子育てでの気づき。「そればっかり」にならなくていい。
耳の小さな男の子と母親の話。
次男の出産の時はコロナ禍で、分娩台にあがってから鼻に綿棒を突っ込まれてコロナの検査をした。結果がわかるまで赤ちゃんに会えなかった。
初めて我が子、ちびすけの姿を見たのは、助産師さんが撮ってくれた私のスマホのカメラ越しだった。
耳がちっちゃくて穴がなかった。折りたたまれてくっついてるのかと思うものの、よく見えなかった。
翌日、先生から直々に呼び出されてちびすけが片耳は小耳症という、生まれつき耳の小さい子だと説明を受ける。耳鼻科の先生に小さい方の耳はほとんど聞こえていないと説明を受ける。先生は速やかにいろんな検査をしてくれて退院する時には大きな病院への紹介状を用意してくれた。その病院に我が子が行くことになるとは思っても見なかった専門的な病院だった。
そして、私は小さな耳の子の母親になった。
ちびすけはかわいかった。
よくおっぱいを飲み、泣き、笑い、寝返りやおすわりやはいはいをして、歩いた。
微笑みかけると微笑み返してくれるちびすけ。
抱っこして歩くと寝息を立てるちびすけ。
何もかも順調で、この子はスクスク育ってると思うと安心した。
ただ、耳を見る度に何とも言えない気持ちになる私がいるのは確かだった。
友達に耳のこと聞かれたら嫌かな。
鏡を見てショックを受けたりしないかな。
片方の耳が聞こえなくて不便に思うかな。
形成手術したいか、決断ができるのかな。
補聴器を嫌がるかな。
いじめられたらどうしよう。
将来就職や結婚に支障があったら…
3歳も近づいている今、ちびすけは片方の耳が聞こえないことがわかっているようだった。
私のイヤホンを見つけると聞こえる方の耳につけたがる。骨伝導だから小さい耳にもあてたら聞こえるんじゃないか?!と思ったりもするが小さい耳にあてると「そっちじゃないよ」と直される。
以前、YouTubeで日野原重明先生が「いのちの授業」を聾学校でしたのを見た。
胸に耳をあてると心臓が鳴っているのが分かるよ、と先生が促すと手を当てる生徒がいた。「耳が聞こえないから手を当てます」と。
心臓は、震動している。音は聞こえなくても、胸に耳を当てるとドクンドクンと動いている震えを感じることができると再度先生が促すとその子は耳を当て、心臓が奏でるリズムを感じて驚いていた。
耳が聞こえないから耳を当てても何も感じないと思っていたその子が、イヤホンをあてようとしないちびすけの姿に重なった。(実際、ただの骨伝導イヤホンくらいでは聞こえないのかも?)
こんな気持ちを味わうとは、人生は想像できないことばかりだ。
じんわりとした心配の波はたびたびある。
ちびすけが小学校に上がる前には「就学前相談」にきっと申し込むと思うし、片耳難聴の当事者の方で片耳が聞こえなくても働くまでは何も困らなかったと言う方がいても、片耳の補聴器もきっと試すと思う。
いじめられて帰ってきたら何と声をかけようかと考えてしまうときもある。(たいてい暇な時。本人がいると、笑ったり怒ったり忙しなくて考え事すらできない)
でも、実際は、ほとんど心配というものをせずに生きている。産まれて初めてのちびすけの姿をスマホ画面で見たときの私からしたら信じられないことだった。当時は絶えず耳のことを考えていた。
心配事がありながらも、言葉も覚えてどんどん新しいことを学んでいるちびすけを頼もしく思い、友達と仲良くしたり兄と喧嘩をして成長しているちびすけを温かい眼差しで見ていられるのは理由がある。
きっかけは、聾学校の幼児教室の先生の言葉だった。
2年育休を取って私より熱心に教室に片耳難聴の赤ちゃんを連れて通うお母さんを見て、私はもっと「がんばる」べきなんだろうかと悩んだときに先生が言ってくれた。
「でも、『それだけ』にはならないでいいんですよ。だって子どもといると楽しいことがたくさんあるじゃないですか」
(その後、2語文もでて言語発達も良好だとのことでいったん教室は卒業している)
確かに私は耳の小さな子のお母さん。
そして、それ以前に、世界でたった1人のちびすけのお母さんで、ちびすけの人生をそばで見て応援して、悲しいことは分かち合い、嬉しいことも分け合う特権を神様にもらったんだなあ、と思う。
その、「小さな耳」の部分は実は変数と考えるくらいでいいかなと思う。それが、例えば、過敏症でも、発達障害でも、性自認が違うでも、小麦粉が食べられないでも、なんでも、さまざまな全員が経験できないことがあったとしてそんなバリエーションを母親として経験しているだけかも…と。
と言うわけで心配もありつつも、目の前のちびすけとともに、人生をなるべくごきげんに生きたいと思う。