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『毎日投稿』の意義って何だろう?

無事に習慣ついたようで、毎日何かしらを書くようになりました。

そこで、改めて考えてみたんですね。
「何でわたしは毎日書いてるんだろう?」って。
毎日投稿するには、やっぱりそれなりに大変だったりするわけで。時間とネタの確保とかね。言葉がなかなか出てこない日だってあるし。
誰かに頼まれたわけでも、望まれたわけでも、お金になることもないのにね。

うん、考えてみた結果、『毎日書くこと』には意義があるけど、『連続投稿』は好きでやってる趣味みたいなもんだなって。


冒頭で『無事に習慣ついた』と書きましたが、そんなものハッキリ言って脆いもんですよ。せめて一人前になっていればともかく。ここで書くのを止めてしまえば、すぐに書けなくなっちゃう。

『毎日続けること』は筋トレと同じです。トレーニングをしなくなると、せっかくついた筋肉が落ちてしまうのですね。
『基本の型』ができていない初期の段階ならなおさらです。

わたしはお仕事柄、「ストレッチってどうやればいいの?」と聞かれることが多々あります。

うんうん。最初って本当に何も分からないですよね。
本やテレビを見ながらやっているはずなのに、「何か違う……」ってなりますもんね。
ストレッチもスポーツも楽器も英語も一緒です。身に付けるためには、ひたすら反復練習あるのみ。

「え?ストレッチも?」
と言われるかもしれませんが、前屈ひとつ取っても、コツってのがあるんですよ。前屈って、床に両脚をまっすぐ伸ばして上半身を前に倒すだけだと思うでしょ?
これが意外に奥が深いのです。
・ヒザは浮かせない
・背中を丸めない
・腰から曲げるようにする
・身体の力を抜く
……とまぁ、簡単だと思われる前屈ですら、いくつか出てきます。

なにか新しいことを始めると、つい「上手くなるコツとかない?」と聞いてしまうんですけど。このコツってやつは、基本の型ができてないと意味を持たないんですよね~。

先ほどの前屈で例えてみますね。
・椅子に座ったままで、床に座ってない
・脚を伸ばしていない
・手は後ろについたまま
……などなど、自己流でやってしまうと、コツだけを学んで追いかけても、効果が出ないんです。

基本を身に付けないことには、上達への道は開けない。ので、そのために反復練習するしかない、のですね。

で、コツコツ続けるためには、毎日やった方が楽なんです。やったりやらなかったりする方が、むしろキッツイんですね。「昨日はやらなかったから今日はしないと」や「明日は休む予定にするから、今日その分までやらないと」など、考える方が面倒なんです。「当たり前の行動」にして、毎日やると決めた方が、何も考えずにすむので楽なんですよね~。

故スティーブ・ジョブズが、「毎日着るものを考えるための脳のリソースがもったいない」とコーディネートを同一にしていたように、脳というのはそういう風にできてるんですね。

なので、「毎日投稿は、中身が伴わなければ意味がない」という意見も重々承知の上で、「低レベルな出来であったとしても、休まないで続ける」という選択肢を取っているのです。

あと、やっぱりnoteさんからのご褒美は単純に嬉しいですね~。子どもの頃、ラジオ体操に参加して、カードをスタンプで埋め尽くすことに燃えませんでしたか?
習慣付けるためのハビットトラッカーでも、マス目をスキマなく埋めるのが楽しいんですよね。この辺は、まぁ趣味の範疇ってことで。


まとめると、
・習慣にはなっても、止めたらそのままになりそう
・基本を身に付けて上達するために、継続してる
・何も考えずに続ける方が楽
・『連続投稿の継続』は嬉しい
こんなところですかね。

ようやく、少し書けるようになってきたところだと思うので、これからも、こんな感じでのんびり続けていくつもりです。

いつも読んでくださる方も、たまたま立ち寄ってくださった方もありがとうございます。皆々様のおかげで、何とか続けるモチベーションも保てているというものです。
まだまだ未熟者ですが、これからもよろしくお願いいたします。

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