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瞑想(ヨガ)とは?~そもそもの起源と目的を、紐解いてみる。

苦に感じること。不自由だな…と感じること。
って、今ふと考えても、いくつか浮かびますょね…
仕事のこと、身体的な不調、誰かとの人間関係、
今置かれている環境とかとか…

苦は、避けたいな。自由でいたいな。って思うのに、
かなーり身近にいつもいるイヤなやつ。

プチな事もあれば、
日常生活に支障をきたすくらい大きなものもある…

どうしたら、その苦は苦じゃなくなるのか?
不自由なことから抜け出せるのか?
悩みや、不安、ストレス、
マイナスに思うこと、問題から脱するには?……

今日は、こんなことを念頭において、
瞑想(ヨガ)を紐解いていこうか。と思います。

瞑想について、以前に比べ
よっぽど耳にするようになった昨今。
昔は、宗教の修行をする人達が、目を閉じて坐ってる、
私達の日常とは、離れた所にあるように捉えられていました。

それが、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツ、
イチロー選手などが、瞑想を取り入れ、
ストレス低減や、リラックス効果、集中力upなどなどに
効果があるということで、一般的にも受け入れられやすくなってきた。

でも、まだどぉもハードルが高い。
とか、
よく分からんし、宗教っぽいし…なんかねー…
ってなりがちなのも分かりますw

だから、もーちょっとハードルを下げたい!
なと、仕事柄思うわけです。

というわけで、今日はまず、
瞑想の起源とそもそもの目的について、
カンタンにざっくりw 書いてみようと思います。

ご存知の方いると思いますが、
瞑想の歴史は古く、
釈迦が、瞑想で悟りを開いたのが2500年前、
そこからさらに遡って、インダス文明の遺跡(モヘンジョダロ)から、瞑想しているような人が刻めまれた印章が発掘されたことから、今から5000年ほど前には、既に瞑想は存在したのではないか…と言われてます。

こんなん☝️

あくまでも、言われてるだけで、コレがホントに瞑想しているのか?は、ハッキリとは分かってないようですがw

このインダス文明が滅んでから、
インドに侵攻してきたアーリア人は、
すでに瞑想していた(であろう…)インダス文明を取り入れながら、
紀元前1000年ころから、インド周辺に定着しました。

このアーリア人達は、自然現象を神様とした多神教。
その神様達に捧げた賛歌や、祭式の手順、哲学などを
書いたものがインド最古の書物ヴェーダ。
この書物を元に、
カースト制度で有名なバラモン教が出来上がった。

バラモン教の聖典ヴェーダは、
大きくわけて4つに分類されていますが、
その中の一つを、ウパニシャッド(ヴェーダーンタ)
と言い、インド哲学の源と言われています。


その中心思想が、「輪廻」


「輪廻」という言葉、
1度は耳にした事があるかもしれません。

命あるものは何度でも生まれ変わり、
生前の行い(業・カルマ)によって、
次に生まれる世界が決まる。

というもの。

「因果応報」と似てる。…
良いも悪いも自分にしたことは、自分に返ってくる。
って意味。…
それが、輪廻の場合、短時間の話しじゃなくて、
前世、現世、来世にまで影響していて、
前世の行いによって、今の自分があって、
現世の自分の行いが、来世以降にまで持ち越される。


バラモン教、ヒンドゥー教、仏教において、
この生まれ変わり続けるのは、
「苦」とされていました…
だから、このサイクルから抜け出したい!
生まれ変わらず、理想の境地へ行くのだ!
そーすれば、自由なのだ!

ってなった訳です。


輪廻のサイクルから抜け出す事、自由になる事を、
解脱・悟り(モークシャ)
永遠に生まれ変わる状態にない境地を、
涅槃(ニルヴァーナ)
と言います。

悟りに到達するためには、
宇宙の根本原理ブラフマン(梵) と、
自我の根本原理アートマン(我)が、同一であること、
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」を知ること。
(梵我一如は、バラモン教・ヒンドゥー教において。
仏教は、違うのですが)


じゃあ、瞑想がどのように使われていたのか?
というと、

悟りを目指すためにゃ修行じゃぁーー!
ってことで、その修行に瞑想(ヨガ)をしていた。

だから、元々の瞑想(ヨガ)の目的は、
輪廻から抜け出すための修行
だったわけです。

とはいえ…

いゃ…仏教徒でも、ヒンドゥー教徒でもないし、
悟りとかキョーミないし(   ˙-˙   )
修行もするつもりないし(   ˙-˙   )

ですょねw
私も、何の宗教も信仰してないです。
悟ろう!とか1㍉もしてませんw

でも、苦に感じるものとは、おさらばしたいです。

時代変われど、文明、科学が発展しても、
未だに、苦に感じることは、イヤだ。
誰もが、ストレスフルな心から自由になりたい。
と、いう思いは変わらない。


遥か5000年前から、行われていた瞑想(ヨガ)、
確かに、宗教の中で発展していったものだけに、
無信教者が多い日本人にとっては、
遠く感じるものなのかもしれませんが、

大元を辿れば、
今も変わらずある「苦」から脱したい。
という思いは、昔と今も、何も変わっていない。
そう思うと、瞑想は、
もう少し身近なものになるのではないでしょうか?

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