「武士の鑑」の最期をどう演じるか
さて「鎌倉殿…」では
3代将軍・源実朝が公家から妻を迎えるにあたり、上洛した御家人たちの歓迎の酒宴で、北条時政の娘婿である平賀朝雅と畠山重忠の嫡男・重保とが口論になりました。
その理由を大河では、同行していた北条時政・りく夫妻の長男・政範の突然死をめぐっての事で、言った言わない、やったやらないというものでした。
お互いに譲らず、朝雅のほうは遺恨を残して時政夫婦に畠山の事を讒言し、畠山没落に向けて大きなフラグ立ちました。
実際、鎌倉幕府に貢献し勢力を拡大してきた畠山氏は、ほんの些細な事をキッカケにあっという間に滅亡へと追い込まれてしまうのです。
白の畠山重忠VS黒の北条時政
武勇の誉れ高く、清廉潔白な武士の鑑と称賛された有力御家人・畠山重忠。
しかも、妻は時政の娘で、その子の重保は実の孫にあたります。
いくら平賀朝雅経由で妻のりく(牧の方)にそそのかされたと言っても、時政の真の目的は畠山が治める武蔵国にありました。
時政は政所別当として武蔵国を完全掌握したいという野心があったのです。
ですから今回の娘婿・平賀と重忠の息子・重保との口論は、時政にとって、渡りに舟のことで、邪魔な畠山を潰す絶好の口実となりました。
結果的には北条に潰されるのですが、その代わりに時政と義時親子の対立を生み、時政は自らの身を亡ぼす事にもなります。
この辺りを吾妻鏡はうまく編纂できていて、北条一族の都合の良いところばかりではなく、北条時政を悪党として描く事で畠山重忠の英雄性を際立たせているのです。
腹黒の北条時政と潔白な畠山重忠との対比も見どころの一つです。
中川大志の演技力に注目!
また一人、退場するのかと思うと寂しくなります。演じているのは中川大志(以下敬称略)ですが、彼の演技力の幅広さには目を瞠るものがあります。
今年の大河での彼の演技も、密かに私は着目していたのです。
🔹「家政婦のミタ」ーお兄ちゃん役
私が彼を初めて知ったのは2011年の「家政婦のミタ」の子役でした。
正直、この時はまだまだ脇役で、3人兄弟の長男役としてしっかりした演技ではあったものの、さほど目に留まるものではありませんでした。
この当時は、中川大志という俳優名より、「ミタのお兄ちゃん」としての認識の方が大きい感じでした。
なにせこの時の主役・松嶋菜々子さんの180度イメチェンした演技に注目させられて、あまり眼中に入らなかったのです。
🔹「平清盛」ー頼朝の子供時代
実は、大河出演も私が知る限りでは今回で3度目で、もはや大河俳優としては定番の存在となっています。
第1回目となったのは「ミタ」の翌年の松山ケンイチ主演の「平清盛」では、源頼朝の子供時代を演じたことでした。
「平治の乱」で父・義朝を失くした頼朝は平家に捕らえられ、清盛と対峙するシーンは見どころでした。
庭にひざまずきながら上目遣いに清盛を睨む表情は、まだあどけなかったにもかかわらず、なんとも力強いものでした。
結局この時に頼朝を処刑しなかった事が、後の平家滅亡へと繋がり、後世に至るまで教訓として残り、滅ぼした家は子供諸共に皆殺しする事が当然の処置となったのです。
頼朝の子供役と現在の重忠役とを比較してみると、外見だけでもその成長がよくわかります。
🔹「真田丸」ー豊臣秀頼役
関ケ原から14年後、京都・二条城で家康と会見するシーンは、あまりにも堂々したもので、ちょっと感激ものでした!
実際、すでに関ケ原から14年も経っていたし、家康としては厄介ではあるものの、まだまだ豊臣の家臣団は侮れず、今後は一家臣としてどのように上手く使えばよいかを試案していたと思われます。
しかしこの会見で、あまりにも秀頼の優秀さに驚き、豊臣家を完全に潰すべく「大阪の陣」の計画が芽生えたのでしょう。
秀頼は暗愚だと思って油断していた家康は、豊臣を滅ぼすことに本腰を入れることになります。
家康との対峙一発目の「豊臣の秀頼である。」というセリフに、堂々とした威厳があり、このシーンを見たときはシビレました。
母・淀君と家臣たちとの意見の間に翻弄されるジレンマも上手く演じていました。
🔹au 意識高すぎ!高杉君ー細杉君役
こんな役もこなすのかー!と驚いたのが、auのCM。
意識高すぎ高杉君の友人役、細杉君。
初めて見た時は、あまりの変貌ぶりに「誰??」とさえ思ってしまったほど
まるで別人!
あの頼朝や秀頼、そして今回の重忠とは同一人物は思えなぐらいの演技で、いや、私はむしろ別人だと思っています。
ほんとにおもしろい!
笑いも取れるなんて大したものだと感心しています。
🔹これからの成長ぶりにも注目したい!
中川大志くんは、1998年生まれの今年まだ24歳です。
その年齢の割には今回の重忠役は凄みがあり、むしろauCMの方が年相応かもしれません。
何年か先には、必ずや大河の主役が回ってくると睨んでいるので、歴史上の誰を演じるのか今からとても楽しみにしているのです。
大河以外でも、これからどんな大役を演じるのか、有望な俳優であるのは間違いありません。
とうとう畠山重忠ロスが近づいたと思うと、なんとも侘しく、重忠の最期をどう演じるのか?
シッカリ見届けたいと思います。
「畠山重忠の乱」後日譚
畠山重忠が一家もろとも滅ぼされた「畠山重忠の乱」。
北条時政の謀略で、その子・義時は親の命に従い、渋々出陣し、重忠の首を見て悲嘆にくれたとありますが、それはどうでしょう??
この事から8年後の1213年、重忠の末子の畠山重慶が日光山で謀反の計画を立てているという噂が幕府に届き、3代実朝は命は取らず生け捕りにして連れてくるようにと御家人の一人・長沼宗政に命じます。
しかし、長沼は重慶を殺害し、首を持ち帰ったのです。
元々、畠山氏に同情を寄せていた実朝はこの行為を非難したところ、長沼は「生かしておいては幕府の過失になる」と逆ギレしたと言います。
◇◇◇
ここからは妄想ですが、この当時、義時は父・時政を追放して2代執権となっており、ウラで討伐を指示したのではないか?
手を下した長沼は気性も荒く、文人肌の実朝を快く思っていなかったようですが、執権の義時もこの事を知らないわけはなく、無実の罪で滅ぼされた畠山に同情と後悔を持っていたなら、何かしらの行動の記録があってもいいはずです。
きっと、畠山の所領の武蔵国はすでに他の御家人が入り、今さらその子孫に出てこられたらややこしいと思ったのではないか?
父・時政から執権を継いだ義時のあとは、そのまた息子の泰時が継ぎ、執権・北条得宗家として9代続き、その権力を世襲することになります。
トップ画像
イラストACの画像使用してCanvaで作成
【関連記事】
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。