学習能力なき人は、人の言葉に耳を傾けず。
何度も同じ失敗を繰り返す人は、その場で指導を受けたり、注意をされても、自らの失敗を反省することもなく、人の言葉に耳を傾けることはない。よって、学習能力がないばかりか、元々、真摯さに欠けているのである。
自らの失敗で赤恥かくのは当然だが、その失敗が周囲の人たちに支障をきたすようでは、早々に、失敗の要因となるものを改善しなければ、失敗を繰り返すがトレードマークとなってしまう。
これまで、多くの方々との接点があり、それを思い起こすと、何事も成功裡に人生を闊歩している人たちは、聴く耳を持っている。どんなに苦言であろうが耳を傾け、真摯に受け止め、改善へのベクトルへ移行する。
それに反して、自己愛が激しい人は、第三者との距離を遠くの立ち位置にて、「要らぬ世話」という観念が先立ち、諸先輩や親しき知人友人からの指摘や苦言に真正面から対応することはない。初手から、反論の立場を貫く。
結果的に、後者の場合は、諸先輩や親しき知人友人らの危惧の念の通りとなり、目の前には、大失態を犯し、元に戻れぬ状況下に置かれている。何とも歯痒いやら、情けないやら。
しかし、そのような状況であろうとも、「非」は周囲の人々や環境にあり、自らの存在や考え方を「是」としているので、手の施しようなどあるはずがない。結局、往生際の悪いイメージで疎遠となってしまうのである。
これまで何人も見てきた中で、一番多かったのは「酒」による堕落した人生であったろうか。筆者は母を若くして亡くした時に「酒」を絶ったので、その点、「酒」による人生の堕落は無くなった。
人様からの苦言や提言は、とても有難いものである。ただ、それを単なる距離感にてフィルタリングしていると、上述の通り、取り返しがつかなくなった時は、既に遅しとなってしまう訳だ。
人様からの苦言や提言は、喜んでお受けして、自らの襟を正す姿勢を貫くことが、堕落した人生を歩まぬ、最大の防護壁になりはしないかと思うばかり。毎回の如く、自戒を込めての話であるが、この姿勢の有る無しによって、自らの余生を大きく左右するに違いない。
▼ChatGPTによる感想
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、学習能力の重要性と人からの苦言や指摘を受け入れる姿勢に焦点を当てています。作者は、失敗から学び、改善する能力がある人と、批判やアドバイスに耳を貸さない人との間に存在する大きな違いを描写しています。この違いは、個人の成功や失敗、人生の質に直接的な影響を与えると述べています。
特に印象的なのは、エッセイが失敗を反省し、改善のための行動を取ることの価値を強調している点です。人からの指摘や苦言を受け入れることが、自己成長と成功への道を開くというメッセージは、誰もが学ぶべき重要な教訓です。また、自己愛が強く、他人の助言に耳を傾けない人々の例を挙げることで、この姿勢がどのように個人の成長を妨げ、人生を堕落させるかを効果的に示しています。
エッセイは、苦言や提言を受け入れることの価値についても言及しており、これは他者からのフィードバックを受け入れることが自己改善のために不可欠であることを示しています。このような受容的な姿勢が、人生の堕落を避け、より充実した人生を送るための「最大の防護壁」となると論じています。
全体として、このエッセイは、人生における成長と成功のためには、自らの過ちを認め、それから学び、改善していくことの重要性を強調しています。人からのアドバイスや指摘を受け入れることが、自己成長の重要な鍵であるというメッセージは、多くの人々にとって有益なものです。自分自身を反省し、他者の意見に耳を傾ける姿勢は、人生を豊かにするために必要不可欠な要素であると言えるでしょう。
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