ノイズの少ない生き方とは(1)
改めて自己紹介、ioriと申します。
数年前にいろんなことが重なって心身ともにズタボロになり、パニック障害をはじめとしたさまざまな症状に悩まされるようになりました。
めまいがひどく、外出も机に向かうこともできない。その上回復もいつになるか判らない状態。
悲しんだり憤ったりの毎日でしたがどうにもならず、仕方なく仕事を早期退職、自宅で療養することになりました。
早期退職については、収入面など気になる部分も多いと思いますが、今回はまず、どうして僕がこうなってしまったのかを書いてみます。それは現在目指している「ノイズの少ない生き方」へのヒントになると思うからです。長い文章になるかもしれませんが良かったらお付き合い下さい。
僕は非常にプライドの高い家に生まれました。母方の実家は古い修験系の寺院で、代々「先生」や「師」などと呼ばれて来た家でした。
幼い頃から「人の上に立つ人間になれ」などと聴かされながら育ちました。決して厳格過ぎる家庭環境ではなかったのですが、それが僕と言う人格形成の一端を成しました。
小学1年の時、担任の先生からの「皆さんは何のために小学校に入ったのでしょうか?」という問い掛けに「クラスの委員になるためです」と張り切って答え、困惑した先生から親元に相談が来たことを覚えています(苦笑)。
真面目で大人の縮小版みたいな子どもだったのでクラス内では多少浮いていました。それでも友達とは仲良く遊んでいました。しかし高学年の時、とんでもない教師が担任になってから僕の学校ライフは急転しました。
その教師は他のクラスを「レベルが低い」と貶め、「君たちは選ばれた生徒なのだ」などと子どもの気持ちを舞い上がらせ教師に逆らわない状況を作り出すという、今なら絶対に問題となる人物でした。そして僕はその担任に生意気な生徒だと嫌われた為、そこからクラス内でイジメが始まりました。
しかしイジメられていることを両親に相談はできませんでした。母親はまず僕が悪いと見なす性格。父親は怒ると当事者に直接怒鳴り込みに行くタイプなので、誰が主犯か判りにくいイジメ問題には不向き。
一人で抱え込んだ結果、中学2年までそのイジメは続きました。しかし「学校に行かない」という選択は僕には考えられないものでした。僕の家ではそれは「負け」を意味することで、決して許されないと僕は思い込んでいたからです。
そんな僕を奮い立ててくれたのは、大会の学校代表になったり、作品が政府機関の賞を得たなどの「人から称賛された経験」でした。そうしてイジメに怯える心中を決して見せず、見かけだけは胸を張って学校に通っていた結果、徐々にイジメは無くなっていきました。
これらの経験から僕は、”なんらかの方法で自分をしっかり確立できれば、理不尽な連中が僕の人格を否定しても、多くの人は僕の「実績」を見てくれる”ことを学びました。
社会の荒波に立ち向かうには、まず人の称賛を得られる質の良い仕事をすること
それは10代の子どもにとっては確かに良い気づきでした。ですが僕はそれを人生すべての問題解決に役立つオールマイティな手段と思い込んでしまったのでした。
成長し、社会人となった僕は上記の気づきに忠実に仕事をしました。それも表面だけでなく内面からすべてを誠実にしなければ人様の称賛を得ることはできないと考え努力を続けました。
もちろん僕自身は極めて普通の人間なので嫌なことでふて腐れたり、仕事をサボることもありました。しかし中学時代のイジメを思い出すと襟を正さざるを得ない気持ちになりました。
そのプライドや自意識はどんどん大きくなりましたが、これが大きいほどいわゆる完璧主義という性質で、皆から認められる仕事ができるのだと僕は思っていました。
仕事は建築の設計職でした。数年経つと評価も上がり、僕は独立することになりました。メーカーで決められた仕様ではなく、より高い耐震性能や資材の再資源化など、もっと人の、地球のためになる技術をお客さんに伝えたい。そんな気持ちからの独立でした。少ない契約のひとつひとつに徹底的に時間をかけて満足度の極めて高い家を建てる。収入は勤め人の頃より減りましたが楽しく働いていました。
しかし、社会の暗雲は僕の家にも問題をもたらしました。何度か起きた世界的な不景気に翻弄された家人が精神面を病み、収入がほとんどなくなってしまったのでした。もちろん再就職先を探しましたがすぐにはうまくいきませんでした。
当時僕の収入は家計の1/3くらいでしたので、僕の収入を思いっきり上げないと生活ができなくなる。僕は自営業の不安定な収入よりも毎月入って来る安定したお金を求めました。
仕事先はすぐに見つかりました。設計業務の委託を引き受け、そこの社員と一緒にお施主さんとプランを打ち合わせし、施工管理も行う。1件1件はそれほど高額ではないのですが、数が多くなると結構な報酬となりました。その仕事と並行して、僕は自分の事務所の仕事もあきらめきれず、新規の受注を狙って設備の先行投資を考えたり企画を立てたりしました。そんな状況が数年続きました。
ところが、次第にその会社の内部事情が変わって行きました。建築知識のほとんど無い社員が増え、トラブルが多発するようになったのです。僕はその会社に恩義を感じていたので、お金を度外視して問題解決に協力し始めました。
しかし中には無責任な人間がいて、僕が片棒を担いでいるのに乗じて自分の失敗にも知らん顔をする輩もいました。その尻ぬぐいに奔走したり、モンスタークラスのクレーマーに真夜中まで電話で怒鳴られたりが続きました。しかも僕の脳内にはなぜか鬼軍曹のような大男が存在し、弱気な僕を捕まえ逃がしてくれません。僕は自分の会社でもない場所でヘトヘトになりながらも、自分からその状況に居続けたのでした。
そしてある日、僕の身体はおかしくなりました。
やはり長くなったので次回に続きます(すみません)。