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「死にたい」の受け容れ
ほんじつのおもひ
言えないんよね、死にたいです、って.
おはようございます.
いつものご挨拶、結びに記します.
朝、目が覚めた瞬間、ものすごい希死念慮で苦しかった.
今の面接先と雇用契約を結んだ場合、就職日は、自分で死のうと決めた日より遙かに先となる.
その頃、わたしはまだ死なずに生きているのだろうか?
数年前、お仕事を辞めないといけなくなったとき、死のうと決めた.
死にたかったのはそれが初めてではないし、過去に危険な手段を取ったこともあった.
ただそのときは、ふっと「もう、いい」と思った.
現在、偶然とご縁が重なり、支えてもらって生きているけれど、気持ちの片付けは続けている.
……なんてこと、先方には言えない.
就職の契約の選択を迷っている本当の理由を他人には話せない.
だれにも、「その頃まで生きていないので、考えられないんです」なんて言えっこない.
「死にたいひとはだれにも言わないで死ぬ」と言われるの、よく分かる.
他人に「死にたいです」って言ったら、とめられるもの.
「ああそうなんだ.じゃあね」なんてならない.
だから暗い暗い気持ちをぐっと自分の中に押し込めとくしかない.
[以下は、完全に独り言]
重たい.苦しい.
ひとりで持っとくの.
一定数のかたが、おっしゃっていること、わたしもよく考えるよ.
スイスに行きたい、と言えばなんのことか伝わるかな.
死ぬくらいならなんでもできるって言われるのなら、スイスに行くのだってできるかもね.
まだ生きたいと思うひとが「死にたい」って言ったら、助かる世界であってほしい.
本当に死にたいひとが「死にたい」って言ったとき、「ああそうなんだ.じゃあね」って、そんなふうに認められる日本社会なら少しは楽かもしれないのにな.
はい.(・ω・←読者目線)
改めまして、おはようございます.
外は晴れ、うっすら寒い風が吹いていて、上空からヘリコプターの音がします.
まだ、秋かしら.
みなさま、おからだ、心、お元気でしょうか?
わたしは眼精疲労や身体疲労で、なかなかノーパソを開けんくて、noteめぐりもできんくて.
時時、ぐるーっとみなさまのnoteにおじゃましたりするのですけど、本当に時時になってしまっています;;;m(_ _)m
今朝イチは、ずどーんと落ちていまして、「思考がくっきりしたら朝のうちにこの内容の記事を書こう」と思っておりました.
いつもがごとくぐちゃぐちゃな文章を、読んでくださって、ありがとうございます.
記事を開いてくださったり、スキぼたんぽちっとくださったり、フォローも、みなさまありがとうございます(^-^)
スキぼたんのコメント、ちょっと変えてみようかなぁと思っているりんでした☆
ではでは、みなさまが、すてきな1日を過ごせますように.