SaaSローンチから10年まとめ
プロダクト開発だとかやってますカフェカフェです。
みなさん、SaaS事業やってますか?
唐突ですが、サポートデスクって当然、重要で大切なものですよね。ただ結構ここがネックで、
こんなことになってしまう場合もあると思います。
今回はそれを事業成長のフェーズで考えることが大切で、その時になってからではなく、先に織り込み済みで考えておくことの重要性を振り返ろうという試みになります。(あくまで試みです。これが正解だ!を論ずるものではないです。悪しからず。)
私のnoteでのプロフィール代わり?!の記事にもなっていて、少し長いですが宜しければお付き合いください。
ユーザーが増えれば嬉しいが何が起きるのか?
SaaSやサブスクサービスではユーザー数が増えることは嬉しいことです。(というか増えんと困ります)でも、それに伴い問い合わせや新機能を追加してもバグ出たりしても大変ですよね。
使い方が分からないという問合せも増える
契約したいも増えるが解約したいも増える
新機能追加したらバグが出て軽く炎上する(←内容によっては重たい)
改善したら古いユーザーには不評だった
マニュアル作成が思った以上に難しいし大変
多くのSaaS事業者が悩んでいる共通の問題かと。恐らく事業の大小に関わらず発生していると思います。
そこで登場するのが「サポート強化」になります。(ありがち)
このサポート工数、レベル維持、対応品質などをどうするのか?どう設計しどう管理すべきか?これが結構難敵だな~って思ってて、これまでの10年強を振り返って、次に何かゼロベースで取り組む時のために少し整理してみようと思います。
まずは、この12年間を時系列で振り返っていきます。
2010年 ~創業期~
2010年にはじめてのプロダクトをリリースしました。
ユーザーはもちろん最初はゼロです。
いきなりお試し申し込みしてきて1週間後には正式申し込みしてくれたショップさんは今でもよく覚えています。
この頃は何もかも整備されてなく、そもそもクラウドとかSaaSというものが存在せず、ASPサービスとかって言われてた時代ですね。
当然サポート部門はなく全て私が対応してました。
なんなら私の中にサポートという概念すらなく営業的になんでも対応してました。
2012年 ~第1成長期~
ユーザーが順調に増えて、300社くらいだったでしょうか?
この時某有名画像編集やイラスト作成ソフトの会社のサポート部門にいた人が入社しました。(ハーフの方だったのですが日本語完璧で且つ優秀でした。前職で世界最優秀サポート賞もらったことある方でした)
ここで「サポート」という概念が私の中にはじめて生まれました。
また、良くも悪くも「運用」という言葉も覚えることになります。
2013-2016年 ~第2成長期~
競合出現や理想までは伸びてないという悩みや課題はありましたが、ありがたいことにユーザーと契約客単価は順調に伸び、収益面も及第点以上にはなっていきます。
既にベースとなる機能提供はしてましたので、追加の機能(サービス)を順次、企画・開発・リリースを繰り返していきます。
それに伴いサポート工数も膨れ上がっていきます。
とは言え、前段の優秀なサポートの方のおかげもあり(私も時に参戦し)対応はできていました。
しかし・・・
2017年 ~(たぶん)成熟期~
優秀なサポート担当の人が家庭の都合もあり退社しました。
家庭の事情も確かにあったのですが、勘の良い人だったのか、この頃外部のマーケティング&セールスの上手な会社さんとがっつりコラボし始めますがこれを結構嫌がってたように思います。
今までは自社ルートでWEBのインバウンドだけで成立してたところに、別ルートが加わることになります。もちろん事業伸長にはとてもプラスです。(そしてこのコラボルートのユーザーが増えてのちにメインに塗り替わっていくのですが。)
ユーザー数と客単価は大きく伸長しましたが案の定、サポート対応が膨らみます。それを予見してたようで逃げ… 退社されます。というか彼女からしたら給料変わらないのに今までの安定から大変になるだけですから当然と言えば当然です。
