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19: 「嫌われる勇気」の感想~人は「主観的な世界」に住んでいる
■はじめに
以前、有名になった本「嫌われる勇気」の感想を書いてみます。
自分は、この本がとても好きなので、是非記事をアップしたいと思っていました。
人気が出たのは大分前なので賞味期限は切れてる感じですが、この本の価値は、「幸せになる勇気」と共にずっと続いて行くと思います。
「嫌われる勇気」は、全5夜からなる「哲人」と「青年」対話になります。
その中から、千代能が重要だと感じている「人は変われる」に焦点を絞って感想を書いてみようと思います。
※ここは、本の導入部分で本文に入る前なので、紹介には丁度いいかなと思い取り上げます。
「変わる」ことの「重要性」と「難しさ」は、説明しなくても既に多くの人が体験済みだとは思います。
普通、現在の生活に不満はあっても、現状維持を続けてしまい「どうしたら現状を打破できるのか?」と動き出す人は少ないかと思います。
この「嫌われる勇気」の中で登場する「青年」はまさにそんな悩みを持ち、今の自分に不満だらけの生活を続けています。
ところが、ある哲人の言葉(下記引用)を聞き、物語が始まります。
・・・世界はどいこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者が住んでいた。納得のいかない青年は、哲学者のもとを訪れ、その真意を問いただそうとしていた。悩み多き彼の目には、世界は矛盾に満ちた混沌としか映らず、まして幸福などありえなかった。・・・
「主観的な世界」とは
初めに導入のお話から「哲人」と「青年」の世界観の違いについて見てみます。
青年: 誰が見ても矛盾に満ちた混沌ではありませんか!
哲人: 世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。
まったく、お互いの世界観に接点がありません。
この違いを「哲人」は次のように説明します。
哲人 人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。
注意)引用部分の強調は、千代能が勝手に行いました。
ここは、まだ本文に入る前の導入部分なので、「嫌われる勇気」を読んだ人の大半は、あまり印象に残らずに次に進んでしまったかもしれません。
それに青年に「主観的な世界」の説明の譬えとして「井戸水の温度」の話をします。
同じ17度でも、夏には「冷たく」感じ、冬には「温かく」感じると言う話です。
それが「主観」であると。
この井戸水の温度の話は、誰でもどこかで聞いたことがあるかもしれません。
自分が思うのは、この例は「主観的な世界」を説明するには、単に温度の違いというところに意識を向けてしまったので、人生に行き詰った青年を説得するための譬えとしては相応しく無いように感じます。
自分が、この話を読んで直ぐに思い出したのは、前回投稿した記事「(なんちゃって)パラレルワールドの体験」です。
この記事では、個々人の世界が「主観的な世界」によって作られることを、より直接的に説明しているように思います。
どちらも人は、「主観的な世界」に住んでいると言う前提になっています。
つまり、私たちが住んでいる世界は、誰にとっても「客観的な世界」など存在しないと言うことです。
何故なら、全ての体験は「体験者のフィルターを通して知覚されたもの」だからです。
この後、青年と鉄人の対話が始まっていきます。
興味がある人は、本を読んで下さい。