源実朝に子供ができない理由
義時の顔つき、ますます悪くなってきましたね~。
言葉なくギロリと睨まれただけで、何も言えない凄みがあります。
そのこわ~い義時に実朝が懸命に抗おうとしている姿は健気です。
しかし暗躍する手立ては、義時には叶いません。
人知れず実朝が切望した船の設計図に細工し、舟を動かせないほどの重量に仕上がってしまいます。
結局着水すらできずに、船はただ浜辺で朽ちていくのです。
純粋な実朝ちゃんは落胆のあまり涙ぐみ、母の政子にヨシヨシされいました。
御存知の通り、結局実朝は子を成さないまま暗殺されてしまい、源氏は3代で途絶えます。
今回は、なぜ実朝に世継が出来なかったのか、妄想して、いろいろ考えてみました。
子を作らなかったのか?
できなかったのか?
普通に正室千世(私とは読みが違う)との間に子がいるか、側室をもうけるかすれば問題なく、世継は誕生したはずなのですが、どうして子孫を残せなかったのでしょうか?
実は吾妻鑑によると、実朝は自分には子供はできない事を予見する言葉が残されています。
実朝は、官位の昇進を異常に望み、右大臣にまで登ります。
本業の「征夷大将軍」としてのお勤めがあるため、義時と大江広元は早いペースでの昇進を諫めます。
すると実朝は、
「心配は有難いが、私には子が生まれる見込みがないので源氏将軍は私で絶えてしまう。だから、せめて家名だけでも上げておきたいのだ」
といわれて、彼らは引き下がるのです。
なぜ、子が出来ないという確信があったのか?
考えられるのは以下の理由でしょう。
①性的不能説
精神的?それとも生まれつき?
②源氏断絶希望説
兄、頼家の悲惨な最期や北条氏のした粛正劇を見て将来を悲観?
③女性説
実朝は女性として生まれたが幕府の為に男として育てられた?
④夫婦不仲説
正室・千世との相性が悪く子作りに消極的?
⑤天然痘後遺症説
病気の影響により子供が出来ない体質になった?
正直、本当の理由など、どこにも明記されていないので、まったくわかりません。
「鎌倉殿…」では上記以外の理由?としてほぼ決定付けていました。
三谷さんが選んだのは男色説!?
北条泰時への切ない想い
以前の放送で、実朝(柿澤勇人)が北条泰時(坂口健太郎)に和歌を送っていたのを憶えていますか?
源仲章(生田斗真)から、これは恋の歌だと聞き、朴念仁の泰時は「鎌倉殿は間違えておられます」何の悪気もなく実朝に和歌を返してしまいました。
和歌を返された方の実朝は一瞬、哀しそうな表情を見せつつ、「間違いであった。」とまた別のものを差し出します。
実朝は、上記のように失恋歌のつもりで泰時に渡したのですが、泰時はきっとその文面通り、躍動感ある猛々しい波の様子から、武士としての働きを期待されていると取ったのでしょう。
ここは実朝の切なさいっぱいのシーンだったのです。
男色は珍しい事ではなかった
実朝は妻の千世に(男色を)告白し、夫婦共通の苦悩を抱えることで精神的に結ばれました。
そして、夫婦で歩き巫女(大竹しのぶ)を訪ね、こう告げられます。
この時の実朝の様子を思い出してください。
ハッした表情のあと、またたくまに目に涙を浮かべ、感極まっていました。このシーンには、実朝の深い鬱屈した思いが晴れた瞬間だったのです。
歩き巫女の言う通り、男色は特別な事ではありませんでした。
【藤原頼長】
2012年の大河ドラマ「平清盛」で悪左府の藤原頼長もそうでした。
あ!そういえば時の頼長役は山本耕史さんでした。
やっぱり悪役は上手いですね。
藤原頼長は男性との生々しい情事を日記「台記」に書き残しているのです。
【後白河法皇】
源氏と平氏を手玉に取った後白河法皇(西田敏行)もそうでした。
家臣である九条兼実が、『玉葉』にその男色関係について苦々しく綴っています。
【戦国武将】
時代は下って、織田信長と小姓の森蘭丸や家臣の前田利家との関係、徳川家康と井伊直政の関係もそうだったと言われています。
日本の歴史上、男性間の恋愛は禁忌ではなく、NHKだから?生々しい描写は避けているだけで、大河ドラマに登場するような人物でも男色だった記録は残されているのです。