それと人が多く必要になるとほかの人と協調しながらユーザー対応することが増えますが、こういうのが苦手で嫌いな人も多いです。そしてユーザー対応品質が良く安定してできる人に限ってその傾向も強いと感じてます。(出来ない人のカバーをすることになるからですね)
ですので事業拡大(サポート部門の所帯が大きくなる)段階を感じると(優秀な人に限って)辞めていくケースは多いのではないでしょうか?(まあ、本人側になって考えれば当然すぎる話なのですが経営やビジネスサイドはそこらへん分かってないケースも多く、たぶん自分も当時はそうでした。)
2018-2019年 ~(たぶん)成熟期後期~
いやー、なかなか大変でした。毎日自分で電話取りまくって話が長いこともあり1回の対応も長かったです。なんならいろいろ相談対応したり、軽いコンサルっぽい対応もしていたと思います。
対応しきれないチケットが溜まりに溜まっていた時期もあります。(意外と大きなクレームにはならなかったですが少し荒れてたと思います)
一方、収益面はここまでの7-8年でユーザーも増えてますし充分に上がっていました。
コラボ会社さんの関係もあり私も日々忙しく、今まで自前ではやってなかったユーザー懇親会に出席したり、zoomでワークショップしたりと私の仕事も増えました。
新機能の開発で今でいう最上級のタイトルを付けるならPdMとPMも兼ねてやってましたので帰り路でもずっと仕事のこと、今後の展開などを考えてました。それに売上やコストやサポート体制維持など事業運営の全て、プログラムソースを書く以外は全部やってました。
でも、なんとかはなってました。(なんとかした)
しかし、それまで主軸だった開発のSEも独立したりして去っていくことになります。
2019年~2021年前半
~(たぶん)衰退期のはじまり~
それまで主軸でいた開発2名は今思うと十分すぎるくらい優秀でしたが一人はこれからはAIがソースを書く時代になると言って(現に今ChatGPT騒ぎでそうなりつつあります。悔しいですが彼は先見の明はあったと思います)技術コンサル志向で転職。
続くベテラン1名は中小企業診断士に1発合格し(普通にすごいじゃんかい)独立していなくなりました。
当社のような中小企業で特にベンチャーから資金提供されたスタートアップでもなく、実は私が以前Googleに居ましたとかでもなく。
当然、同等のレベルの開発を採用することができませんでした。
しかし、ユーザーからの機能要求やコラボ会社からの期待は増大していたと思いますし、私自身がもう一段階事業成長をさせたいという想いもありました。
派遣社員だらけになる
開発は新人扱いだった1名しか頼りになる人はいなくなり機能開発が滞ります。幸い新人と言っても10年選手でプログラム経験はそれなりなので、最初はトンチンカンなことばかり言ってて「はあ~!!そんなわけないじゃん!!」と秒ではなく精髄反射レベルでしたが、1年もするとかなり「分かってるじゃん!」となり助かりました。
とは言え、1名ではさすがに開発(機能追加とか新サービス開発)はままならず、日々のタスク対応、不具合っぽいものの対応だけで終わってました。
ある日、「ひょっとして派遣社員でも優秀な開発者はいるでしょ?」と思いつき、当たりを付けてみたら当たりました。
ラッキーですね。
その人のおかけで構想していた新サービス(大きな機能単位)を3つも連続でリリースできました。感謝しかありません。やはりプログラムはスクラムだの手法ではなく人が最大のソリューションです。これでユーザーエンゲージメントは十分維持できました。
再びサポートがひっ迫
大きな新機能を出すと問合せもとっても増えました。
相変わらず、契約も多いけど(事業特性上)解約も多く出入りが激しい状況も続いてました。(とは言え純増はずっとキープ)
また、新しい機能だけなら良いですがここまでの10年で開発してきた機能(サービス)が多くありますので…
サポート対応もなかなか面倒になってきます。
