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-“楽しむ”を根幹に据えた農園づくりを-

        キャリアの聴き小屋vol.5 安曇野SIN農園 岡江 真一さん

2023年12月8日。小高い丘陵地に広がるブルーベリーの幼木に、春が訪れたかのような温かい陽光が降り注いでいた。
当初室内で行う予定をしていたインタビューは、穏やかな気候の後押しもああり、このブルーベリー畑で行うこととなった。
農園のロゴマークがプリントされた作業着に身を包み現れた岡江真一さん。インタビュー中に見せる表情は優しく柔らかい。その表情が安曇野という土地の豊かさを表していると感じた。

“野菜くさい” 肥料を使わず、農薬を使わず野菜本来の味、香りを届ける

銀座NAGANOで購入したSIN農園の金時にんじん。

安曇野SIN農園(以下、「SIN農園」という)は2年前、岡江さんが35年間勤務した会社を早期退職し、起ち上げた農園である。ねぎ、にんじん、なす、かぼちゃ、じゃがいも、さつまいも、など信州安曇野で採れる野菜を“肥料を使わず農薬を使わず”2つの圃場で育てている。
販売は安曇野市や松本市などで開催されるマルシェでの対面販売を主としているほか、東京・銀座にある長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」等でも販売している。
SIN農園の野菜について岡江さんは
「野菜くさいんですよ。野菜くさいという言い方が的確かどうかわかんないですけど、ウチの野菜を食べると香りも強いし、極端な話、えぐみもあるかもしれない。でも、それも本来の野菜の味なので。そういう本当に植物が自分の力で育って本来の味や香りや匂いを出している。そういう野菜たちをお客さんたちからは”いいね””懐かしいわ”って言われます」
と話す。

60歳になる頃にピークを迎える生き方 価値観を変えた南極観測隊での日々と妻のひとこと

岡江さんは18歳で高校卒業後、地元の国立大学の事務官として就職をし、大学の附属病院の事務を中心に35年間勤務してきた。病院の事務から農業。大きく舵を切るきっかけは何だったのだろうか。

「3年前に僕は、このまま定年の60歳までこの仕事をして60歳になってから“次の何か新しいことを”ってなったときに自分のやりたいこととか希望、夢を実現できるエネルギーが自分にあるかなって思ったんですよ。それこそ60歳になる頃に一番良い感じのピークに乗っかるようなそういう生き方をしたほうがいいんじゃないかなと思って」

ブルーベリー畑でのインタビュー

「僕、2017年から2019年にかけて南極の昭和基地に南極観測隊として越冬してるんです。そこでいろんな仕事をさせてもらって、その時かな。ああいった世界に行って生きていると、自分のちっぽけさが如実にわかるっていうのと同時に自分の可能性もまだまだいろいろあるんじゃねえかなって、すごくそういう気持ちに駆り立てられってしまったんです。
厳しい世界なので、寒さはもとより環境もそうだし、人間関係も逃げ場がない社会なので。そういうところで1年間生きてくると、なんとなく物事の見方とか価値観みたいなものが、だんだん変わって“もっと価値ある生き方や自分にもっと価値があるんじゃないかな。それを最大限引き出すのにどうしたらいいんだろうか”ということも考え、“もう、やっぱり今ここでやめよう。次の人生を歩もう”って思って」

岡江さんは南極での勤務を通じて起きた自分の価値観の変化を受け止め、次の人生を歩もうと強く思い日本に帰ってきた。
帰ってくると岡江さんの思いを後押しする出来事があった。

「自分の中である程度答えを見つけて帰ってきました。そしたら妻がひとこと言うんですよ。
“ここからは自分のために時間を使いなさいよ。自分のためにもっとお金も使いなさいよ”
と言ってくれて。それでスイッチがパチンと入ったんです。“これ決まりだな”と思って。そこで舵切ってここまで進んできたんです。自分がやりたいことへ切り替えてやるっていう、スイッチを入れてくれたのは妻であり家族であり、そこは感謝しています」
 

“肥料も農薬も使わない” 自分が信じた農法を貫く難しさ。襲いかかる不安や迷い

SIN農園のサラダにんじん。

会社を早期退職し農業の世界に足を踏み入れた岡江さん。最初の半年間は農業法人で農業を学び、その後SIN農園を起ち上げた。土地探し、販路の確保、拡大に苦慮しながらもこの2年間肥料を使わず、農薬を使わず野菜を育ててきた。“肥料も農薬も使わない農法”には岡江さんの強い思いが込められている。

「野菜たちの力、植物が持っている力、自分たちが生きようとする力それを最大限生かしてあげて作ってあげて育ててあげれば絶対に美味しい野菜ができるんだという信念を持っています。
そういった意味では“美味しい”とかっていう表現ではなくて“皆さんに喜んでもらえる野菜”“皆さんに喜んでもらえる果樹”。それがウチの一番の売りでもあるし、そういう思いで作ってるし。そこが一つのウチの野菜の価値だと思うし。そういったことがウチのこの子たちの良いところだと思います。
僕は、消毒もして、化学肥料やって作る。それこそ大量生産でしっかり作ってしっかり販売してっていうと自分の作る野菜の旨みがないというか、自分の人生の旨みがないような気もして。そうやって特徴があって、それがみんなに受け入れてもらえて喜んでもらえるんだったらということを考えると、自然栽培に近いことをやったほうがみんな喜んでくれるんじゃないのかなとは思っているんです」
 
