斉藤梢『青葉の闇へ』(柊書房)
第三歌集。2013年から2024年2月までの455首を収める。2011年3月11日の東日本大震災から13年が経つ。海の見える名取市の家を手離し、仙台市に越して10年。海から離れても、震災時に津波を見た記憶はまだ作者の心の内にある。震災の日を詠うたびにそれらは新しい歌として残されてゆく。詠い続けることが亡くなった人々への鎮魂であり、作者自身の心の支えになっているとの思いを強く受けながら読んだ。
被災地に行くではなくて帰りくるここが被災地 海見て暮らす(P14)
まだ海の見えるマンションで暮らしていた頃の歌だろう。多くの人が「被災地に行く」という言葉を発するのを、作者は苦い思いで聞いていたのかも知れない。どこかへ出かけても帰って来るところ、自分の暮らすところ、そこが今、被災地と呼ばれているのだ。
黒い波見た目であればヒヤシンスの水の疲れを見てしまふなり(P43)
震災時に黒い波を見た作者。その目を以て自分の身の回りのことを見ていくしかない。水栽培のヒヤシンスを見ても、その水に水の疲れを見てしまう。水は地殻変動により、人の住む処を襲った。水に意志があったわけではない。けれど水は疲れている、と作者には感じられるのだ。
復興とは更に失ふことなのか かの営みの土台さへ無し(P44)
声高く、合言葉のように「復興」と掛け声がかけられ、多くの事物が急ピッチで変わってゆく。「復興」は善であり、必ず成し遂げられなければならないもののように振舞っている人々。しかし、実際に被害を受けた人々の目からすれば、過去の生活の土台さえも根こそぎ奪われてしまうことにもなる。失った上に更に失う。抗い難い「復興」という名のもとに。
今もなほ〈さんいちいち〉とは言へなくて東日本大震災忌日(P59)
軽く〈さんいちいち〉なんて省略して欲しくない。そんなものじゃない。そんな気持ちが歌から伝わる。多くの人の生が突然断ち切られた東日本大震災の日、それは忌日だ。歴史の教科書の年号暗記のようなこの言い方を作者はまだ口にできないし、おそらくそれはする必要の無いことなのだ。
それぞれの二時四十六分を胸の底より取り出す人ら(P59)
被災の状況は人によって全て違う。同じ状況に遭ったとしても、個人の抱えている背景は一人として同じでは無いのだ。黙禱の瞬間に「それぞれの二時四十六分」を思い出す人ら。「胸の底より取り出す」という表現に強い実感がある。
青天の下には海あり群青の上には空あり 黙禱一分(P 61)
空と海を見ながらの黙祷。青天の青、その下の海の群青。海の群青の上の空。青い海と空を鏡のように、お互いを映すものとして詠う。明るい太陽のもとに海も空も青く澄みわたり、美しい景色として作者を含む、黙禱の人々の前に広がっていたのだろう。真黒な津波など無かったかのように。
かたちある〈復興〉ばかり三月の朝刊占める 被災六年(P62)
〈復興〉と言っても、会えていなかった人に会えたとか、心の整理が少しついたとか、目に見えないものもあるはずだ。しかし人は目に見える、形のある〈復興〉ばかりを示そうとする。朝刊には事実ではあるが事実でないような、目に見えること優先の〈復興〉ばかりが載っている。それを見て寒々とした思いを持つのは作者だけではないだろう。
閖上の貝の砂さへ震災を語り始めるわがてのひらで(P90)
被災七年目の歌。被災直後の閖上で拾った貝。家の土台だけ残った状態だったことが一首前の歌から分かる。しかしもうその土台すら無いのだ。あの時拾った閖上の貝殻の中には砂が入っていた。貝を手にした時、作者の手の平にこぼれた砂。その砂ですら震災について語ってくれる。人間が〈復興〉の名のもとに見えなくした記憶を貝は知っているのだ。
被災みな個人的なり 悲しいと言はない人も実は悲しい(P91)
一人一人の被災は皆違う。この人ほど大変な状況ではないから、自分は何も言えない、と他者と比較して何も言わない人もいるだろう。しかし、比較では語れないことなのだ。誰の心にも悲しみがあり、苦しみがある。それを言わない人は言えない人なのかもしれない。黙って悲しんでいる人のいることをこの歌は明らかにしている。
記憶とはやつかいなもの風化せぬやうにと思ひ忘れたいと詠む(P125)
震災の記憶だけのことではない。全ての苦しみ、悲しみに当てはまる歌だ。風化してはいけない、ずっと覚えていなければいけない、と思いつつ、忘れたいとも思う。そうした記憶の厄介さに人は苦しみつつ日々を送るしかないのだろう。特に震災の記憶は、風化させてはいけないと思う面が強い分、忘れたいのに忘れらないという宙吊りの状態になってしまうのだ。
柊書房 2024.7. 定価:2350円(税込み)