなんて」
「ねえ、光」
彼女が、香織が語りかけてくる。僕は必死でこたえたい。そして、彼女を抱きしめて、そして、そして。だけど。
「許してくれるかな」
彼女が、ぽつりと言った。筒状の花火に火をつけて、赤に、青に、そうして緑に香織とその先に広がる海を照らす。
砂と海と香織と僕と。それだけの世界が、今この瞬間どこよりも美しく存在した。その世界の端っこに、香織は淡々と歩を進める。僕は叫ぶが届きはしない。思いも、声も、この手も、彼女には届かない。すでに死んだこの僕に、彼女を止めるすべはなかった。
海を静かに歩く香織が、なんの音も立てないまま、静かにその背を低くする。顔が沈んで、花火が消えて。砂浜には、僕が残った。死んだ一年前の姿そのままの僕だけが。僕はそうして、真夏の潮風が海を撫でて、そのまま上へ昇っていくのを黙って眺めるしかなかった。
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