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"無理そう"を"無理じゃなさそう"にする可能性は自分の中にこそある

無理そう、ダメそう
それは誰が決めるの?

私が決める。


だったら、もしかしたら無理じゃなさそう。
ダメではなさそう。
無理そうだけど、方法はありそう。
難しそうだけど、やってみれそう。

そうやって、

やっぱり他の誰でもなく、この私が私の未来をつくる。

応援してくれる人の存在はありがたい。エールは本当に得難い尊いもの。
でも応援してくれる人が入れ替わったりする。
今回は応援してくれるけれど前はそうでなかった人。
その逆もある。
いつもそばで全てを応援してくれる、見守ってくれる人がいるなら、それはすごく幸せなことと思う。
でも、そうじゃないことも少なくはないだろう。
結局最後はその希望を、自分で持ちつづけられるか。
さまざまな声があり、そこにさまざまなヒントがある。
だから一つ一つをありがたく頂戴しながら。
情報の中で努力の向き、方法を見つけながら。
冷静と情熱のミックスで、再度自問自答してみる。

こんな条件の自分だから。

それは誰が決めたの?
誰に言われたの?

どんなに"無理め"な自分だったとしても、やってみると自分が決めたなら、そこから道はつくられていく。
決めるだけで、ぐんっとエレベーターが進むみたいに、視界が開けることもある。
ただその自分の足を前に進めるだけで、見たことのない景色に出会えることがあると信じてみたい。
決めるだけで変わることはある。
たしかに努力や試行錯誤は必要だ。でも"決める"が第一歩目になるかもしれない。

今まで私は私を作ってきたし、これからもそう。

今の自分の視点だけの想像や考えでは、あまりにもちっさすぎるから。

世界は広いし、人間が生まれた歴史は古い。
世界を見渡せば、時代背景をそれぞれ思い浮かべて遡っていけば、価値観も文化も多数存在する。

なのに、無理そうと決めるのちょっと早いんじゃないって自分で自分に言ってみる。

たまには、
私が未来を決めちゃえば、いいんじゃない?
可能性や夢のかけら握ってるのは、他の誰でもないあなたなんだよ。
自分が決めていいんだからね。
世間の声を聞くことは大切。
だけどなにも受け止めすぎなくていいよ。
私は私の声を一番に。結局は私は私の声によってできている、いくものだから。
まっすぐまっすぐ見つめていればいい。

そんな叶え方もありだって私は思うな。

お読みいただきありがとうございました。

昨日のつぶやきに、遅い時間にもかかわらず、スキを押してくださったり、コメントをいただき本当に嬉しかったです。
皆さんの"応援"や"見守るようなあたたかいお気持ち"や"共感"、"気にしてあげよう""読みましたよ(斜め読みでも)"等の気持ちの"スキ"をちゃんと私受け取っています。ありがとうございます。(お返しのスキももちろんありがとうございます。)
noteに、皆さんに出会えてよかったです。
これからまたnoteで皆さんとお話できること、楽しみにしています。皆さんの優しさに感謝よ届け、と願いをこめて。

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