昔リリースしてあまり使う人居なかったけど地味に使われているので残している機能などは問合せくると、(その仕様のアウトラインを考えた)私でも忘れてるので思い出すところからとなるんですよね(苦笑)
この時、優秀サポートさんはとっくに辞めていて私がほぼ全部やってましたが、さすがに難しくなりました。
サポートは全部新規の派遣社員だけで構成することになりました。なので、今度はサポートのサポート業務に追われますwww
工夫としては研修は全てZoomで録画しました。(一人ZOOMのレコーディングしてそれをYoutubeの限定URLでアップする作戦)準備が最小になりますし、勝手に復習してくれるのでこれは効率よかったと思います。
結局、なんとかはなりました。
売上は増えたけどコストも増大
やっと、本題に近づいてきました。^^;汗
ユーザーが増えて客単価も上がってますので当然売上は増えていました。しかし派遣さんだらけになりコストも膨らんでいました。ほかにもデザイナーやコーダーも全部即採用できる派遣社員になりました。
前段に書いたように元々居た開発も居なくなったのでこれまで手薄だったデザインテンプレートの強化やデザイン作成機能にも軸足を置きました。フリーランスも含めこのジャンルは仕事出ししやすいですからね。
なんだかんだでなんとかなってます。(笑)
収益減にはなりませんでしたが、売上に比例して収益は伸びず横ばいとなります。(それでもこの規模としては十分するぎる収益は出せていたと思います。部門で決算したら営業利益は40%くらいにはなってたはずです。管理会計的に計算してて数値は常に管理していますので分かります。)
2021年後半 ついに潮目が(悪い方向に)変わる
なんと!www
ざっくり言うと事業の外部環境についに変化が訪れます。10年前から最大の事業リスクとして挙げていた類のものになります。
私は予測経営派なので瞬時に1年後、2年後、3年後~を予測しました。
放っておくと3年~5年で事業収益悪化又は終了を余儀なくされるものと踏みました。
収益性に悪い状況が表に出てくるのは1~2年後と踏んでましたので、ここは大きく再投資をすべきタイミングです。本来ならば。
私としてはここまで脆弱ながらも新規事業を成功させてきてますので、当然独立事業部化や関連会社化を期待していましたし、そのことも数年前より言及してましたが…
残念ながらそういう体質の会社ではなく、私としては完全にはしごを外されただけでした。
再生プランはありました。(ひねり出しました)
そして、結構時間をかけて少しづつ丁寧に上の人間(と言っても数十名程度の会社ですのですぐ上は会長社長の2名のみなんですが)には説明もしました。
元の事業はゼロから創ってきてるので100%の保証はできませんが自信はありました。10年前はユーザーゼロですが、1000社からスタートできますからね。その1000社だって10年掛けて作ってきたのにとっても残念な気持ちしかありません。
はい、そこから2年弱が経過したのが今です。
ところが・・・
ところが収益は過去最高になる
前段の2021年後半(正確には6月~7月だったんですが)状況を察知し、一旦この事業で開発すべきものはある程度開発できててユーザーも一定数ありましたので事業をステイさせることにしました。
ステイとはそういう用語があるか分かりませんが現状維持です。
大きく再投資(といっても私のやってるPRJから出ている収益の半分くらいを投資するプランだったんですが)を自由にさせてくれないみたいなので、これがベストエフォートになります。(ステイになることを説明した上でステイにしてます。)
やはり自分で事業生み出して運営していけるなら、自分がトップで経営者でないとダメだったというだけなので全部自分の詰めが甘かっただけです。
話を戻しまして、私自身は事業経営者感覚、社内ベンチャーぽくやってたので、ステイさせる=現状維持=衰退は百も承知です。(現状維持なんて衰退に決まってます。)
