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「打てば響くお付き合い」note版

おととしの夏、まだnoteを始めて1ヵ月も経たない時に、人付き合いについて記事を書かせていただきました。

リアルな現実社会においては、どうしても人間同士には「相性」というのがあって、会話の弾む人と、会話が続かない人とがあるものです。

その注意点や提案を書かせていただいた記事なのですが、これはnoteの世界にも当てはまると、最近は特に感じています。

いくらネット上のお付き合いとはいえ、PCやスマホの向こう側には生身の人間がいて、それぞれに感情もあり、考え方も違う事がわかります。

いくらネット上でも、暗黙の内に「打てば響く人」はいるものだと感じています。

いくらネット上であっても、「思い」は伝わるものです。

いくらネット上であっても犯してはいけないルールはあります。

上記の過去記事内容に沿って、そのnoteバージョンを整理していきたいと思います。

note上での「打つ」とは「スキ」や「コメント」になります。



打って響けば心で繋がる

現実に面と向かって話すわけではないので、アイコンを自分の写真にしていない限り外見などはわかりません。

しかし、日々いろいろなやり取りをしていると、相手の家族構成や年齢などが少しずつわかり、興味のある事や得意分野も把握でき、それらに対しての思いもだんだんとわかってきます。

最初は何もわからないぼやけた存在が、徐々に輪郭がはっきりしてきて、ある程度の性格も想像できてきます。

人の思いや性格などの内面は、むしろリアル世界よりもnoteのようなSNSにこそ表れ、会った事もない人でありながら、とても近く感じられる場合もあります。

お互いの会話の中で軽く打った一言が、相手にどう響くかによって、その後の関係性が左右されるのです。

一度、響き合えば、話題は自然と湧き、お互いの世界は広がります。

そう考えると、「心」が繋がるのはむしろネット上のやり取りかもしれません。


打っても打っても響かない

逆に、いくら「スキ」や「コメント」でジャブ打ちしても全く返ってこない人もいます。

コメントをしてもそのコメントにスキを付けただけで返信しないとか、こちらが何度もスキしても無反応とか。

これが良いか悪いかではなく、そもそもnoteに対するスタンツが違い過ぎて、まるで響かないのでしょう。

響かない事をいつまでも打ち続けるには無理があり過ぎ、「交流」は成立しません。

何一つ発展性の無い関係です。

こういう場合、リアル世界ではお天気の事ぐらいしか話題はないのですが、noteで関係を絶つのは簡単な事です。

心は繋がりやすいけれど、繋がりを絶つのは一瞬でできます。

どういう風にnoteを続けていくのかは自分次第ですが、根底にはリアル世界と同じ「礼には礼を」は絶対に必要だと私は思います。



自分の押し売りは厳禁

リアル世界でしばしばみられるのが、一方的に自分の話題ばかりしたり、人の話も自分の話にすり替えてしまう人がいます。

いわゆる言葉のキャッチボールが出来ない人で、大方はそんな自分にまったく気付いていません。

何か話そうとしても聞く姿勢がないため会話は成立せず、ショータイムが始まったと観念して、観客に徹するしかありません。

特にこのような人が上司なら、ショータイムはもはや拷問でしかありませんね。

noteでの自分のショータイムの場は記事であり、思い存分自分の意見を述べることができます。

しかしコメントは違います。

あくまでも記事主が主役なので、それを忘れて自分の意見を一方的に通したり、決めつけた文章はいただけません。

そこのところのボーダーラインは、記事主と自分との関係性によっても違ってきますが、まずは「響き合える関係」である事が肝要でしょう。

自分を肯定する事は、とても前向きでいい事なのですが、自分が全て正しいと思うあまりに、意見の押し売りにならないようにしたいところです。

記事主にとって貴重な意見となるか中傷となるかは、ここが大きな分かれ目だと思います。

私も毒舌家なので、ここは気をつけたいところです。


響く記事にするには

では、noteや他のSNSで共感を持ち、心に響く記事とはどんなものでしょうか?

あくまでも私がnote内を散策してて思う事ですが、
最初の文章は大事かなと思います。

いわゆる

「つかみの部分」です

最初の一文でグッと心を掴まれたら、文字数に関係なく一気に読めてしまいます。

物語りには「起・承・転・結」が基本的な構成ですが、
記事には「結・起・承・転・結」であるべきではないかと思います。

「結」をはじめと終りに2回登場させます。

最初の「結」は「つかみ」であり、私はこの事を記事にするよ!という部分なので、読み手がある意味ギョッとするような一言が望ましいです。


例えば、誰かの演説やスピーチなどで、いったい何が言いたいのか、どこに着地点があるのかわからない話ってありますよね。

私はせっかちな性格でもあるので、いったい何の話なのか解らないままよりは、目標地点を定めてもらえたら、俄然、聞こうとする意識は維持できます。

目標の定まらないまま、置いてけぼりに発車されてしまうと、何を楽しみにしたらいいのか疑問を伴う旅路になってしまいます。


言いたいところから一番遠い「起」からの話は、読み手だけでなく、記事を書いている本人ですら目標を見失い、着地点がわからなくなる。

こうなると、響く話でも響かなくなってしまい、伝えたい事も伝わらくなるのです。



大きく響くか小さく響くか。
響かなければ引いてみる

例えば、幕末に活躍した坂本龍馬は西郷隆盛に対して、
大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響くような人だ。
という人物評を残しています。

上記記事より引用

坂本龍馬の人を見る目は実に的を得ていると思わずにはいられません。

正直なところ、私は世間ほど西郷隆盛という人物には魅力を感じていなかったのですが、このエピソードを知った時、なんとなく彼の人物の魅力とその足跡の意味が少しわかったよう思えました。

お互いに響き合って「共鳴」させるには、自分一人が響かせても無理なのです。

自分一人がいくら打って響かせようとしても、良い音でないと誰も聞いてくれず心にも響きません。

また、せっかく相手が大きく響かせてくれているのに小さくしか響かせなかったり、
小さく響いているのに必要以上に大きく響き返してしまったり。

つまり、相手がどのような様子でどう感じているかを洞察する必要があるのです。

響くか響かないかは、それを測れない自分にも原因があるのかもしれません。

最初のジャブである、最初の数回のスキやコメントで、お互いのnoteへの向き合い方を測る事ができ、その後の交流に大きく左右されます。

響かないなと思ったら、いったん引いて距離を置くのもお互いのためでしょう。

相手に響く事ができれば、マニアックな知らないジャンルであっても、読んでみようと思うものです。

私なんかの歴史記事など、他のブログでは反応は鈍かったので、noteでも期待はしていなかったのですが、その事がやっとわかるようになると、少しずつ読者は増えてきたように感じています。


基本はリアル世界と何も変わりません。

要点をちゃんと伝えて、響かせる記事の工夫と、
相手の話を聞いて記事を読んで、その本質を理解し、的確な対応をすること。


単に相性の良し悪しではなく、響くか響かないかはお互いが歩み寄る気持ちになれるかどうかなのです。



◇◇◇


先週末から、10年以上も働いてくれたPCの調子が悪く、ついに買い替えを決心してあれこれ物色しています。
現物を見に行ったり、ネットで検索したりで、なかなか落ち着かない毎日です。

皆さんの記事への反応も鈍くなっていますが、ご了承ください。
後日またゆっくり読みにまいります。
というか、早くゆっくり読みたい💦





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千世(ちせ)
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