そんな強い思いをもって野菜を育てていても「不安や迷いが時として襲ってくる」と岡江さんは言う。

「心のどこかに“植物に栄養を与えないと大きくならないんじゃないかな”とか“しっかり育たないんじゃないかな”とか、どっかにまだしこりがあって。それが抜け切れてない自分が悔しいんですけど。
まだ発芽しないと“何かくれなきゃ(与えなきゃ)いけねえのかな”とか、ちょっと発芽しても芽が小さいと“何かやらねえといけねえのかな”とかって不安にする要素があって。自分は“もういけるんだ。これでいけば絶対に大丈夫”という意識では始めたんですけど、やっぱり作っていく中で、そういった不安要素っていうのは結構襲ってくるんだなっていうのはすごく感じますね。
逆に最近はそれが楽しみにもなってきて。“だったら、もっと元気になるようにやるべきことはないのかな。あるのかな”って自分で調べて実践してみる。“試しに覆ってみよう”とか“試しにここ水を多めにくれて(与えて)あげよう”とか。いろんなことをやっていくっていうのがまた楽しみになっていて。それでまた結果が見えてくると“じゃあ、こうしていけばいいのかな”と。徐々に、探りながらですけど、ウチの農園のやり方、栽培の仕方っていうのが少しずつ、本当少しずつですけど、確定しつつあるという感じにはなってきてるのかな」

自分たちも、関わる人たちも“楽しめる農園”に

SIN農園の畑。取材で訪れた圃場では松本一本ねぎが育てられていた

襲いかかる不安、迷いとも付き合いながら日々野菜と向き合ってきた。“みんなが喜んでくれる野菜を”という思いが込められた野菜たちにはリピーターもついてきた。少しずつ広がりを見せているSIN農園はこれからどこへ向かうのだろうか。

「もっと多くの方にいろんな方にウチの野菜を食べてもらいたいっていうのが今一番思うところ。品目にしても収量にしても、喜んでもらえるような形にしていけたらいいなとは思ってはいるんです。その根幹は、楽しくないと絶対長続きしないので。だから、楽しめる農園。それは作る我々もそう。ここへ縁農で手伝いに来られる方がいらっしゃるんですけど、そういう方たちも楽しんで帰ってもらえる、そういった農園づくりにしていきたいというのはすごく思ってるところですね」

SIN農園に関わる人たちを増やしていく。岡江さんはマルシェで対面するお客さんや同じように出店するマルシェ仲間とのコミュニケーションを大切にしている。

「僕は性格が内気で、よく言う引っ込み思案って性格だったんですね。今でもそうなんですけど。でも、この農業に関していうとそれだと発展してかないなと思って。人と話をするのが得意ではないです。だけど、そうじゃなくて、その野菜の良さだったら伝えられるんじゃないの。どんな野菜なのかは伝えられるんじゃないのって。そういったところでマルシェに行ってお客さんに自分が作った野菜の良さを伝える。マルシェ仲間に対しても“ウチこんなことやってんだよね。そっちはどう?”みたいな話もして。そうやって自分のコミュニケーションを取りながらっていうところなのかな」
 
岡江さんは充実感に満ちた表情で終始インタビューに応じてくれた。農業の道に進んだことがその充実感につながっていることがすごく感じられた。
ここでふと思う。今の岡江さんにとって35年間の病院の事務の仕事はどんな意味を持っているのだろうか。

「事務の仕事をしてきていろんな苦労をしてきたし。悩んできたこともいっぱいあるし。そういうことがあるから今があるというか。“こんなことあったよね”って。今こうやって農業を始めて苦しいこともやっぱりありますよ。大変なこともあるし。“だけど、あの時に比べたら全然今自分好きなことやってんじゃん”“ああいう苦労もあったけど、新しいこういう苦労もあるんだな”ってまた新しい発見が自分のエネルギーになってるし。そういう意味では18歳から事務をやってきたその間の仕事とか生き方というのは全然無駄ではないし。それがなかったら僕は今、農業をやってないと思うし、ここにいないと思います。そういうことをやってきて、いろんな人たちとも付き合いながら、いろんな人たちのことも見ながら、いろんなことを経験してきたから、今ここで農業しているんじゃないかなって思うし。それこそ妻とも出会ってないだろうし。家族もいなかったのかもしれない」

岡江さんに優しく撫でられているブルーベリーの幼木が陽光を目一杯浴びている。
「ブルーベリーって食べても美味しいし。自分たちで摘んでも楽しいし。だから、なんか幸せがどっかにあるんじゃないのかなって」
岡江さんがそう語るブルーベリーはこの冬を越し、もう一冬越せば実をつける予定だ。岡江さんは、野菜や果樹を“子”と表現し愛情いっぱいに育ててきた。岡江さんの言葉を借りれば“この子たち”はきっとSIN農園に新たなつながりと新たな喜び、楽しみをもたらし、“楽しむ”を根幹に据えたSIN農園の象徴となるのだろう。

安曇野SIN農園Instagram(@azumino_sin_farm)
https://www.instagram.com/azumino_sin_farm/
安曇野SIN農園ホームページ
https://azumino-sinfarm.com/


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