派遣社員だらけだったのでちょうど満期(改正派遣法では3年で同じ人は継続雇用できません)を迎える人も出てくるタイミングだったり、普通に辞めていく人も居て、開発するものもなくなり、サポートの問合せも少しづつ減っていくのに合わせて、派遣社員さんも自然と減っていきます。
その結果、最後はサポート1名のみとなりました。
そして案の定ユーザーは初の純減を1年ほど継続していますが今期(2022年度)の粗利は過去最高になりそうです。劇的にコスト下げてますからね。
(正直前段書いた通りはしごを外されてますから嫌味でサポート人員が必要です!とか言ってわざとコスト掛けてやっても良かったのかもですが(←嘘のはず)、私のローコスト運営気質がそれを許しませんでした。あと普通に何もしてなさそうな人が何人も座ってたらさすがにおかしいですからね。)
もっとも、過去最高と言っても少しだけ上回っての過去最高なだけですが。
ガチで経営してきてる方なら分かると思いますが…
それも私のプレゼン、交渉能力が足りてなかったというだけです。
サポート1名でも暇なくらいとなる
この事業の特性としてユーザーのPCやシステムリテラシーがそこまで高くなかったり、ユーザーも忙しかったり、10年掛けて作ってきたサービスですが機能がごちゃごちゃと多いは多いため、そんなにシンプルなものでもないし、他のプラットフォームとの連携などの関係で動作しなくなったり、
一言でいうとまあまあややこしいサービスになっています。
のですが、ひたすらサポートが荒れないよう注力しつづけたら、途中からむしろ暇なくらいになりました。実稼働って忙しかった時はみんな残業もしててずっと電話かメールか調べるかしてたのでフル稼働だったと思いますが、今は恐らく実稼働は毎日数時間とかじゃないでしょうか?www ただ待機も仕事なので窓口は開いてますし問合せや入電がゼロではないので。
事業の成長段階とか濃淡は設計できると確信
事業って成長して、ユーザーを増やしつづけなきゃいけないものと思ってました。機能改善にも終わりはなく、アジャイルな開発では特にそういうことが大前提としてありますよね。
ただ、そんな怨霊に取りつかれる必要は実はなくって、
忙しさ(サポート増大、バグや改修工数増大など要するにコスト増)は設計できるのでは?と思い始めています。
一般的に黎明期、成長期、成熟期の流れがありますが、あまりこれにとらわれ過ぎない方が良いように思ってます。
社会自体が成熟し、SaaSとかサブスク自体も一旦成熟してきていますからね。そうなると王道の失敗しないビジネス戦略がやはり良さそうに思ってます。
ニッチな事業ドメインを見つけ、
しっかりインサイトして、
場合によってはドッグフーディング的に自社でユーザーと同じビジネスをし、
筋の良い推論、筋の良い思いつき(企画)をして、
それが実行可能なビジネス戦略に沿っていて、
主となる戦術(主にマーケ、手法)が有効で実行可能そうで、
兵站(資金)の準備は極小で良く、
サポートや管理的な後方体制も検討済み又はほぼ不要で、
参入タイミングを間違えず、
ローイニシャルコストでエントリーして、
早めに小さく回収して早めにそれを膨らませて、
イニシャルと運営コストが極小なので、早期に損益分岐を超えられるというモデルを複数組み合わせるのが、せこくてこじんまりとした小心者思考 安全で快適でクレバーではないか?と思ってたりします。
カスタマーサクセスがたぶん重要だけど
2010年当時は「サポート」というものがこんなに膨らんだり、大変だったり、事業コストに絡みついてくるものとは全く思ってませんでした。
SaaSっぽい自社運営のシステムサービスを提供する会社で働いていたわけでもなく、システム屋さん自体が初めてでしたし、サポート対応って結構大変ということ自体、全然認識できてなかったです。
ただ、ビジネスの勉強や小さなチャレンジはしてたので、このこと(サポートのこと)以外は割と想像したとおりに再現されていった10年でした。
いずれにしてもサービスを利用しているユーザーの成功こそが自分達にとっての成功です。
