いち消費者で終わらせない人生設計|女性社長の頭の中
先日、「忙しい人が嫌い」というnoteを書いたら、LINEにまで面白かったとメールをいただきました。コメントしてくれたらいいのに。笑
そのnoteの内容は、忙しい人が嫌いな理由は、仕事できなくて、頭悪くて、メンタル弱くて、視野が狭くて、器が小さいから嫌いという話でした。
まぁ、昔の自分のことなのですけどね。
いまはそんな嫌いだった自分もかわいく思っています。笑
(詳細は昨日のnote↓)
悪口ばかり言っても仕方ないので、今日はわたしの人生観について書いてみようと思います。
いち消費者でいるより、いち経営者でありたい
わたしは、いち消費者であるより、いち経営者である人生の方が面白いと思っています。
それは、自分の人生は自分で決めたいと思っているから。
エゴイストのように聞こえるかもしれませんが、経営ってエネルギーを搾取する行為ではなく、回す行為だと思うので、自分も周りも豊かにするものです。
だから、与えられるのを待つ受動的な消費者でいるより、能動的に仕掛ける側の経営者でいたいです。
経営者とは
ここでいう経営者とは、会社の経営者ではありません。
人生の経営者です。
人生という時間を消費する側より、運営する側でいたほうが、わたしにとっての幸せのカタチに近いのです。
なぜなら、経営者というアイデンティティを持つことで、人生を主体的に生きることができるからです。
主体的に生きるとは、自分の人生を自分の判断で選択決定していくことです。
消費者は、来たものをただ選ばされているだけなので、主体的に生きているとは言えません。
消費者とは
こちらももちろん、消費者契約法でいう消費者のことではありません。
「してもらって当然」と思っている、クレクレマインドの人のことです。
消費者とは、目の前に並べられた商品をみて、「これはいい」「これはダメ」とジャッジしてるだけの人。
気にいる物がないと、できないやつだと提供者のせいにする。
いい男に出会えないのは、コンパの主催者のせい、運気のせい、というふうに。
自分好みのものを誰かが用意してくれると思って待っているのが消費者です。
「あ〜宝くじ当たらないかな」「いい男降ってこないかな」と真面目に考えています。
これ、リアルな過去のわたしです。笑
問題は、本人は、いろんなことを自分で決めているつもりになっているということです。
でも実際は、目の前に来たものをジャッジしているだけなので、本当の意味で決めていないのです。
世間的にこうだから、常識ではそうだから、こっちは損だから、と正解はこっちだろうと思ってるだけ。正解なんてないのに。
だから、自分の気に入らないものを手にしてしまったときに、人のせいにします。
「わたしの気にいるものを提供できないあなたが悪い。わたしのことを真剣に考えていたら普通はわかるはずなのに、できないあなたが悪い」と、勝手に一般化して正当化する。
自分で決めたことなら納得できるはずなのに、ジャッジしているだけだから、人のせいにするのです。自分から拾いに行くことはしない。
自分の人生なのに、自分でプレイしない、審判員人生は嫌です。
批評だけでは、エネルギーを循環できないから。
原因は、自分の無能力に向き合いたくないから、逃げるくせがついてしまっていること。
子どもの頃は与えてもらわないと生きていけなかったので、それもある意味仕方ないことではあります。
だけど、「能力はつけることができる」「わたしは変わる」と覚悟すれば、誰にでも自分の人生の経営者になれます。
背伸びしても、届かなかった電車のつり革は、降りてきてはくれたりしないけど、あれを掴みたいと何度も背伸びしたら、抱っこして掴ませてくれる大人が現れたり、そのうち自分で掴める大人になって、自分の成長に気づくことができるように。
「あのつり革、高くてイケてない」と批評するだけだと何も変わらないのです。
身長が伸びて掴めるようになっても、その成長に気づかず、成長をありがたく思うタイミングも逃してしまう。
自分から能動的に表現したり、行動を起こすことで、与えてもらう人から、与えることができる人、感謝できる人になっていけます。
白馬の王子さまは待っていても来ないことは、だいぶ前に気づいているはずだから。
わたしは、そういう消費者根性な自分が嫌だったので、方向転換しました。
そしてどんな人生の経営者になりたいかを考え、たどり着いたのが、淡麗女子になるということでした。
淡々と麗しく生きる人でありたい
わたしは、淡々と麗しく生きている人が好きです。
それで、『淡麗女子のススメ』という本も書いたのですが、淡麗女子は、わたしの中での冒頭で話した「忙しい人」の反対の概念でもあります。
「淡々と麗しく生きる」を分解するとこんな感じです。
淡々と・・・ネチネチしていない、依存や執着心のない状態=しなやかな自立心の現れ
麗しく・・・軽やかで美しい状態=自我を超えた思いやりの心を持っている
生きる・・・自分を殺さない=自分の人生を潔く自分の足で歩いている主体性
を意味します。
それを、少し具体化して、
淡麗女子3か条
・美しく決断し行動している(実行力)
・しなやかに自立している(精神的自立)
・目に見えない価値を広げている(影響力)
を人生の指標としました。
人生もビジネスも、闘いの世界にいると、エネルギー不足で、酸欠したり、燃焼したり。
だけど、一度人生の経営者の視点を手に入れたら、実際には消費者であるときも、ありがたく受け取ることができます。
だから、常に視座を高く、淡麗でいられるように、精進する日々です。
そんなこんなで、人生の経営者でありたいと思っていたら、いつのまにか法務事務所の経営や、株式会社の経営もして、人の会社の経営のことまで口出しする人になっていました。
イメージって実現しちゃうから怖いけど、面白い。笑