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便利なロンリーより、

みなさまどうお過ごしでしょうか。
最近投稿してませんでした。
刺激になるものが今は特にこれといって無いからエッセイなんかも中々書けないな〜なんて、書き途中の下書きの量を見て退屈に思っていました。

あとは、なんだか自分のエッセイって極論が一緒になってしまうんだよなあ。とも思ってつまらなくなって辞めてました。
どの歌にも愛やら平和やら恋やら家族愛やら正義やら娯楽やらが謳われている。
私のエッセイも同じで、(というか世界そのものの行き着く先が)皮肉を言いながらも愛やら正義やらを謳って終わりです。
間違いではないんです、けど、私の下書きにある大量の屁理屈たちもどう読み返してもクソほどつまらなくて自分も、世界も、結果的にすごく単純でつまらないものなんだなと思わされてました。

どうしたの、何か悪いことでもあったの。と心配されそうな始まりですが心配無用です。平常です。



今、渋谷駅構内のトイレにいるのですが、トイレットペーパーがこんなような使われ方をしていました。

誰が始めたのかは分からないけど、それに合わせて次に使う人たちも何の気なしにこのままトイレットペーパーを引くんですね。
駅構内だから急いでる人もきっと多いんですよね。だから、わざわざ皆ちゃんとちぎってやり直そうとしない。
そんな私もこのまま引いて使いました。面倒で。
ここまでになっているときっと次の人はこのトイレットペーパーを捨てて後ろにある新しいトイレットペーパーをはめ込んで使うのでしょうね。
まだ使えるのに、勿体ない。
でも世の中にはそんなものばかりな気がします。


最近の情勢をこの勢いで綴らせてもらいますと、恋人探しは、辞めました。
なぜなら、いい男が居ない。の前に自分磨きがなってないからですね。
呑気なことを言う前にまずは鏡を見た方がいいと、自覚し始めたんです。(前から気づいてはいた。)
それでもやっぱり大好きな食事は辞められないし、ノロウイルスにでもかかって1週間ぐらいヘタレ腐らないかな、と思ってる今日この頃です。
7月から由比ヶ浜の海の家でのバイトが始まります。
お堅い考えなんてやめて楽しいバケーションを過ごす予定です。
私に堅いのは似合わないんです。
セカセカして取り繕うのが苦手な人間なので最近やたらと忙しくなってきた今働いている代官山の飲食店もこのままスーッと密かに居なくなろうなんて企んでいます。
いえ、本当は大好きなバイト先なのですが業務的になるのが好きじゃないんです。忙しすぎて全くケアできない。ただ注文をもらって料理を出すなんて事をしたい訳じゃないんです、会話をして温かくなりたいんです。

自分には自分に合った場所、人。
そういう生き方を選んでたくさん失敗もしてきたけど結局この生き方が1番ストレスフリーで自分に合っているらしいから生涯、ずっと貧乏です。
でも孤独じゃないならイッツオーケーという事で。
海が好きなのはそういう所からもきているんでしょうね。なんにも囚われないかんじ。


向こうの人達の過ごし方、スタンス。
それら全てが私を肯定して皇帝にしてくれる感じがたまらないんです。
向こうに暮らしていた時はつくづく考えさせられました。
朝になると仕事前に皆サーフボードを持って裸足で自転車を漕ぎ、波に乗る。
時間になると「しょうがないから働いてやるか。」といった感じで海からあがり仕事に出る。
一言でいうと、好きです。たまらなく。そういう人間。同類だからでしょうか。
いや、私も同じ類にしてはダメですね。まだ。
スタンスがラフなだけで、何にも身につけていないんですもん。
これからこれから。と言って何年経ったでしょう。
その「これから」はいつくるのでしょうか。
今を生きるのは意外とムズいですね。


多分、私という人間は「今社長がお店に食べに来てるから、失礼のないように挨拶して来て」とかの緊張感より、ステージの上に立ってみんなの前で歌を発表する、とかいうような緊張感を味わっていたい人間なのです。
両者がいて、世界が成り立っているわけですね。
もはや後者がいなくても世界は成り立つのだと思いますけど、それじゃああまりにつまらないですもんね。


もう1つ、この頃考えていた事があります。
それは、「かわいさ」とは何なのか。
「かわいい」は正義。
それは本当にそう思います。
街中で可愛い人を見ると気分が良くなります。と、同時に劣等感に駆られます。
かわいいっていいなあ。どうやったらソレは作れるのかな。
女子の永遠の課題ですね。

ここで議題に出したいのが、[愛嬌]です。
「美人な無愛想」か、「普通だけど愛嬌がある人」だと、どちらを選びますか。
ここで、「美人で愛嬌がある人」という選択肢は無いです。あまりに欲張りです。辞めてください。

私自身、自分で言うのも変ですが、愛嬌はある方だと思います。
というか、それによって「美人」を作り上げているんです。
そういう「かわいい」の作り方も、あると思うんですよね。
でも、わざと出すものでもないと思います。
私みたいな人たらしは、自然と溢れでちゃうみたいなんです。でも、きっと、そこが私の強みでもあるんです。
「誰にでもニコニコしていると、安く見られるわよ、女として」と、言われたことがあります。
「は?」と思いましたが、極論事実です。
めちゃくちゃ安く見られます。舐められます。
一見して中身のない女だと。
舐められるのは好きじゃありません。
なので、両腕に若干のタトゥと鼻にはピアスを付けています。鼻輪みたいな、牛みたいなやつの方のピアスです。ピアスを開けたりタトゥを入れたりする理由はもちろんファッションとしてですが、少しの威嚇もこもっているようです。
これでも舐められ続けるので、ついにはガッツリ両腕に鯉でも泳がせてやろうかな。なんて事も考える時があります。
愛嬌が良いのも、何かといって不便ですね。

ジェニーハイというバンドの「不便な可愛げ」という歌があるのですが、その中の歌詞に「便利なロンリーより不便な可愛げ」とあります。
川谷絵音がどんな事を想像して書いた詩なのかは分かりませんが、なんだか共感できました。

美人かどうかでなく、自分の「かわいさ」を最大限出せるような相手が見つかればベストです。
でももちろん自分磨きにもちゃんとヤスリをかけていきたいとも思っています。

「人は見た目で判断してはいけない、中身も見るべきだ」とよく言うのに恋に発展する大半の相手のチェックポイントの堂々第1位はやはり、「外見」なのが悲しい現実。
文通時代のように、文だけで相手に想いを馳せてみたいものです。

安く見られたってなんだって、私は人間が好きだし、このままでいかせていただくよ。

総合的美人を目指して頑張ろう、と思ったけど多分海の家でのバイトで松崎しげるほど黒くなって帰ってくるので年内中には厳しいかもしれませんね。

まあ、来年かな。

これからこれから。  

あ。


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