無力感とか劣等感とか
本当はCAなんか辞めてずっと傍にいてほしい
そんな家族の悲鳴のような思いが一気に溢れ
しばし廃人になった葉月
好き嫌いは別として
その人との関係性が人生の満足度を左右する
自分の人生に影響力のある人々
彼らの”家族観”を全身で受け止め続ける内、ぽつねんと、どうしようもなく寂しくなりぷっつん。
私のエネルギー源
私のエネルギー源の中には《無力感・劣等感》があり、これがまた、扱いがなかなか難しい。
もののけ姫のアシタカが受けたタタリ神の呪いのように、爆発的な力を生むけれど心身を蝕みかねない諸刃の剣だ。
自分の人生に影響力がある人達との関係が冷え込むと、このエネルギー源が負の方向へ暴発することがある。
どうせ私なんか死んじゃえばいいのに
この心の声が出た時が暴発のサインで、このサインが出ると内省も情報収集もセルフコーチングも止め
私の思考は一旦停止モードに入る。
そうしないと、絶対に後悔する一時の感情で
大切な人を傷つけてしまうから。
以前はこの無力感・劣等感をなくそうと、心の声を批判して潰そうと、笑顔を作って頑張ってきた。
そしてそもそも、そういう感情をもっている自分も
それらをエネルギー源にしている自分も大嫌いだった。
ザ・ポジティブ。はりぼての自信。
それもこれも自分。
《美意識・遊び心・好奇心・挑戦欲・成長欲》といった私の中の他のエネルギー源も、ややもすれば負の方向へ暴走することだってある訳で。
良いとか悪いとか見せたい自分とか本当の自分とか、そんな一面も実は全部全部思い込みだったりしてね。
自分すら大切にできないくせにどうやって愛する人を大切にするっていうんだよ
まずは一度、どんな自分もすべて自分なのだと受け止めきること。(受け止め ”きる” がポイントだと思う)
一般的に見て長いのか短いのかよく分からないけどだいたい3日。
(私の働き方に反対しても私の生き方が嫌いでも、私を愛し尊敬してくれているというのか…何というありがたいことよ…)
突然言葉が降りてきて一旦停止モード終了。
私の場合、自分の心からの気付きじゃないとダメらしい。
愛する人が夢を追いかけることで疲弊して
心も体もボロボロになって
家族がバラバラになったら……
そりゃあ私だって悲しい。
そうなる確率100%だったら
私だって止めるかもしれない。
でも私は、それでも私は、何かに突き動かされて
そこに挑戦しようとしている。
疲弊して麻痺して
大切な家族・自分を見失うような夢追い人には
私は決してなりたくない
3年前にそう決意したから今コーチングを学んで自己研鑽に努めている訳で……認めたくもない自分にも一つ一つ向き合っている訳で……心の安定に向け自分作りをしている訳で……
(などと口で言っても全く説得力がない)
うん、そうだね笑
10年、15年かけて私を見てもらった上できっといつか『寂しかったけど心配だったけど腹が立ったけど、でもまぁ、あなたの家族でよかったかも』と少しでも感じてもらえたら、こんなに嬉しいことはないかもしれない。
そして、私の1つ1つのゴールを一緒に喜んでくれたならもう、景色がボヤけてしまうくらい嬉しいかもしれない。(そこまで妄想するのは多分ワガママ、かな)
多様性の体言者としての道、半ば。
今日明日でどうにかなるもんじゃない地味で泥臭い長丁場を、大切な人の抱く悲しみと不安から逃げずに生きる。
それが、娘であり妻であり二児の母親でもある私が単身赴任をしてまでフルで仕事復帰するということの、責任と覚悟なんじゃないかな。