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欲望に勝てる人間なんて、つまらない。(なんてね)

哲学の授業で、人間は欲望に勝てるのか?という命題をベースに一コマの授業を受けた。

欲望に、勝てるのか。

人間を人間たらしめる【思考】。先の見通しが出来たからこそ、農耕を始め、安定した食料にたどり着いた。欲望に立ち向かったからこそ今の私たちがあるのではないか、という見方ができる。

『欲望に勝つ』という時の欲望を持っているのも自分、欲望を抑えようとしているのも自分自身。

最近、「Alter Ego」というゲームを始めた。いわゆる放置ゲーム(放置しても物語が進むゲーム)と選択型の恋愛シュミレーションゲームの合い挽きのようなものだ。心理学や哲学の好きな私にドンピシャのテーマに、つい放置することなくクリアしてしまった。

このゲームは、エスという女の子、壁男、主人公(ユーザー)の3者によって話が進んでいく。ゲームの評価コメントにもネタバレらしき考察が書き連ねてあるが、このゲームをすることで「欲望」「自制(理性)」について、深く考えるきっかけになること間違いなしだ。因みに、ストーリー展開の中で、ちょっとした心理分析のようなものもつまみ食いできるので、気になった方は検索してみて欲しい。(リンクを貼るとPRぽくなるので、割愛しておく,)

ゲームを終えて、学んだ事は2つ。
1つは、「感情(欲望)と自制(理性)のバランス」について。
2つ目は、「互いに干渉しあう」こと。

1つ目の「感情(欲望)と自制(理性)のバランス」では、こんなことを考えた。
私は今までON/OFFスイッチのように欲望と理性を切り替えて生活してきた。しかし、このゲームを経験した後は「統べ合わせた結論を出す」というプロセスを踏むことにした。
欲望と理性、天使と悪魔のどちらかに傾くのではなく、2者の言い分を聞いた上で、今の自分はどうするべきかを考えるのだ。こうすることで、自分の中の天使も悪魔も、お互いの言い分を踏まえた上で食い下がることが出来る。
今までは、どちらかの言い分が蔑ろにされていた。しかし新しい主砲では「相手の言い分も分かるわ」という温度感で結論に従える。これは、私にとって、葛藤が緩和されストレスの減る行動となった。

2つ目の、「互いに干渉しあう」は、ゲームと現実世界を重ねた所から気づきを得た。
このゲームに登場する3者は、私の選ぶ選択肢によって距離感が変わっていく。選択肢で聞かれている事に対し、ただ賛成する事にも、ただ反対する事にも責任がついてまわる。
他人の意見に乗るよりも私の考えを話すこと。今私がみている「あなた」を「私の言葉で」返すこと。「私の言葉」じゃなければ(深い意味での)コミュニケーションは成立しないこと。全て同じことを、別の言い方で伝えているつもりだ。
否定しすぎても、肯定しすぎてもだめ。それはまるで、子育てのような、個人差しかない塩梅。子育てと違うのは、相手は今まで一緒に生きてきた自分だということ。

私は昔、自分の感情を麻痺させて生きてきた。全てを周りに合わせて、生きていた。それでいいと思っていた。
月日は流れ環境も変わり、今まで私を大切にしてくれた人に対して、初めてワガママを伝えてみた。ワガママと言っても、新型コロナの流行と、私の体調によって予定を変更したいと告げたのだが。
しかし相手は、予定の変更を嫌だと言った。「予定を変更するくらいなら、予定を無しにしましょう。」急な変更だった。それでも100%の意思をしっかり告げた。その相手に意思を告げたのは初めてだった。
そこからしばらく経っているが、未だに関係回復の兆しは見えない。

きっと、初めから相手と本音で話していればこんな事にはならなかった。その友人を失うことも、その友人なら分かってくれるという希望を失うことも無かった。そう思う。
相手が仲良くしたくないのなら、私から無理に歩み寄る必要もない。それでも、ふと考えてしまう。私が違う接し方をしていたら、彼女は「歩み寄る」というスキルを身につけていたのかな、と...。

なので私は、思った事は基本言うようにしている。自分の発言権を守るため。自分を孤独にさせないため。相手が違う考えを持っていて、わかりあうための技術を磨く練習として。

-一つのゲームアプリが、人生の見方を変えた話-

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