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千葉優作『あるはなく』(青磁社)

 第一歌集
 2015年から2021年の7年間の291首を収める。
 日常生活を描きながら、その日常生活に収まり切れずに浮遊する思惟、感覚、感情を丁寧に掬い上げて磨き上げた歌の数々。そっと手渡される言葉を味わいながら読みたい歌集だ。自己の身巡りを詠っても、社会を詠っても、歌はいつしか自身の孤独感と連動していく。一首で読ませる歌も多いが、連作にも個性と力を感じる。

カーテンの隙間から見るあをぞらがこんなにも傷めいてはつ冬
 季節を追うように作られた連作。挙げた歌は冬の歌。雪の季節が近いことを感じている主体。まだ雪は降らず、空は青いが、冬の空の青さが傷のように感じられるのだ。カーテンの隙間から見る、細い空だからというのもあるだろう。「こんなにも傷/めいてはつ冬」という句跨りのリズムが読む者の心に刺さる。黙読であっても、傷、の一語が強く意識に残るのだ。

挿管は手早く抜かれ何事もなかつたやうに遺体が残る
 祖母の死を描いた一連。容態の急変のままにバタバタと病院と家を行き来する家族。情景をスケッチする歌の行間から、主体だけでなく、主体の父の苦悩も透けて見える。病院で死んだ祖母には多くの管が刺されていた。生きるための管だが、管だらけにされた身体は健康な者の目には痛々しく映っていた。そしてそれらは死んでしまえば、あっという間に抜かれてしまう。手早い医療者の手際のままに、管など刺されていなかったかのような、何事も無かったような遺体が残される。病院で死ぬということ、死んだ後の遺体と向かい合うこと。その静かな空虚さを描写だけで表現している。

たぶんなにもわかつてゐない後輩の「なるほどですね」がとてもまぶしい
 職場を描いた一連。教えても教えても分かってくれない後輩。何も腑に落ちていないのに、分かったような態度を取り続けることが、その後輩に取って普通になってしまっているのだろう。聞いても理解できない説明を早く終わらせるために、「なるほどですね」と言っておく。そして自分が理解できていないことに周囲が気づいていることには気づけない。そのままで突き進んでしまう鈍感さを、主体は「まぶしい」と感じる。怒りも呆れも諦めも通り越して、むしろ、まぶしい。そんな鈍感さがあれば、自分も生きるのが楽だろうと思うのだ。

川もまた川に溺るるくるしみよ没り日しづかに水無月をはる
 水には人が溺れるというイメージが付き纏う。プールで川で海で、溺れそうになったことは誰しもあるのではないか。ちょっと水を飲んでしまって、むせて。その苦しみはなかなか忘れられない。この歌では川が川自身に溺れると詠う。自らの流れの中に溺れてしまう、そしてそれは川に取ってとても苦しい。川は主体自身でもあるのだろう。自分の中に溺れそうになりながら苦しみながら流れている川に夕日が映る。一日の終りと共に、静かに六月という月が、一年の半分が終わろうとしているのだ。

元気かとあなたに問へばほつほつと椿が落ちるやうな沈黙
 あなたは元気ではない。元気かという問いかけにすぐには答えない。ただ何も言わず黙り込む。椿が落ちるような気配だけが動きながら、沈黙が続く。散文的に考えれば、椿が落ちる音が聞こえるほどの沈黙と解釈することも可能なのだが、ここはやはり、椿が落ちる、その気配が沈黙を表現しているのだと取りたい。とても好きな比喩。

鯖缶のぶつ切りの鯖 この鯖の身体が別の鯖缶にもある
 これは一首で読むのと、一連で読むのに差がある歌だ。一首で読むと、鯖缶の鯖が、一缶に収まらず、数缶に分けて入れられている、と読める。人間の都合に合わせて、身体を刻まれる魚を描いた歌だ。しかしこれは自爆テロを詠った一連にあり、一連で読めば、ぶつ切りにされ、バラバラの缶に収められる鯖が、自爆テロをした青年の飛び散った肉体の喩として感じられるのだ。平穏な食卓の風景が、たちまち、陰惨な自爆死の場面へと反転する。もちろん一首で読んでも、「鯖の身体」という表現が不気味さを湛え、暗い力を感じる歌だ。

そのひとのこころにひらく窓として、傷として、壁に掛けらるる絵は
 画家、神田日勝の展覧会を描いた一連。画家の生涯に触れ、絵の変遷に触れながら歌が紡がれていく。この一首は、画家と絵の関係を描き出して普遍的だ。絵はその画家の「こころにひらく窓」であり「傷」なのだ。額の四角さを窓に喩え、それが心に開く窓だと表現する。この歌の読者はこれから絵を見る度に、それが画家の心に開く窓であり、傷なのだと意識するだろう。絵の見方を変えてくれる一首だ。

ゆふぐれはあらゆる鳥を撃ち落とす火矢のことばを恋へり咽喉(のみど)が
 読みながら、主語が何かというのが、少しずつ揺れてしまう一首。まず、夕暮れが鳥を撃ち落とす、のかと思ったら、撃ち落とすのは火矢で、その火矢のような言葉を、咽喉が恋う。最後まで読んでから整理すると、「夕暮れには、自分の咽喉が、火矢のような言葉を恋う。その火矢はあらゆる鳥を撃ち落とす火矢だ。そんな激しく強い言葉が恋しいのだ」というところだろうか。しかし散文は退屈だ。この歌の良いところは、修飾関係の渦の中に呑み込まれながら、言葉の流れのままに読んでいけるところにあるのだ。

いつか散る花の時間に生きてゐて返事がすこし遅れてしまふ
 美しい歌。花はまだ散らない。けれども必ず散る。そのいつか散る花の時間に生きている。不安定な未来の中に心が吸い込まれているのだ。今を生きていないから、何か話しかけられても返事が少し遅れてしまう。心を今に引き戻すのに、ひと呼吸かかってしまうのだ。そして主体は返事をした後、いつか散る花の時間の中に、再び戻ってしまうのだ。

深呼吸するとき澄んでゆく脳にことばが魚(いを)のごとくひかるよ
 深呼吸して、新鮮な空気を取り込んだ時、脳が澄んでゆくような感覚を持つ。その脳の中で、水の中を泳ぐ魚の鱗のように、言葉が時々きらっと光る。脳をきらめかせて泳ぐ言葉たち。そのきらめきのかけらが作者の中で一つになって、歌となり詩となっていくのだろう。

青磁社 2022.12. 2200円+税

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