📚15【無人島のふたり】が、ひとりになってから2年
無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記
山本文緒(1962〜2021年)
新潮社 168頁
2022/10/20発行
※ヘッダーは表紙部分
山本文緒氏が惜しまれながら膵臓がんのため亡くなったのは、2021年10月13日
「恋愛中毒(吉川英治文学新人賞)」や「プラナリア(直木賞)」の頃はよく読んでいた
離婚されたことも、それほど間をおかずに再婚されたことも知っていた
「恋愛に奔放な方なのかな?」と勝手に思っていたのだけれど、著作を読まない間にも、彼女のお人柄がどれほど素晴らしいかというエピソードはよく目にしていた
「自転しながら公転する」が島清恋愛文学賞と中央公論文芸賞を受賞されたときに、闘病中だと知り慌てて読んでみた
本書は、5月24日から10月4日までの闘病日記が4章立てになっている
日記を出版すると決まった後で、書かれた記述が「初めに」に当たるのだろう
訃報から2年
改めて読み直してみる
最後の日記は亡くなる9日前
「明日。」と書いたのに、書ける日が訪れなかったことが悔しい
膵臓がんの宣告に、夫婦ふたりで闘病する時間や場所を、生きては戻れない世界のことを「無人島」という言葉で表している
ふたりなら励まし合える無人島に、ひとりで取り残されるのは何とも心細い
そして、ひとりで本島に帰って行く夫氏は更に寂しいに違いない
サブタイトルにある「120日」は、セカンドオピニオンで宣告された余命の「4ヶ月」のこと
ゲラ読みができる日も、外食ができるほど元気で「実は死なないのではないか?」という日もあるかと思えば、突然の急変で救急搬送される日もある
毎日がどんなに辛く不安だったことだろう
苦しい闘病生活の中で、これほど他者に気遣いができるものなのだろうか
取り乱しても致し方のないような状況でも、残される夫を労い、お見舞いに来てくれた人を思い、編集者に礼を尽くし、医療•看護に関わる人に感謝できるものだろうか
信望が厚いのも当然の人だった
最初から最後まで作家だった
病床にあっても、書かざるを得なかった
書きたくて書いていた
未だ未だ書きたい気持ちを持ち続けていた
書きたいことがあった
そこには、ただ時間だけが足りなかった
「入院だけは嫌」という強い意思と献身的な夫氏の存在により、最期を自宅で迎えた
訪問診療•訪問看護との連携、福祉用具の活用、介護認定を受けケアマネジャーを中心としたチームケア
末期がんの緩和ケアを自宅で受けることが可能だ、というサンプルとして読むこともできると思う
#書籍化希望 #うつ病 #休職中 #本 #読書 #無人島のふたり #120日以上生きなくちゃ日記 #山本文緒 #新潮社 #日記 #膵臓がん #緩和ケア #セカンドオピニオン #余命 #救急搬送 #訪問診療 #訪問看護 #福祉用具 #ケアマネジャー #要約 #あらすじ #エッセイ #ブログ #コラム #散文