しかし、上記の人達は男色とはいえ、ちゃんと女性との間にも子を成していますが、実朝だけまったく女性を寄せつけないというのが決定的に違います。
「子は出来ぬ」と断言するのは、心の中で苦悩の葛藤の末の言葉なのでしょう。
もちろん、実朝は他の理由で子供をもうけることが出来なかったのかもしれません。
男色だったというハッキリした史料もありません。
ただ総合的に見ると、女性を恋愛の対象としてどうしても見ることができなかったというのが一番有力なのです。
三谷さんは、その無難な説を取ったようですね。
実朝は才能あふれる有能な政治家
今回の「鎌倉殿…」での実朝は、今まで北条氏の傀儡将軍と見なされていたのを、近年の研究成果をふまえて、和歌に秀でた文化的才能と政治力や判断力のある将軍として描いています。
北条義時にキッパリと反発する姿は素晴らしく、シッカリとした自我の芽生えと将軍としての自覚が伺えるものでした。
もし、子に恵まれていたら、北条氏はこの辺りで滅んでいたか、一族もろとも地方へ流されて以後の政治には介入できなかった可能性もあります。
それだけに、実朝のどうしようもない切ないジレンマが際立つのは、さすがの演出だと思います。
千世のその後は?
夫との間には夫婦関係を結べないと解りながらも、実朝に寄り添った千世は幸せだったのでしょうか?
後鳥羽上皇の従弟であり、鎌倉幕府3代将軍の御台所として嫁いだにもかかわらず、結婚生活はたった14年で突然終わるのですから、彼女の心中を思うと気の毒で仕方がありません。
実朝とは肉体的には結ばれないという事は、同時に母となる事も叶わない事を意味します。
このような精神的な純愛は存在するものなのでしょうか?
夫は側室すらも置かずに暗殺されてしまったため、わからないのですが、この先も実朝が生きていたら、希望的にみれば、千世との間に子を成す可能性もゼロではなかったのではないか。
そう思うと千世もまた不憫に思えてきます。
夫亡き後、彼女は京へ戻り出家して本覚尼と号し、北条政子の大きな援助を受けて遍照心院というお寺を建て、夫の冥福を祈り続ける生涯を送りました。
敷地内には等身大の正座した源実朝像があり、現在でも大通寺と名を変えて存在しています。
柿澤勇人さんの経歴にびっくり!
「劇団四季」出身のミュージカル俳優
実朝を演じる柿澤勇人さん。彼の経歴を見て驚きました。
劇団四季の「ライオンキング」の主演など、ミュージカルの舞台を中心に活躍されているとの事。
ライオンキング??
私、大阪公演は観たけど??もしかして会った事があるのか?
と思って調べてみましたが、私が観たのは柿澤さんではありませんでした。
実は、私は劇団四季は「キャッツ」も「美女と野獣」もシッカリ観ています。
有名どころの舞台だけ観るというミーハー的ファンではありますが、毎回なかなかの仕掛けに感動している一人です。
伝統芸能の家に生まれる
柿澤さんの曽祖父・清元 志壽太夫さんと祖父・清元 榮三郎さんといい、天性の美声と豊かな声量を持つ「浄瑠璃」の一種である清元節三味線方で活躍されている親子二代の人間国宝なのです。
この事を知って思い出した「鎌倉殿」でのシーンがあります。
実朝が自分の和歌を、三善康信(小林隆)に添削してもらうために、詠みあげるシーンがありました!
その時は、「え??」と耳を疑うほどの朗々とした美声にアフレコではないかと驚いたのです。
なるほど、遺伝的な要素もある上、ミュージカル俳優として活躍されていたのであるなら、あの時の美声と絶妙な節回しは紛れもない本物だったのですね。
てっきり新人俳優さんかと思っていたら、実力も実績もある方だった事に驚きました。
◇◇◇
さて、もうすぐ実朝も暗殺されるのですが、せめてその最期は北条泰時が看取ってあげて欲しいと思わずにはいられません。
史実とは違っても、そのような設定を願ってやみません。
※役者名は敬称略
【参考文献】
・Lmaga.jp
・武将ジャパン
・Wikipedia
・源氏将軍断絶(坂井孝一)