春乃志
楢崎志乃の墓は、僕の実家から少し歩いた丘の上の小さな霊園にあった。
「お墓まで綺麗だな」
久しぶりに見た志乃は、シンプルで少し小さな墓石に眠っていた。春の柔らかい日差しが降り注ぐこの霊園は、生前の志乃と重なって、まったくぴったりな寝床を見つけたものだと思った。
「帰ってきたよ、志乃」
お墓に語りかける僕の他に、人はいない。遮る物がない丘の上は、吹き抜ける風もやけに素直で、いちいち志乃の様だ。
「五年は長かったみたいだね、志乃には」
話しかけていると、脳裏に志乃が浮かぶ。いつもふふっと優しく笑う志乃と、交わした約束。東京で五年。料理人として、一人前になって戻ると。そうして志乃と一緒に。
「やろうって言ってたレストラン、場所とられてたな。見てきたけど、良いお店だったよ。主人も気さくで、仲良くなった」
駅前の空き物件。二人で前を通り過ぎては、こじんまりしていて素敵だとかちょっと寂れた感じが渋いとか、失礼な感想を言い合った。五年ぶりに帰ったら、そこには二人で思い描いていたようなレストランがあった。志乃が、またひとりで先走ったのかと思ってしまうほどに。そんなことはありえないと、わかっていたけれど。
「志乃」
呟いて、見上げる。なんて、お前にふさわしい場所なんだ、ここは。
桜が咲くといつもはしゃいでいた志乃に、東京の桜も見せてやりたくてたくさん写真を撮ってきた。けれど、丘の霊園には一本の桜が風に吹かれてその壮大な花びらたちを揺らしていた。
舞う桜吹雪。その淡い景色の中で、志乃の姿を見る。
高校生の頃からまったく変わらない。その美少女ぶりで、学内で名前を知らない人のいなかった志乃が、どうして僕と付き合ったのか。結婚したのか。最後まで、わからなかった。
唯一わかっていたのは、志乃がいなくなる前に結婚したのが正解だったことくらいだ。
優しく笑い、「ふわふわ」が口癖だった。春になると必ずふわふわすると言っていた。僕は今になって、その意味がようやくわかってきた。
「わかってきた矢先に、いなくなるなんてな。答え合わせ、したかったんだけど」
仕方ないなと、肩をすくめた。記憶の中で、志乃が困ったように笑った。ごめんね、ときっと。
「今年もふわふわの季節だな」
話しかけながらしゃがむ。陽気に包まれながら、ゆっくりと目を瞑る。
墓石に向かってわずかに手を合わせて、志乃を想う。これからも、時々会いに来るよ。
「ふわふわさ、今度は僕が他の人に伝えていくよ」
君が教えてくれたみたいに。春が好きになった魔法の言葉。今度出会う、大切な人に教えてあげたい。