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個人的な村上春樹あるある
①読まない派が存在する
『村上春樹は読まない』
なぜか知らないが一定数いる。『K-POPは聴かない』みたいな感じか?
かくいう自分も村上春樹を敬遠してきた。
人より本を読む自負がある故に、話題の本を避けて通るアマノジャクを24年やっている。
ここまで来て読んだら負ける気がする(何に?)
だから棚ごと避けて通る。目に入ると読みたくなるから。
ところが。
気づいてしまった。
21世紀の日本を生きる以上、村上春樹の本は避けて通れないことに。
必ずどこかで出会わざるを得ないことに。
②避けて通れない
たいていの本は書店で買わないようにしたり、テレビのワイドショーを消したりすることで出会いを阻止できる。
だが村上春樹はそこらじゅうにいる。
あなたのすぐそばにいる。
センター試験評論文の書き手
映画の原作
面接官の愛読書
大学のレポートの題材
初彼の人生の書
特にレポートとか評論文と言われると『読んで分析する』ことが必須になる。
愛読書や人生の書に挙がりやすい以上、一読しておいたほうがいざというときうまく立ち回れる。
『読まない』ことがこれだけ不利に働きやすい作家も珍しい。
③短編の謎が深い
先に述べたように、私はあまり村上春樹作品を読んでいないので偉そうなことは言えないが…
『カンガルー・ノート』
という作品がある。
大学時代、教授にレポートの題材としてあてがわれた。
あらすじ。
僕と彼女は目覚めてすぐ今日がカンガルー日和🦘だと理解する
動物園行きの電車で僕と彼女は軽くバトる
カンガルーの赤ちゃんは思ったより大きく、彼女はがっかりする
とりあえずホットドック(ホット・ドックではない)とコーラで元気づける
檻の中にはカンガルーの父母+一匹。この一匹は誰だ?
カンガルーの赤ちゃんが守られているのを確認し、ビールを飲みに行く
これでレポート3000字を仕上げろという。
どこまで何を深堀すればいいんだ?
入り口は無数にあるがどこまでも広がっている。
『解釈』が自由すぎてむしろ不自由。
そんな気持ちになったのを覚えている。
確かコーラとホットドックは資本主義の象徴とかカンガルーの赤子は妊娠の象徴とかいろいろ書いた気がする。苦しかったな。
④でも定期的に読んじゃう
この記事を書くために開いた短編集『めくらやなぎと眠る女』
この文を書き終わった後にでも読もうと思っている自分がいる。
なんだかんだ言って、このニュートラルな文に戻りたくなる時があるのは事実。
そもそもこんな記事を書きあげようと思っている時点で、私は村上春樹の1ファンなんだろうとも思う。
⑤村上春樹のことを書くと村上春樹みたいな文になる
これはなんでなんだろう?よくわからないな。…て感じ。
ホットドック食べたくなった。