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浅田次郎にハマれば歴史が知りたくなる~「幕末史1」

浅田氏は「新選組」がお好きなようです。
幕末を描いたもののうち、そう感じずにはいられない作品が多いように思います。

もっと絞れば「斎藤一」が好き?

読了した浅田作品から、新選組そのものより斎藤一に対しての愛を感じてしまいます。

どの歴史作家もそうですが、どうしても好意的に思っている人物が誰か感じ取れるもので、浅田氏も例外ではありません。


幕末の一連の事件を思う時、どうしても私はこの「新選組」はなかなか理解できない団体でした。

ただの「サムライごっこ」をしながら、自己陶酔して人殺しをする危ない異常集団にしか見えず、彼らの正義がまったくわかりませんでした。

その当時のカオスな時代背景を知って、当時の人々の考え方を理解しないと、現代人には解り得ないのです。

しかし、浅田作品をはじめ多くの幕末小説を読む中で、やっとなんとなくわかってきたように思います。

そうなると「かっこいい」ではなく、今度は「可哀そう」な集団に思えてきたのです。

そして今は、「新選組」とは、あえて時代に逆行するしかなかった哀れな集団に映っています。


そんな浅田作品の幕末を舞台にした作品を2回に分けてピックアップしていきます。


輪違屋糸里わちがいや いとさと

女目線の「芹沢鴨せりざわ かも暗殺事件」

新選組がまだ京都・壬生の八木邸と前川邸を屯所とし、分宿していた頃のお話で、八木邸で起こった芹沢鴨せりざわ かも暗殺事件」を採り上げています。

新選組のメンツがそれぞれ生き生きと描かれているだけではなく、八木家、前川家の人々、そして京都島原の「太夫たゆう」たちなどの女目線で一連の事件を見たものです。

太夫(たゆう)とは、遊女芸妓の位階。最高位である。

Wikipedia

ちなみに花魁おいらんとの違いは、

花魁は最高位の遊女に限定されている呼び名で、太夫は舞いや踊り、音曲や鳴物を極めた女性のことを指します

太夫になるには芸妓げいぎの修行過程で多くの階位があり、主人公の糸里は架空の女性で、まだ「太夫」ではないという設定です。


女たちの度量に驚く

私が驚いたのは、屯所両家の奥方たちにしろ、糸里はじめ芸妓たちにしろ、何かが起こる気配● ● ● ● ● ● ●を感じ取っていたことです。

にもかかわらず、平然と関わっているという肝の太さには感心せずにはいられません。

むしろ新選組は脇役で、実は周りの女たちが主役なのです。

強く!逞しく!潔く!の三拍子揃った女達の生き様に拍手したくなります。

女たちの胆力に脱帽するとともに、女の方が中身は本当の「男らしさ」を備えているのではないかと確信できる小説です。

残念ながら上戸彩さん主演のドラマは見逃していますが、2018年の藤野涼子さん主演の映画はレキジョークルで観に行きました。



実際に訪れると鳥肌が立つ

「八木邸」
舞台となった「八木邸」にはプライベートとレキジョークルとの2回訪れています。

この門を新選組隊士がくぐり、ここの縁側で雑談し、この内庭で素振り稽古をしたのか。と、いちいち妄想してしまい感激の嵐でした。

事件当日の実際の刀キズも残っているので、さらにリアルさが増し、きっと何度行っても、妄想してしまうでしょうね。

過去に八木邸について記事にしたことがあります。



揚屋あげや」と「置屋おきや

現在ではわずかに残る程度ですが、いわゆる「芸者遊び」と言われる遊宴システムが確立されていました。

一般的には下記の通り、揚屋あげや置屋おきやとに生業は分かれていたのです。

高級遊女を呼んで酒宴を開く料亭だった「揚屋(あげや)」や、それらの遊女を教育して抱え、揚屋のような料亭や茶屋などへ要請に応じて派遣する「置屋(おきや)」

奥の枝道 其の四 京都・幕末編


揚屋あげやの「角屋すみや

ここは「角屋もてなしの美術館」として有料で一般公開しています。
丁寧な解説付きで1階は撮影OKの上、こころゆくまでじっくり見学できます。

太夫の衣装やかんざしなども展示されているので、見ごたえ十分です。

新選組隊士による刀キズや西郷隆盛が行水したと言われる大きなたらいもあります。


「角屋」
芹沢鴨が最期の晩餐で座ったとされる場所
2011/11/5撮影




置屋おきやの「輪違屋わちがいや

これも今でもあるんですよ~!