ですので、最近はずっとサポートデスクみたいな言い方ではなく、カスタマーサクセスと言ってることが多いように思います。(私はこの言い方が恥ずかしいのでカスタマーサクセスとか言ってませんが)
正直、言い方変えてるだけじゃね?って気もしてまして、サポートってサービスとかプロジェクトにもよりますが、会社来なくなる人も多いみたい(うちでも多少なりともありました)ですし、一言で言うと病みやすい職種みたいですし、一般的には間接部門なので、カスタマーサクセス=事業の成功=ビジネスサイドの役員や社長の成功は式として成立すると思いますけど、
カスタマーサクセス=サポート担当の成功=年収大幅アップ=タワマン住んだり高級車に乗れる
にはならんので積極的に有能さを表現し、主体性をいかんなく発揮するはずないよね?とは思ってますがなかなかね。
ここはみんな悩んでててどうしてもサポートは受け身的なお仕事の性格はありますのでね。そこで、「カスタマーサクセス部門」という言い方が今の主流で落ち着いてきてると思いますが「事業推進部」と言ってみたり、結構苦慮している感は散見します。
その意味でも、事業ドメインを区切って、深くインサイトして、シンプルで軽量なサービスで、サポート対応はなくてもなんとかなるものを複数組み合わせられるといいなーという願望だけです。
ただし・・・(まとめ)
仮に前段で述べたことができても、楽になりすぎてチャレンジや負荷が低くなりすぎると人間足腰が弱り、骨も弱くなっていきますので、「コントロールされたチャレンジ」はずっと継続すべきと思っています。書いてて矛盾しているような気もしますけど。
出来たらいいなーではまず実現しないので、ぜったいやるんだ、なにがなんでもやるんだ、どうしてもやるんだ!
と、いう意思のパワーとバランス取りながらが良さそうと思ってます。
事業作る側の人はみんなそうなんでしょうけど、開発職やサポート職で安定して貢献して安定して成長を感じて行きたい人には、そういうの(押し付けるの)って被害レベルなんで気を付けることも大切で、
もろもろ織り込み済みで全体設計しないといけないはずです。
(で、ビジョンだとかバリューだとかカルチャーって話に繋がるんでしょ)
うまく整理できてなさそうですが一旦振り返りで書いてみました。ここまでお付き合いいただきました方お読みいただき有難うございますー!
振り返ると結局ほぼ自分ビジネスで、自作自演の映画のようで、個人商店から抜け出せなかった感はありますね。2浪して3流大学にギリで入学してギリで卒業した程度なので優秀ではないのですが、プログラムコードを書くこと以外は全方面でマルチさを発揮してなんとかしてきたし、中小企業経営の鏡ばりのローコストオペレーションをして結構な利益を毎年会社には納品してきてますし、それはそれで優秀と言えるのでしょうか…(たぶん違うけど)
なにかの参考になればと。
追記)衰退期から次のSカーブへ!
現在は成熟期が終わり衰退期に完全に入っています。
ただ、まだエンゲージメントは一定量残っていて収益性も残っています。
結局10年もかけて作ってきているので潮目が変わっても、しばらくは慣性の法則のように残るんですね。
なのであと数年は維持モードで継続にはなりそうです。(まあ、毎日暇ですはい。)
そして、次なる方法で新たなSカーブを描く構想を進めてます。
わくわくしますね。
10年以上前の2009年に企画を描いていた当時は毎日ジミヘンの「little wing」を聞きながら想像にふけっていました。
出だしの
「She」は開発していたクラウド(SaaS)サービス
「clouds」は文字通り雲だけどクラウドサービスなんだっていう風に置き換えて、頭の中では開発し始めたサービスが雲の中をひょいひょい歩いていく映像を思い浮かべていました。
まじで毎日この曲聴きながら酔いしれて10年後までを空想していました。
そして今あの時とは少し感覚は違いますが似たような風の香りを感じ始めています。
その少しのにおいの違いや正体は今後解像度上げて理解を進めていくつもりです。あの時と同じにおい、同じ肌触りの風を感じるけど、何がどう違うのか?という問いを立てています。