腰は体の中心にして「要」だとわかった骨折療養の日々
あの悪夢の日から3週間が過ぎた。
~当記事に、たくさんのお見舞いコメントをいただき
心から感謝いたします~
その後もコメント欄に多くの方々からご心配の言葉をかけていただいてるので、骨折療養の経過をここに公開してみようと思う。
腰は「肉月」に「要」と書く
あらためて「腰」の意味を検索してみると、以下の通りだった。
「つきへん」の旧字体は3種類
初っ端から話は少し逸れるが、「腰」という字になぜ「月」の字が使われているのか疑問に思ったことはないだろうか?
私は中学の頃だったか、どうして体の部位なのに「月偏」なのか不思議で調べたことがあった。
詳細がおぼろげなので再度確認してみると以下の通りだ。
そうそう!「つきへん」にも3種あるのだった!
・夜空の「月」が元の漢字
「朗」「朔」「朓」「望」「朧」
・舟月が元の漢字
「前」「朝」「潮」「嘲」「藤」
・肉月が元の漢字
「腹」「胸」「肌」「脚」「胴」「膝」
「腰」に使われる「つきへん」は夜空に上がる「月」ではなく、「肉」の字から象形化されたもので、漢字の偏として使う際ににくづきの「月」として区別され、体の部位を表す字に使われる。
今ではどの「月偏」も同じ「月」だが、旧字体を調べてみると元々の意味はまったく違い、その由来をたどるとそれぞれの変遷は独自に進化してきたものだとわかる。
話を元に戻すと、「腰」という字がこの「肉月に要」であるという意味を、今回私はつくづく身に染みて体験することになったのだ。
う~ん。日本語は奥深い!
些細な動作に激痛が走る
腰を曲げることができないので、下の物を取るときは相撲取りがしこを踏むようにガッツリ「がに股」になってゆっくりしゃがまないといけない。
起き上がるときはしっかりと周りの何かに捕まらないと立てない。
ここまでは想定内だったが、意外と手足を伸ばしたり、手首足首を回したりするのにもヒビいたりするのには驚いた。
それに、寝返りを打つのも一苦労で、寝る時の位置を少しだけずらしたい時にも激痛が走る。
それまで一度も気付かなかったが、寝る位置を微調整するには無意識で腰を浮かせていたのだと気付かされた。
料理をする時も、意外な動作に腰を使っていることに気付く。
例えば、大根おろしやマッシュポテトなどをする際、その器具を使う時に腰に激痛が走った。
思わず、近くにいた夫に代わってもらったが、「こんなこともできないのか」と情けなくなる始末だ。
もちろん運動や重い荷物を持つのがNGなのはわかってはいたが、取るに足らない日常の些細な動作にも腰を使っていたのかと、今更ながら気付かされたのだ。
腰は身体の要なのだと、その漢字の元の意味を嫌でも思い知ることになった。
仕方がない、杖を買おう。
私はnote記事を様々なSNSでシェア投稿している。
アメーバや楽天ブログ、インスタやX、Facebookなど。
そうする事で過去の友人たちにも手っ取り早く近況が伝わるし、ご無沙汰していても皮一枚でも常に繋がっているという実感があるからだ。
ありがたい事に前回の骨折の記事に、早速、旧友たちからお見舞いのLINEをもらった。
レキジョークルのチコさんともLINEのやり取りのあと、骨折一週間後に、車での送迎付きで近所のカフェで話す機会を得て、事の詳細を喋りまくる事でかなりストレス発散になった。
幼馴染の久美もFacebook経由で知ったようで、いち早くLINEでのお見舞いが来たり、気付いた数名の友人たちと少しの会話を交わすだけでも気晴らしになり、つくづく友達はありがたいものだと痛感した。
杖なんて他人事だった
その旧友たちの一人が、腰の骨折経験者で、
「大袈裟やと思わんと杖を使いや」と言ったが、言われたその時は、ゆっくり歩くことはできるし、まさかそこまではいらないと高をくくっていたが、結局買う羽目になったのだ。
どうしても用事があり、夫に連れられて近所の大型ショッピングモールへ買い物に出かけた時に、広い空間を歩くのが怖いと感じたからだ。
家の中とかカフェ内とか狭い空間の中だと、手を伸ばせばすぐに掴るものはあるが、広い空間だと皆無であり、その中を頼りない足取りでひょこひょこ歩かなければならない。
夫に手は繋いでもらっても、まさか抱っこしてもらうわけにもいかない。
たしか、友人は「100円ショップに売ってるから」と言っていた事を思い出し、すぐに建物内の100均へと行き、人生初の「杖」を買った。
すると、なんて楽なんだろう!と感動してしまったのだ。
この際、周りにどう思われようとかまわない。
今は自分の安全だけを考える事にする。
杖を持ってみて気付いたのだが、そうする事で、周りの方々も私に対して注意をしてくれるようで、ある意味堂々とゆっくり動くことができる利点もあった。
約2週間後に変化は来た
それにしてもこの痛みはいつまで続くだろう?
まさか1カ月もこのままだろうか?と、毎日変化のない症状にうんざりして2週間ほど経った頃、ある朝、熟睡して目覚めの良さを感じた日があった。
あれ?ちょっとだけマシか?
明らかに前日までとは違うのを感じ、患部の痛みが和らいでいるのを自覚できたのだ。
同時にしっかり睡眠を取るのが、回復には欠かせないことも知った。
一難去ってまた一難
ああ!これはかなり楽になったと喜びも束の間、今度はなぜか右半分の背中からお尻にかけてに鈍痛を感じるようになった。
まるで筋肉痛か神経痛のような重い痛みがあり、歩くときに右足を軽く引き摺ってしまうほどだ。
まさか今頃になって打ち身の痛みがきたかと思い、医師に相談すると、これは「治る過程の一つの症状で心配はいらず、確実に快方へと向かっている」との事だった。
「いうても骨折してるからねぇ。
患部の周辺のあちこちに影響はありますよ。」
「はぁ。そうですか…」
「骨が固まるのには3カ月かかります。」(キッパリ、ドヤ顔で)
全治3か月とは聞いてはいたが、もしかしたらもっと早く治るのではないかという淡い期待は、もろくも崩れ去った瞬間だった。
筋肉を柔らかくする薬を処方され飲み始めて、少し痛みはマシにはなったが、やはり右足は今も軽く引き摺っている。
そして、これを書いている今も、軽く右半分の腰あたりが重たい。
なぜ右?
もしかして今度は左側も痛くなるのか?
やっぱり頼れるのは夫だった
息子も言えば動いてはくれるが、やはり何といっても僕となってくれるのは夫だ。
悲しいかな、彼のできる家事は掃除ぐらいのもので、料理はまるでできないし、洗濯を干せば隅までちゃんと伸ばさないし、たたむのもぐちゃぐちゃだが、それなりに一生懸命の熱意だけは伝わる。
料理ができないので、必然的に食料品の買い物も無理で、夫が休日か遅刻できる日に買いだめをする。
そんな時も汗みずくになって重たいものを一人で運んでくれるのだ。
洗濯カゴに入れた洗い済みの山盛りの衣類をベランダまで運び、クーラーの室外機の上に置いてくれたり、些細なことも気付く限りのことはしてくれている。
さて、そろそろ足の爪を切ってもらわねばならないが、やってくれるだろうか?
そういえば妊娠中、お腹が大きくなってきた時も足の爪を切ることができず、その時はマニキュアまで塗ってくれたが、今はどうだろう?(笑)
今は私の僕となっている夫には感謝しかない。