残念ながら基本的には非公開なのです。
しかし、何度か公開期間があったようで、私はまだその幸運にありついていません💦

外観だけでも感涙ものなのに、内部を見学したら、感動しまくるのは間違いないです。

「輪違屋」
見学はできないが建物は今も残る
2011/11/5撮影


これらの現場を見ることで、幕末はほんの最近の事なのだと実感でき、歴史上の人物でありながら、彼らの息吹をさえリアルに感じることができるのです。




一刀斎夢録いっとうさいむろく

このタイトルを区切るとすれば、「一刀斎」「夢録」です。

一刀斎いっとうさいこと元・新選組三番隊長・斎藤一さいとう はじめの回顧談です。

才谷梅太郎なる浪人の本名は、坂本龍馬という。
わしが龍馬を倒す刺客となったいきさつを
聞いていただこうか

一刀斎夢録

まさか、坂本龍馬を暗殺した??
序盤に登場するこのくだりに釘付けになりました。

生々しい斎藤一の回顧談

時は、明治が大正と改まった年、69歳となり藤田五郎と名を変えた斉藤が、ある若者に、自身の半生を回顧しながら語り尽くすのです。

ご存じの通り、坂本龍馬が暗殺された「近江屋事件」は未解決のまま時が過ぎ、今となっては諸説あり、犯人は未だ特定されていません。

京都見廻組、新撰組、幕府、紀州藩、薩摩藩、会津藩…

様々な憶測が飛び交うのですが、この作品ではあっさりと斎藤が認めています。

個人的には、私は新選組隊士ではないと思っています。
しかし、この本を読むと「あり得るか?」とさえ思えてしまいます。

というのも、文中の斎藤の話は異常に生々しく臨場感にあふれ、それらの光景が目の当たりに想像できてしまうからです。

身動きできないほどの勢いで、引きずり込まれ、彼の語りを通して、浅田氏の緻密な想像力に感嘆します。

そして作中で再認識したのは日本刀の切れ味と、「居合切り」の凄さです。

たった一振りで両手足首を切断する早業に感嘆しながらも、慄いたものです。
文章から脳内再生されたシーンは、今でも蘇り、鳥肌が立つ思いです。


新選組の貴重な生き残り

新選組の総勢は一時はマックスで500名ほどいたらしく、幹部を含めた役付きは18名。
さらにその幹部として生き残ったのは永倉新八とこの斎藤一の2名です。

斎藤は戊辰戦争でも会津に従軍し、降伏後も会津とともに下北半島の「斗南」に移住していますから、最後まで屈しないという芯の通ったものを感じますね。

そこまでの経験をしながらも生き残れたというのは、単に剣の腕が立つという言うだけではなく、よほど強運だったのでしょう。

しかしながらそれは新撰組として、
また、
その剣で戊辰戦争や西南戦争において多くの命を奪った人間として、
業に苦しみ続けた人生だったようです。

死に場所を求めているうちに大正まで生き延びるハメになった男のとてもつらい試練の生涯でした。

死するは易く、生くるは難かたい。
殺すは易く、生かすは難い。

この言葉に、斉藤の全てが込められているように思います。彼の目を通して、また違った角度からの新撰組を眺めることができます。


最期まで武士として

1915年(大正4年)9月28日、胃潰瘍のため享年72歳でしたが、布団の上で果てたのではなく、床の間で、禅修行の座り方である結跏趺坐けっかふざで往生を遂げたといいます。

このエピソードを読んで、彼の一貫した「信念」を感じるとともに、新撰組の一人として、誇りを持ち続けたのだと、私は確信します。

彼はやみくもに人を斬ってきたわけではなく、
究極の勝負をしてきた剣士として、魂は武士以上に武士らしかったのでしょう。


実際にあるはずの「夢録むろく

子母澤寛しぼさわかんの『新選組遺聞』に、斎藤一の「夢録」が存在すると記述があるのですが、いまだに発見されていません。

浅田氏は、妄想三昧でそれを仕上げたのが本書です。
もし後世に発見されたら、また驚きの真実が書かれている可能性もあります。

さて本物と創作の「夢録」はどちらにドラマがあるのでしょうね。



【関連著書】



※トップ画像は京都島原・楼門の提灯(2011/11/10撮影)


このシリーズの前回はこちら↓↓↓


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浅田次郎にハマれば歴史が知りたくなる~「幕末史2」


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